明後日が参議院選挙で、今日「カルミナ・ブラーナ」を聴く意味

c0021859_1833189.jpg  11世紀から13世紀頃に成立したと考えられている「カルミナ・ブラーナ」が発見されたのは19世紀初めの1803年、と言うことはモーツァルトの死後10年以上が過ぎて、ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた翌年、交響曲第2番の年。
 がしかし、出版されたのはそれから50年近く経った1847年。中国がアヘン戦争や香港割譲、そしてイギリスがアヘンを中国に売りつけたお金のマネーロンダリングのためにHSBCが設立されたのもこの頃。オルフの生まれる50年くらい前と言う時代。
 ところで、この「カルミナ・ブラーナ」が成立したと言われる11世紀から13世紀という時代は、実はワーグナーの「ニーベルングの指環」の元ネタである「ニーベルンゲンの詩」や「サガ」などの成立とほぼ時を同じくする。
 で、イスラム世界ではセルジューク・トルコが全盛、キリスト教世界のヨーロッパでは東西ローマ帝国、神聖ローマ帝国の時代。十字軍の遠征が始まり、戦争や交易で国境を越えた交流で異文化との交わりと進化が進みつつあった。そして、我が国では平安時代から鎌倉時代頃となる。この時代、洋の東西を問わず黎明期だった。

 カール=オルフは1895年、ドイツ帝国のミュンヘンで生まれた。フランスはと言えばフランス革命のあとの幾度かの王政復古のあとの第三共和政、イギリス、イタリアは王国成立という古い枠組みの中での世界は自国利益追求、覇権主義まっただ中、イスラム世界ではオスマン・トルコの衰退から滅亡への道を進んでいて、つまり、現在の中東の混沌の根っこが張り始めてまさに芽吹こうとしていた時代。
 アジアを見ればと言うと、中国で清朝が国内混乱で衰退し、ヨーロッパ列強によりアヘン漬けで蝕まれつつあり、オルフが生まれたその年は日清戦争が終結し、朝鮮独立、世界は各々勝手に覇権を繰り広げていた。
 そんな世界情勢の中で、オルフがこの曲を作曲した。案外実は、現在の不安定な世界情勢の「そもそも」がこの時代だったから。

 そんなオルフは、19世紀末に誕生したとは言え、作曲家としては20世紀の人。ヨーロッパの音楽界では、その頃の世界情勢のように行き詰まりと混沌の時代に入ってしまった。
 たとえば、交響曲の父ハイドンなどがエステルハージ家で(当時は大編成と言われていた)20人前後の交響曲を作っていたのが、19世紀末になるとマーラーはその500倍の人数の「1000人の交響曲」を書いてしまい、また、ワーグナーが4日もかかるオペラを作り、調性は崩壊寸前にいたり、音楽の枠組みに関して「すべては18,9世紀に使い果たされてしまった」(オルフ談)わけで、それが11世紀から13世紀頃に成立したと考えられている「カルミナ・ブラーナ」を採用してこの曲を作った、つまりその状況への批判から発したものであったようだ。

 一般的なこの曲のプロフィールは、土俗的なリズムが繰り返される粗野だけど力強く、シンプルで誰にとっても親しみやすい音楽に乗せて、春を主題とする歌、酒場での歌(テノールが、焼かれる白鳥の哀れさを語ったかと思うと、バリトンが大修道院の院長に扮して賭け事を賛美、と思ったら今度は合唱が、老いも若きも皆が飲めと大騒ぎ)、そして徐々に盛り上がる(性)愛の悦びの歌の3部を構成した24 曲で、形而上性などみじんもない、ただ感性と本能に訴える音楽となっている。
 そんな曲の始めと終わりには、「おお、フォルトゥーナ」と破壊的な絶叫から始まり、それらの3つが我々人類にとって不変の運命であり、「運命の女神フォルトゥーナ」が回す車輪に操られているに過ぎない、という叫びが置かれていて曲全体を挟み込む。
 そして、曲の歌詞はその多くが中世ラテン語なのだけど、古い時代のフランス語やドイツ語なども用いられ、その粗野で素朴なリズムの繰り返しで呪術的な感興が呼び起こされ、そして徐々に増幅されるという仕掛け。
 なんてことはたぶん他でも書いてると思う。

 ところで、この曲が初演された1937年はと言えば、第1次世界大戦はもう既に終わっていて、その戦後処理でさんざんな目に遭っているドイツでは世界恐慌がそれに追い打ちをかけ、猛烈な飢えと失業でたまりかねたドイツに、彗星のように現れて、たった4年で瞬く間に、まさに神のように当時世界第2位の経済大国にまで押し上げ、ドイツの暮らしと経済を立て直したヒトラーが、圧倒的な国民の信頼と支持で、全く民主的に全国家的な熱狂の中で独裁体制を敷いて3年前。その2年後、初演の前年に「前畑ガンバレ」連呼のベルリン・オリンピック。そしてショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」の初演。
 そして我が国では、やはり猛烈なデフレ不況の中、まさに今のアベノミクス下の黒田日銀がやっているお札をガンガン刷お金をばらまく大規模な金融緩和で、デフレ経済を立て直した高橋是清が2・26事件で命を落とし、この曲が初演された翌1937年、近衛内閣成立、盧溝橋事件、そして中国に侵攻、首都南京を占領。日本はイタリア、ドイツと三国同盟を結んだ。(この時の中国は、間違えてはいけませんが、今の台湾の「中華民国」で、決して「中華人民共和国」ではありません)
 そして翌年の1938年に日本は第1次世界大戦の手痛い失敗を繰り返さないようにその教訓からの人類の知恵であった、(日本自らも参画して)組織された国際連盟を、満州事変の件で、その後の満州国との関わり合いに関しての意見の違いから脱退してしまう。その後はご承知の通り、軍部の独走が進み戦争へと突き進んでいったのでした。

 我々人類は「運命の女神フォルトゥーナ」が回す車輪に操られているに過ぎないのかも知れない。
 いや、あの頃の日本と、世界と、何が同じで何が違うのかよく考えて、まさに今、この曲を聴くのは必要なのかも知れない。


 やはり、ヨッフムの鉄板の演奏で。

# by yurikamome122 | 2016-07-08 18:34 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

メリー・クリスマス モーツァルト「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」K.158a」

c0021859_15384614.jpg キリスト生誕と聖母マリアをよろこぶこの曲は、モーツァルトが17歳の時にミラノで初演されて、きっとスケートの羽生弓弦のようなアッサリと凄いことをやっておきながら純粋で、屈託のなさを残すような年齢で作曲された曲なんだと思う。
 その後に演奏旅行で母を亡くし、あのヴァイオリンソナタ28番を書き、ピアノソナタ第8番を書き、やはり純粋な悲しみをまるで幼児の顔が泣き顔に崩れるようにアッサリと,それも誰もが最高に胸を締め付けるように書いて、そしてその翌年再びこの曲を改作してザルツブルグで発表している。神への感謝と最高の賛美を現して。
 人生の様々な困難や苦痛や悲しみ全てがモーツァルト自身へのかけがえのないプレゼントで、まるでモーツァルト自身そう自覚していたかのようにも感じる。
 そんな目に遭わずにすんでいるここ日本で、メリー・クリスマス。


(歌)
踊れ、喜べ、幸いな魂よ、
祝福された魂よ。
美しい歌を、繰り返し
みんなで天を讃えよう

(語り)
雲や嵐はまぶしい日の光で消え去り
ふいに穏やかな平和で正義の日々がやって来た。

(歌)
みたされていた闇夜から
喜びに満ちた夜明けがやってきた
立ち上がれ、今まで恐れていた人々よ
たくさんの百合に花を抱えて
幸せに満ちた夜明けに進もう

穢れなき乙女たちの栄光の魂(であるマリア様)
悩める心に慰めと平和を与えてください。
気持をなぐさめてください。

アレルヤ


(Aria)
Exsultate,jubilate
o vos animae beatae.
dulcia cantica canendo
cantui vestro respondendo
respondendo psallant aethera cum me.

(Recitativo)
Fulget amica dies, iam fugere
et nubila et procellae;
exortus est iustis
inexspectata quies.
Undique obscura regnabat nox,
surgite tandem laeti,
qui timuistis adhuc,
et iucundi aurorae fortunatae
frondes dextera plena
et lilia date.

(Aria)
Tu virginum corona,
tu nobis pacem dona.
Tu consolare affectus,
unde suspirat cor.

Alleluia.

ユリア・レジネヴァの歌で


# by yurikamome122 | 2015-12-24 14:57 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(1)

「第9」の後の祭り② 演奏の伝統に関して、ベートーヴェン、交響曲第9番(ワーグナーによるピアノ版)など

c0021859_6125917.gif 実は「第9」の初演はベートーヴェン自身耳が聞こえていないので、あの演奏が正しかったのか初演時の伝統などアテにならない。実は初演から約2週間後の再演の失敗はこの辺にもあるのではないかと勘ぐりたくなるわけで、今日の「第9」の演奏の伝統をひもとく。

 パリの音楽院管弦楽団の創設者で初代指揮者、フランソワ=アントア-ヌ・アブネックはかなりのベートーヴェン・ヲタクであったらしく、私の知っているあのクリュイタンスのパリ音楽院管弦楽団で(と言うかパリで)ベートーヴェンばかり演奏しまくり、彼がいないと今日のベートーヴェン像のでき方が違ったものになったかも知れない。
 彼は「第9」を徹底研究した、3年間も。そして何度も何度も何年にもわたりそれをひたすら披露し続けた。
 そのアブネックの「第9」を聴いて感銘したのがワーグナーで、ワーグナーはその「第9」のスコアが高くて買えなかったので図書館に通い詰め1831年、ピアノ編曲版を完成させる。そしてこの曲に関する論文も発表し、今日「第9」の演奏の基本になるのはこの論文によるところが大きいのだそうだ。
 先の理由でアテにならない初演時の伝統をなんとか考証し検証し、できうる限り意図をあの殴り書きスコアからすくい上げ。それをアブネックが長年丹念に研究し、また他の人もいくつかの試みをして、そしてワーグナーによりやっと作品本来に相応しいかたちが日の目を見たと言うことらしい、そう言う専門家もいる。
 ワーグナーは後にバイロイトの歌劇場で演奏する自身のオペラ以外はこのベートーヴェンの「第9」以外は許さなかった。ワーグナーはアブネックのおかげで「第9」ヲタクになった。
 そして今日の「第9」演奏の伝統がここに確立されたといって過言ではないワケです。

 ところで、ワーグナーも作ったというピアノ編曲版。最初のものは誰なのかはよく知らないけども、ベートーヴェンが没する1年前の1826年に17才のメンデルスゾーンが演奏した記録がある。その後に1829年にベートーヴェンの高弟で教則本で高名なツェルニーが出版しているし、翌30年にはシューマンも試みている。
 そしてこのワーグナー、先に書いたとおり翌年31年にやはりメンデルスゾーンと同じ17才で「第9」のアレンジをするけど彼はピアノがそう上手ではなかった。時々無理な音があった。またそしてベートーヴェンの雰囲気によく似た交響曲を作るけどもイマイチパッとしなかった、若いし。
 ワーグナーの岳父でありながら2最年長の伝説のピアノの名手、フランツ・リストはやはりアブネックの演奏に感銘し、この曲を2台のピアノ版にアレンジするのはワーグナーのアレンジから20年後の1851年のことであったのでした。
 ワーグナー版は小川典子さんのピアノと鈴木雅明とバッハ・コレギウム合唱団ほかの演奏がCDで聴ける。3楽章なんてやはりベートーヴェンのピアノ・ソナタのような澄んだ心が聴けるし、4楽章、スッキリと澄み渡った真っ新のこの曲のイメージが胸にしみてきたし、私にはこの演奏を聴くにつけ、ピリオド奏法の演奏よりも培った伝統の上の演奏の方がこの世界に近いような気がする。

# by yurikamome122 | 2015-12-21 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

「第9」の後の祭り① 後世への影響、たとえばシューベルト、交響曲第8番「グレート」の例

c0021859_6494429.gif 「第9」はベートーヴェンが亡くなったあともその騒動は終わらない。先ずはシューベルト。
 シューベルトは1797年、ベートーヴェンが25歳の時にウィーンで生まれている。どこかですれ違っていたかも知れないこの二人は、恐らくは言葉を交わしたことがない。
 シューベルトが「未完成」交響曲を書いた1822年、25歳のシューベルトは作品10のピアノ連弾曲を、ベートーヴェンへの献辞を添えて出版した。そしてその作品を持ってベートーヴェンを訪ねたが留守で会えなかった。恐らくはこれがたった一度の会話の機会だったが、運命はそれを許さなかった。ベートーヴェンが「第9」を初演する2年前のこと。
 その後の「第9」の初演に立ち会っていたかどうかはわからないけれども、恐らくは可能性がある。というのも1824年の「第9」の初演の翌年完成の交響曲第8番「グレート」(この曲は私にはシューベルトの「第9」であった。シューベルト作曲、交響曲第9番と書いてあった。その後に「第7番」(ブロムシュテット盤)などがあり、今では「第8番」と言うことになっている)の第4楽章にベートーヴェンの「第9」のオマージュが散りばめてあるといわれている。(貼り付けたyoutubeの音源の49分26秒くらいから)

 そんなことを思いながらノリントンの演奏を聴いてみると少し田舎の木の匂いの薫る演奏でありました。
ベームとウィーン・フィル、ブロムシュテットとドレスデンのシュターツカペレの味わいも捨てがたいけど、やっぱりベートーヴェンの後はこういう方がしっくり来るのかも知れない。

 後に病床のベートーヴェンはシューベルトの作品に触れることとなりベートーヴェンはシューベルトに賛辞を送る。
 シューベルトは死の数日前のベートーヴェンを見舞っている。そしてベートーヴェンの葬儀で柩を取り囲んで進む36 人の炬火を持つうちの一人だった。
 そしてその翌年、シューベルトもこの世を去る。

 この後、様々な作曲家が自作の中にオマージュとして、また手法を取り入れてゆくのは、たとえば音楽では有名どころではブラームスの交響曲第1番など、手法としてはメンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」やマーラーの交響曲第2番「復活」なんてそうかも知れないし、ブルックナーの交響曲の初めの「ブルックナー開始」と言われる「原始霧」とか、あとはマーラーの1番も、その他前楽章の引用とかその否定とかはベルリオーズなんて結構やってる。映画ではスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」などもう後世への影響は多大なものがあるというわけ。そして、とうとう国歌にまでなったり、挙げたらたくさんでそろそろこの辺で。
 

# by yurikamome122 | 2015-12-20 08:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後④ ベートーヴェン作曲、カノン:神父様、私は病気ですWoO.178

c0021859_01413100.gif 死の前年、1826年の作品。
 病床のベートーヴェンはもう自信をなくして気弱になってこんな曲を作ったわけではないように見える日々を過ごしていたけど、実際はどうなのか。
 この曲はひたすらと言うよりたった45秒くらいの時間にア・カペラでタイトルの歌詞を歌うというもの。
 同じ時期に「そうあらねばならぬ」WoO.196や「これがその作品だ」WoO.197、アンダンテ・マエストーソ(「さらばピアノよ」)ハ長調 WoO 62などを作っている。
 あの第16弦楽四重奏曲を作った作曲者がなんだかサラリと作った曲のように感じるけどもやはりそれなりの苦痛や明鏡止水の心境を感じたりもする。
 どうぞ一度お聴きあれ。
 ベルリン・ソロイスツの演奏で。

# by yurikamome122 | 2015-12-19 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後③ ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調op.135

c0021859_1910571.jpg 死の前年、彼の作った最期のまとまった作品。
最終楽章に「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉が書き込まれている。
 ベートーヴェンは後期の弦楽四重奏では多くの楽章があるものが多きのだけどこれは4楽章に戻っている。
 まるでエレジーのような第3楽章は全く不思議な諦観にあふれているわけです。
 ベートーヴェンは案外後世に自分をどう聴かせるかというコーディネートには長けていたのかも知れない。
 ともかくなにをも語ることが不謹慎であろうと思われるので、そう言う曲だという事のみで、やはりベルリン弦楽四重奏団の演奏で。

# by yurikamome122 | 2015-12-18 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後② ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132

c0021859_3583498.jpg  ベートーヴェンは作曲者自身の人生が音楽に深く関わるようになった最初の偉大な作曲家だと言うことになっているらしい。
 そんなわけで、彼の歩んできた人生の苦難やら恋愛やらなにやらが彼の作風に大きな影響をしているわけで、1813年あたりからのスランプ以降の作品は特に後期に入り、室内楽指向が強まり、その作品群はそれこそ彼でなくてはあり得ないようなと言うところからも超越して諦観と浄化を経た幻想的で透明な響きと透明な心とどことなく宗教的な様相まで呈してくると言うことだと言う指摘もある。
 そんな中でも「ミサ・ソレムニス」と「第9」はその中でも少し様相が違う。それを指摘する専門家もいるし、聴けば私もそう思う。
 がしかし、この2作品のあと、他はやはり最後のピアノ・ソナタの世界がまだ戻ってきて、特にこの1825年作の弦楽四重奏曲第15番は重篤な状況から癒えたと言う(あとから付けたらしい)長大な第3楽章、静かな静かな神への讃美、感謝と喜びは「運命」などとはちょっと違う後期のベートーヴェンの、決して大声で語らなくても深く言葉を心に刻み込ませる老人の語り口の深みだと思う。
 この曲は、最終楽章には合体によりボツになった第9交響曲の器楽版で使う予定だった主題が転用されているらしい。
 演奏は、やっり私にはカール・ズスケがいた時代のベルリン弦楽四重奏団の毅然としたダンディズムと優しさを感じる演奏が一番しっくり来るわけです。

# by yurikamome122 | 2015-12-17 11:08 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後① 6つのパガテルOp.126をブレンデルで

c0021859_18421797.jpg 「第9」に続き完成したのがこれ、ベートーヴェン最後のピアノ曲。
 6つの小品集とはいえ通して演奏することを作曲者は希望している。まるでピアノ・ソナタのように。
 晩年のベートーヴェンの奥深い静かな洞窟の中の泉に手ですくった水のようにまるでカミソリのように手を切りそうに冷たいその水の、すくった手が鮮やかに見える透明感とサラリと零れてゆく無常感、枯淡の境地が聴ける。
 演奏はブレンデルのが一番しっくり来る気がする。
 この作品の第4番ロ短調Prestoはかの「第9」と旋律的輪郭の近似があると言われている。
 1824年5月7日の「第9」の初演の大成功は様々なところで語られているので詳細は記さない。
 その大成功のあと、約2週間後の5月23日に会場をもっと大きくして行われた「第9」再演は聴衆が集まらず失敗をしてベートーヴェンを慌てさせる。初演に集まった聴衆はベートーヴェンを久々に見ようと集まったのであって、あの音楽は結局当時の聴衆には受け入れられるものではなかったようだ。
 その後に保養地へ出掛け弦楽四重奏曲第12番と第15番を完成させている。
 「第9」はというと、その後の経過は、第4楽章を器楽のみのものに書き換えてみようかとか考え始め、でも体調不良のため行けなかったロンドンへほぼこのままの形で送付、1825年3月21日ロンドン初演も理解されなかった。同年4月1日3楽章を省略してフランクフルト初演。5月23日には2楽章を省略し3楽章もカット、4楽章の「おお友よ」の箇所を一部変更してアーヘンの初演。
 弦楽四重奏曲の最後の3曲(第13番、第14番、第16番)を書きながら、大フーガをいじり、「第9」の献呈先をフェルディナント・リースからロシア皇帝アレクサンドル1世にしようとするが既に亡くなり、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に贈ろうとする。
 死の前年の1826年3月2日に1から3楽章のみでライプツィヒ初演。
 完全な形で演奏されなかったこの曲は、聴衆にも演奏者にも理解されなかった。
 同年9月末にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈。11月13日にベルリンで弱冠17才のメンデルスゾーンが音楽家たちの予習のためにピアノ演奏。27日にベルリン初演は完全な形で行われた。
 その後に12月20日にブレーメンで27日にマルデブルクで、翌年ベートーヴェンの死の年の1827年2月20日にはシュテッティン初演、この時にメンデルスゾーンが第1ヴァイオリン奏者として加わっていた。
 そして死の月、3月の9日プラハ初演、15日ウィーン再演となり、26日にベートーヴェンはこの世を去った。

# by yurikamome122 | 2015-12-16 09:00 | 今日の1曲 | Trackback(1) | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」番外編、「第9」と双子の幻の「交響曲第10番」

c0021859_13453131.jpg そもそも「第9」はロンドン行きのためのみならず、ベートーベン自身の作曲の特性として並行して2つの交響曲を書き進めるというのもあって、第10番のスケッチらしきものは1822年あたりから見えてきているけども、1822年の暮れにロンドンのフィルハーモニー協会から新しい交響曲の作曲を委嘱される。ニ短調の交響曲とシラーの頌歌「歓喜に寄せて」に基づく「ドイツ交響曲」として並行して作曲された。
 そして作曲を進めながら締め切りに間に合わなくなってこの2曲を合体させて現在の「第9」の形になったというのは金子建志さんがある本で書いている。、
 で、合体する前の構想はというのは井戸端会議のおばちゃん的には大変興味があり、そして他人の寝室をのぞくような下品なことであるというのも承知の上で、ガーディナーの言うところのドキュメントとしての研究成果でもよいからぜひ触れてみたくなるのが人情であって、かくしてイギリスの作曲家でオルガニスト、音楽学者であり、ベートーヴェンの研究者であるところのバリー・クーパー博士が1990年に補筆完成させた。
 いつの間にか手元には3種類の録音があるけれども、これまた不思議なことに全曲完成されているはずなのに揃って第1楽章しか録音していない。
 駅のKIOSKでなぜか文庫本と一緒に1000円で投げ売りされていたウイン・モリス指揮のものを再び聴いてみたが、ほかのウエラー盤や時々芸大フィルに登場するボストック盤よりも立派な響きがするのだけどその演奏は、というか曲もユルい。
 メンデルスゾーンの出来損ないのようなこの音楽からはとても晩年のベートーヴェンの境地からはほど遠いと思うし、話の種に一度は聴いてもいいけれどと言うたぐいのもの

# by yurikamome122 | 2015-12-15 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」最終回 ベートーヴェン作曲、交響曲第9番Op.125を「バイロイトの第9」で

c0021859_23244047.jpg 今まで約半月にわたって10代のベートーヴェンがずっと温め続けてきたこのテーマと、この曲のためにあったような彼の人生をかいつまんでみた。
 そして、この意志の強さというか、若い頃から揺るがなかった彼の理想を晩年やっと具現した、その強靱さとスケールは、個人的にはやはりクレンペラーの晩年の演奏を第一にこのシリーズの終わりに聴いてみたくなるのだけれども、戦後に復帰したフルトヴェングラーの演奏は、やはり同様に大いに興味をかき立てる存在であった。
 改めて聴いてみて、この演奏の前半の3楽章、特に第3楽章は感銘深かった。第4楽章はドラマだと思う。バイロイト祝祭歌劇場の熱気と恐らくは大編成なのだろう合唱団のスケール感とオーケストラの響きと歌手たちの熱演と。
 聴いているとこのドラマティックで祝典的な高揚感は、この姿こそこの曲にはふさわしいのかも知れない。

# by yurikamome122 | 2015-12-14 23:25 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第13回 ミサ・ソレムニスOp.123

c0021859_6495228.jpg 「第9」への道の最後は「第9」初演時に一緒に初演された「ミサ・ソレムニス」。
 ベートーヴェンのあまり多くない宗教曲の一つで、しかも「実際にミサの式典中に演奏すると儀式とこのミサ曲との調和が殆ど見られない」ため実際のミサで演奏されることはほとんどないのはWikiにも書いてある。「クレド」以降が「歌詞の取り扱い方が伝統的なそれとかなり異なっている」ということらしい。
 クレドのその部分、「ミサ曲のテキストと『ミサ・ソレムニス』」という礒山雅さんの文章にもあるとおり、多くの作曲家が精霊への信仰告白をするところを印象深く作っているのに対し、ベートーヴェンはアッサリ早口で通り過ぎてしまう。
 そしてクレドの動機の力強い再現、その後「Et vitam venturi saecli. Amen.」(来るべき世の命を信ず)から静かに変ロ長調のフーガが開始されるあたりはベートーヴェンの真骨頂で、圧倒的な盛り上がりのあとあ「アーメン」と続く。
 そしてもう一つ、アニュス・デイの 「Dona nobis pacem」(私たちに平和(平安)を与えて下さい)で、再びWikiによれば「トランペットとティンパニによる、戦争を暗示するといわれる不穏な部分が激しく奏される。その後またアレグレット・ヴィヴァーチェに戻り、平和への祈り『ドナ』の部分となり『pacem』が繰り返される」ということで、ここもこの曲の中で強調されている。
 あのころヨーロッパは戦争ばかりやっていた、そんな事への批判と抗議もこの曲に込められていたようにも感じる。
 「心より出て、再び心に帰らんことを」と書かれたこの曲、「第9」の習作という人は少なからずいて、たとえば「グローリア」と「クレド」はソナタ形式になっていると言うことらしく、そのあたりも「第9」と符合するということらしい。
 そして初演、「Et vitam venturi saecli. Amen.」(来るべき世の命を信ず)から「Dona nobis pacem」(私たちに平和(平安)を与えて下さい)で混乱を乗り越え、そして「第9」あのシラーの詩の第4楽章へ続くという大きなプログラムであったわけでした。
 演奏は、ジンマン指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団他のものを。こう書いてきたことが一番音になっている演奏に思うので。
 そしてその後やはりクレンペラーを聴いた。圧倒的。

# by yurikamome122 | 2015-12-14 07:30 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第12回 盟友の歌「すべてのよき時に」 Op. 122

c0021859_17543847.gif 「第9」の前には「ミサ・ソレムニス」があるわけで、この2曲の関係はいろいろと興味深いけど(変ホ長調和音の「神性」象徴など)、素人の私には興味深いだけでその一歩先にはなかなか進めないのが残念。
 で、単純に第4楽章のメロディーだけよく似た曲には、直近では1823年の「盟友の歌」がある。
 内容は残念ながら自分の持っているコッホ指揮、ベルリン放送交響楽団他のCDが輸入盤で持っているためよくわからない。
 これはもう実際にお聴きになり試されたし。


# by yurikamome122 | 2015-12-13 06:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第11回 ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110

c0021859_6191845.gif 「第9」の2年前、1822年の作品。ここまでくるともう後期の深遠さが段違いになってくる。
 第3楽章の宇宙観はもう吸い込まれてゆくしかないのだけど、この楽章こそ「第9」へのゴールが近い事を予感させるわけです。
 PTNAの解説をすっかり引用すると以下の通り。

 第3楽章 序奏 4分の4拍子/フーガ 変イ長調 8分の6拍子、前楽章の終結和音がドミナントの役割を果たし、変ロ短調で開始されるAdagioの序奏は、レティタティーヴォにつづいて変イ短調の「嘆きの歌Klagender Gesang」となる。
 極めて声楽的な序奏に対し、主部のフーガは古い声楽様式ではなく、きわめて器楽的な様式による自由な3声フーガである。
 中間部(第114小節~)で「嘆きの歌」がト短調で回帰し、これを挟んだ後半はト長調となって主題の反行形によってフーガが築かれる。間もなくト短調へ転じ、そこから徐々に対位法的な様式から離れ、主調の変イ長調へ戻ってフーガ主題の動機展開へと発展して楽曲を閉じる。


 この手の解説には私は明るくないのだけれども、つまり、器楽レチタティーヴォ、フーガ、緩徐楽章とフィナーレの融合、器楽的要素と声楽的要素の融合と言う3つの特徴が聴かれるわけで、これこそ。。。。。以下略。
 これももう本当に確固としたものを感じながら、それでいて澄んだ世界観が真冬の星空のようなオピッツのピアノで。

# by yurikamome122 | 2015-12-12 12:33 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第10回 歌曲「婚礼の歌」WoO.105

c0021859_6103985.gif ベートーヴェンはいよいよロンドン行きに向けて動き始める。弟子で秘書だったフェルディナント・リースに宛て、次に冬のロンドン行きとその際に新しい交響曲を持参する旨の連絡をしている。
 そして最後のピアノ協奏曲と「ミサソレムニス」にも筆を進めていた。
そんな時に作曲されたのがこの「婚礼の歌」。テノールで導入されて後に合唱が輝かしく華々しく。
 「第9」4楽章の原型がここに現れたというわけ。
 youtubeを探したけどなかった。多くの場合結婚式にはベートーヴェンだと「第9」をやるようだ。
 ウォルフガング・マトコヴィッツ指揮でヘルマン・プライのバリトンとベルリン・ハインリヒ・シュッツ合唱団。

# by yurikamome122 | 2015-12-11 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 必ず覚えなければならない数値① 

 一級建築士を受験するに当たり、学科Ⅴ「施工」では「用語」と「数値」を押さえることは大変重要です。
 「申請届出、現場管理、地盤調査、土工事、設備工事」の範囲で、比較的出題頻度が高いもの、要注意しなければならないものを抜き出しました。

 表をクリックすれば、欠けた部分が顕れて拡大されるはずです。

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# by yurikamome122 | 2015-12-10 12:00 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第9回 オピッツでベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第 29 番 変ロ長調 Op.106

c0021859_6191845.gif 「第9」は第4楽章で前3楽章の回想が置かれていて、それらを否定して新たな「平等、博愛」という価値観を分かち合おうと言っているわけで、その手法が見られる作品がこれ。
 ベートーヴェンは昨日のピアノソナタ第28番を発表した翌年の1817年頃からあまり体調が思わしくなくなってきた。保養地に行って様々な治療を試みるけどあまり効果はなかった。
 そんな時にロンドンのフィルハーモニー協会からの招待には気をよくして、夢だったロンドン進出がかなうことに期待をしたけど、その条件としてもちろん多額の報酬はあってのことだけど、2曲の大交響曲を作らなければならなかったが、なかなか手を付けなかった。それだけ体調が悪かったのかも知れない。結果、ロンドン行きは今回は見合わせることになった。
 そんな時にロンドンのブロードウッド社から新型のピアノを贈られ、創作意欲をかき立てた。作りかけだったこの第29ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」を完成させる。
 この曲は前半3楽章はそれまで彼が使っていたドイツのシュトライヒャー社製のピアノで作曲を進めたが、残りの4楽章はこのロンドンのブロードウッド社のもので作曲された。この2つのピアノは出る音域が違っていた。と言うわけで当時この曲を全4楽章通して演奏できるピアノがこの当時はなかったし、そしてなによりこの曲を演奏できるピアニストも作曲者ベートーヴェン以外はこの地上にいなかったあたりはWikiに書いてある。
 ところでこのピアノソナタはもう明らかにベートーヴェン後期の世界に入っているわけで、深みも世界も違う。特にながーい第3楽章の美しさは聴いていて困ったものだと思うくらい素晴らしいと思う。澄んだ夜空の星の輝きのようなオピッツのピアノ!!。
 そして第4楽章、このフーガの深遠な世界の前に前楽章の暗示的回想が置かれている。
 この楽章でもオピッツは澄んだ美しい響きを冷たい澄んだ夜空に輝く鋭さで演奏していて、やがてその美しさと拡がりにすっかり飲み込まれてしまうと言う演奏。
 ところで、この頃に諦めてはいないロンドンへの手みやげの(と言うか約束の)2曲の交響曲に着手。一つはニ短調の交響曲、もう一つは声楽入りの交響曲、後に「第9」となる2曲のスケッチが現れる。

# by yurikamome122 | 2015-12-10 09:31 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第8回 オピッツでピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101

c0021859_6191845.gif ベートーヴェンは1813年頃からスランプだったと言われている。そう言われるくらい作品が少なかったわけだ。中期から後期への橋渡しの時期にあたっていて、彼自身の人生にも失恋、弟カールの問題、そしてウィーンのインフレによるベートーヴェンの経済状態の悪化に、更にパトロンであった人たちが彼から手を引いたり亡くなったりしてそれに追い打ちをかけると言う事態になった。彼は金策にかけずり回った。
 また前年にゲーテに会見し、お互いに才能を認め合い、内心その創作に敬意を表しながらもそこは妥協をしない一流の芸術家同士、様々なことが言われているけども、実は結構この二人はその後も交流したりしていたようだ。
 そして、スペインのヴィットリアでイギリスのウエリントン将軍がフランス軍を破ったというニュースが飛び込んで、このあたりから親交のあったメトロノームの発明者のメルツェルからこの出来事をテーマにした作品を依頼される。戦争交響曲「ヴィットリアの戦い」がこれ。これをひっさげてイギリスに進出しようという目論見だった。スランプではあったけど頼まれ仕事はそれなりにこなし続けたわけですな。
 初演はご存じの通り第7交響曲と第8交響曲とともに1813年12月8日に行われてこれは彼としては予想をしない大成功だった。
 翌月に再演をして彼は結構な収入を得て経済的にも一息つき、そうなると廻りも放っておかず、うまくいかなかったオペラ「レオノーレ」を今なら成功するといろいろな劇場から吹き込まれ、実際に大成功だった。
 ナポレオンの台頭とともに幕を開けた充実した彼の中期はナポレオンの敗北という出来事のそのあたりからベートーヴェンの新たな心境へと進んでいくわけでした。
 彼は、この後にしばらくは大作から遠ざかることになる。スランプはまだまだ続いていた。
 1816年、4月にはヤイッテレスの詩による連作歌曲集『はるかな恋人に』作品98を発表する。この曲では第1曲の旋律が終曲である第6曲の後半に回想的に再現され、そして夏に保養の出掛けたバーデンバーデンから帰ったあと、ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101を発表、ベートーヴェンの中期とは明らかに一線を画した深遠な後期への入り口に立ったこの作品、この曲も終楽章主部に入る前に第1楽章冒頭主題が再現的に回想されている。第9への道がここに新たな芽を出したわけですな。
 そしてこのソナタの終楽章展開部に見られるフーガ技法こそ晩年様式の明確なあらわれといわれ、彼はスランプを脱してゆくわけでした。
 このピアノソナタ、弟子のシンドラーに「第1楽章は理性と感情の争い、第2楽章は恋人の会話」と語ったらしいけど、この手の話はあまり信用できない。
貴族の令嬢で大変なピアノの名手、ツェルニーなどと並んでベートーベンの代理演奏をするほどの腕前だったベートーヴェンの愛弟子の一人ドロテアに贈くられた。
 彼女はエルトマン男爵と結婚。しかし夫婦仲が悪く、そのうえ愛児にも死なれ心身ともに疲れ果て実家に戻ってしまったらしい。
 ピアノソナタ28番は後期の精神性の表れと共に、傷ついた彼女を慰めるための曲でもあったのかもしれない。
 演奏はケンプで長らく聴いてきたけど、やはりオピッツで聴いてみたい。

# by yurikamome122 | 2015-12-09 15:40 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 民間連合協定「工事請負契約約款」③

第22条 損害保険
(1)ゼネコンは工事にもしもの事があったときのために火災保険、建設工事保険をかけて、その写しを施主に見せなさい。 

第23条 完成、検査
(1)ゼネコンは工事が終わったら監理者に検査を頼んで、監理者は、なる早で施主立ち会いで検査をする。
第23条の2 法定検査
(5)検査に合格しない理由がゼネコンのせいばかりじゃない時は、施主と監理者、ゼネコンで話し合う。
(6)ゼネコンはその時、施主にちゃんと説明して費用と工期をもらえる。

第24条 部分使用
(1)工事中の建物を施主が使うとき、特に契約にないときは監理者に大丈夫か点検してもらってから、それにかかる日数と費用を話し合ってその分をもらって、それを紙に書いておく。

第26条 請求、支払い、引き渡し
(2)ゼネコンは契約書にあれば工事の途中に出来上がった部分のお金がもらえる。いくら貰えるかというと、その時に監理者が「これだけ出来上がりました」と認めた分の工事費の9割。

第27条 瑕疵の担保
(3)設備や飾りの家具に傷や壊れたところがあるときは、引き渡しの時の監理者の検査で指摘を受けなければ直さなくて良い。

第28条 工事の変更、工期の変更
(3)ゼネコンは施主に工事の内容と金額の変更を提案してもよい。

第29条 請負代金額の変更
(2)変更する工事金は、減らすときは見積もりの金額で、増やすときはその時の相場で計算する。

第30条 履行遅滞、違約金
(1)ゼネコンのミスで工期に間に合わなくなったとき、特に契約書に書いてなければ、遅れた日数で工事金額の年10%で計算した額を違約金として施主はゼネコンに請求できる。

第31条 発注者の中止権、解除権
(2)施主は別途a~hにあげてあるような時は、ゼネコンに工事の中止、契約の解除をすることを紙に書いて知らせる。その時施主はゼネコンに損害賠償をしてもらえるのだけど、ゼネコンにお金がなくなって支払いができない時はあきらめる。

第32条 受注者の中止権、解除権
(1)ゼネコンは次のようなとき、紙に書いて何度も催促しても音沙汰がなければ、施主に工事を中止すると紙に書いて知らせることができる。
a.施主が前払いや出来高払いが遅れたとき。

# by yurikamome122 | 2015-12-09 09:13 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第7回 ゲーテによる3つの歌曲Op.83より第3曲「彩られたリボン」

c0021859_4403248.gif この曲も出だしが思いっきり「喜びの歌」。
 これは合唱幻想曲から2年後1810年の作品。「エリーゼのために」WoO.59を、テレーゼ・マルファッティのために作曲し、彼女に贈る。そしてこの年彼はテレーゼからの婚約を解消される。
 が、ゲーテの信奉者でベートーヴェンの音楽に心酔するベッティーナ・ブレンターノが突然ベートーヴェンの家を訪ねる。ゲーテと親交のある銀行家ブレンターノの義理の妹で、銀行家ブレンターノはベートーヴェンの「不滅の恋人」とされるアントニーエ・ブレンターノの夫であった。この時アントニーエは4人の子持ちだった。
 そんな別れと出会いのあった年に作曲されたのがこれ、ゲーテの若い頃の3つの詩に曲を付けた「ゲーテによる3つの歌曲 Op.83」で、1曲目がまるでユーミンのように切ない想い出や哀しみを感じることに感謝するかのような「悲しみの喜び」、2曲目が恋人への想いを抱き感じることの興奮を歌にしたような「あこがれ」、そして3曲目が恋心を1本のリボンに託すその率直な気持ちを歌った「彩られたリボン」。
 その3曲目の出だしががそのものズバリ。参考までにyoutubeを張っておくので各自試されたし。


# by yurikamome122 | 2015-12-08 11:45 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 民間連合協定「工事請負契約約款」②

第12条 工事関係者についての異議
(1)施主は監理者の話を聞いてゼネコンの現場代理人や主任技術者、専門技術者や従業員、下請けやその職人があまりにもよくないと思ったときは、ワケを紙に書いてゼネコンに何とかしろと言うことができる。

第13条 工事材料、建築設備の機器、施工用機器
(3)検査や試験に合格しない材料や機器はゼネコンで引き取りなさい。
(4)材料や機器は特に何も言われてないときは、普通のグレードものでいいですよ。
(5)ゼネコンは現場に持ち込んだ材料、機器は(余っても)勝手に処分してはいけません。監理者の承認がいります。

第16条 設計、施工条件の疑義、相違など
(1)ゼネコンは次の時はすぐに紙に書いて監理者に知らせなさい。
a.図面や仕様書がよくわからないとや間違っていたとき、図面と仕様書に違うことが書いてあったとき。
c.現場でお宝、地中障害、毒の土のような工事のじゃまになるものが出てきたとき。
(2)ゼネコンは図面や仕様書や監理者の指示が無理難題だったりおかしいと思ったときは、すぐに紙に書いて監理者に知らせなさい。  

第17条 図面、仕様書の通りに実施されていない施工
(2)監理者は図面の通りに作られていない気がするときは、必要なら施主がいいよと言えばゼネコンにわけを話して壊して確かめることができる。
(5)次にあげる時に図面の通りにできなかったときはゼネコンの責任じゃない。
b.施主が持ってきたもの、貸してくれたものを使ったとき、また図面や仕様書にかいてある通りに作ったとき。

第19条 第三者災害
(2)ゼネコンに悪気がなくて、周りの人たちと仲良くやろうと思っているのだけど、仕方がなく出る騒音や振動やその他で近所の家などを壊したり迷惑をかけたときは、施主負担。
(4)作った建物が原因でテレビの映りが悪くなったり日陰ができるときは、それは施主負担で何とかする。そして必要があればゼネコンも解決に協力しなさい。

# by yurikamome122 | 2015-12-08 06:48 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第6回 「合唱幻想曲」を征爾さん指揮のBSOとR・ゼルキンで

c0021859_22103312.jpg 「第9」のあのメロディーは先に紹介したように1794年、24歳の時にベートーヴェンが初めて扱って、この同じメロディーが出てくることで有名な合唱幻想曲でもう4曲目と言うことになる。
 合唱幻想曲は1808年、38歳の時ベートーヴェン自身(結局様々な理由で実らなかったけども)婚約もし、創作に精力的に活躍していた頃。あの「運命」「田園」と同じ年の作品と言うことになるわけで、詩の内容もあのコミックオペラのメロディーが劇的に登場して最後を盛り上げる曲なわけです。
 初演は1808年12月22日、「田園」や「運命」などと一緒に初演された。と言うより半月くらいで急ぎ作曲して取って付けた。だからかどうかわからないけど、この曲はベートーヴェンらしい構成力が散漫だと言うことが言われるらしい。彼はモーツァルトではなかった。
 急ぎ作曲したこの曲、その急ぎすぎは初演の失敗の原因はそこにもあるようだ。
 はさておき、以前にも一度アップをしたけどその時のプログラムをもう一度ここに載せてみる。

公演日:1808年12月22日(木)
開演:18:30
会場:アン・デア・ウィーン劇場

交響曲第5番ヘ長調「田園」
  (初演時は「運命」と「田園」の番号が反対だった)
アリア "ああ、不実なる人よ"(作品65)
ミサ曲ハ長調より、グロリア
ピアノ協奏曲第4番

~~休憩~~

交響曲第6番ハ短調(現在の第5番)
ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
合唱幻想曲

 こんな凄い曲の初演目白押し。
 「田園」でコンサートを開始して天国のような第5楽章のあと歌曲をはさみ、神の栄光を讃える、そして静かな三連符の同じ音で始まる第4ピアノ協奏曲のリリシズムで前半の終わり。
 休憩を挟みその第4ピアノ協奏曲のあの三連符の静かなピアノの出だしが今度は大オーケストラの強奏で、誰かが言った運命が戸を叩く。
 そして意志の力による輝かしい勝利に神への感謝を捧げて、合唱幻想曲。

  快く優しく愛らしき響き
  我らが生のハーモニー
  美の感性を揺り動かして
  花を咲かせる、永遠の花を
  平和と歓喜、親しげにすべり出す

 芸術賛歌でコンサートを締めくくるという、なかなか面白いコンサートではあったのだけど、中味濃すぎ、しかも長い(恐らくは4時間以上はかかってであろうプログラム)、そして寒い、そのうえ取って付けて急遽作曲した「合唱幻想曲」をベートーヴェン自身が演奏を間違えて最後まで修復不可能のままコンサート終了という、結果はもちろん大失敗。

 でも、この流れここでの合唱幻想曲は明らかにこのコンサートの「田園」に対するところの「運命」交響曲の第5楽章的位置づけに思えたりもするけど如何なものだろう。
 前半の「田園」も曲の始まりからゆったりとした「田舎に到着したときの晴れやかな気分」で音楽の流れは決まる。そして「小川のほとりの情景」への流れは「運命」第1楽章で掴み、そして第2楽章でそれをうけて、第3楽章は「田園」も「運命」もスケルツォ。第4楽章は嵐が来て晴れてゆく「田園」に運命の勝利する「運命」。そして「田園」の第5楽章、「喜ばしく感謝に満ちた気分」はこの初演時に演奏された「運命」では神への賛美をはさみ「合唱幻想曲」ではあのコミックオペラのメロディーで高らかに芸術賛歌を歌い上げる。
 ドンピシャでしょう。
 つまりは後半だけで一つの交響曲であったわけですな。

 ところで、交響曲に合唱を入れるというのはこれらの初演の2年前、ゲオルク・フォーグラーという中部ドイツ出身の司祭でオルガニストがBayrische nationale Sinfonie(バイエルン全国民の交響曲と言う訳でいいのかな?)という交響曲に合唱を取り込んで既にお試し済み。ベートーヴェンが「第9」で初めてやったわけではない。
 ちなみに、このフォーグラー神父、携帯オルガンの即興演奏で欧州からアジア、アフリカを旅をしてドイツに戻り、ウェーバーやマイヤーベアなどを育てた。

 演奏は、小澤征爾さんとR・ゼルキンの演奏を聴いてみたけど、オケの巧さはさすが、多少指がもつれ気味のゼルキン翁はそれでも深い芸はつい引き込まれてしまう。
 あたたかく、そして深みのあるこのピアノ、この曲が本当に言い曲だったんだって言う気になってくる。
 そして征爾さん指揮のオーケストラ、征爾さんの響き、あの頃よく親しんだ響き、これが大好きだったのに。

# by yurikamome122 | 2015-12-07 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(5)

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 民間連合協定「工事請負契約約款」①

工事契約の約束事(民間連合協定「工事請負契約約款」)

第1条 総則
(1)施主とゼネコンは平等で決まりを守って信じ合って契約書とこの約款と設計図書(現場説明書と質問回答書を含む)の通りにちゃんと工事をします。

(5)施主は、ゼネコンや設計事務所が、なんでそう設計したのか質問や説明の内容を見たいといったら見せてあげる。

第3条 関連している工事の調整
(1)施主は、他に人に頼んだ他の工事がその工事に影響するときは、ちゃんと調整をしなさい。そして,ゼネコンも他の工事の協力をしなさい。

第4条 請負代金内訳書、工程表
ゼネコンは契約が済んだらすぐに請負代金内訳書と工程表を監理者に出して、請負代金内訳書は、監理者に承認をしてもらいなさい。

第5条 一括下請けの禁止
ゼネコンは工事の全部やほとんどの部分を他の会社に丸投げをしてはいけません。
だけど、アパート、マンションなどの共同住宅を除いて、誰に頼むか紙に書いて施主がいいよと言えばいいです。

第7条 特許権などの使用
ゼネコンが誰かの特許権、意匠権、商標権があるものを使うときは、その責任は(材料を買ってきた)ゼネコンが負いなさい。
だけど、特許権などがあるってゼネコンが知らなかったし、設計図書に特許権などがあるって書いていないものを施主が「使いなさい」といったときは、(しょうがないので)責任をとらなくてもいい。

第9条 監理者
(1)監理者は、監理契約に書なくても、施主の代わりに次の処理をしなさい。
b.ゼネコンから出された質問状を専門的によく考えて答える。
(3)施主とゼネコンは、契約で特に何かなければ、施主とゼネコンの話し合いは原則監理者を通すか立ち会いでやる。

第10条 現場代理人、監理技術者など
(1)ゼネコンは工事の専門家の監理技術者か主任技術者を誰か決めて、名前を施主にちゃんと紙に書いて知らせる。
(2)ゼネコンは現場代理人を決めたときは施主に名前を紙に書いて知らせる。
(3)現場代理人は契約した工事の「金と工期」以外は決められる。
(5)現場代理人は主任技術者、監理技術者も兼ねることができる。

# by yurikamome122 | 2015-12-07 09:49 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第5回 ベートーヴェン作曲、歌劇「レオノーレ」第3幕最終場面

c0021859_533287.gif 歌劇「レオノーレ」というのは「フィデリオ」の第1稿のこと。
 ベートーヴェンが35才、ア・デア・ウィーン劇場に住んでいる時に作ったけどナポレオンがウィーンに攻めてきたためドイツ語のわかる聴衆が誰もいなくなり、フランス人の前での初演だったため言葉もわからず大失敗となってしまった。現在の第3稿になるまで以降10年近くも試行錯誤を繰り返すハメになる。
 これも今となっては「喜びの歌」と日本で言われている、昨日の歌曲「友情の喜び」同様あの例の歌曲「相愛」でも扱ったパリのコミック・オペラのあのメロディを再び扱う。
 歌詞は以下の通り。

 Tyrannenstrenge sei mir fern.
   暴君の厳格さは私の欲するところではない。
 Es sucht der Bruder seine Brüder,
   兄弟が兄弟を求めて、
 Und kann er helfen, hilft er gern.
   救うために喜んで来たのだ。

 Wer ein holdes Weib errungen,
   やさしき妻をもつ者は、
 stimm in unsern Jubel ein!
   われらの歓呼に声を合わせよ。

 合唱で歌われる最後の2行はどこかで聞いたことがある。
 筋はいたって面白くない。
 拘留された政治犯の夫を救い出そうと妻が男の姿(なんで男装という発想になるのかよくわからないけど)になって刑務所に職員として潜り込む。そうこうしているうちに公明正大な偉い人がラッパとともにやってきて、役人の不正が暴かれ夫は釈放されるというもの。
 実は夫も妻もオロオロするだけでなにもやっていない。解決したのはラッパとともにやってきた公明正大な偉い人。
 まるで「水戸黄門」のように悪い小役人が御上に裁かれる。「お天道様はいつも見ている」的しょうもない内容。
 だけどこのオペラ、フランス革命などをまさについさっき通り過ぎた激動のヨーロッパらしく、これほど直截な政治的な事柄を扱ったオペラというのはひょっとして初めてなのではないだろうか。モーツァルトの「フィガロ」でさえ体制批判と言われた時代がそう遠くではないあの時代に、政治犯の夫を助け出すというのは結構大胆な筋だと思う。
 現代日本で時代劇が根強く生き残っているので案外ちょんまげ時代劇風の演出は日本でうけるのかも知れない。
 でも、実はベートーヴェンが讃えているのは「お天道様」ではなくってこの夫婦なのではないのだろうか。
 必ずしもそうではなかったとはいえ、ベートーヴェンにとってはあまり良いとは言えなかった家庭に育った彼は案外「自由」「平等」「博愛」とともに、もっと強く「あたたかな幸福な家庭」に憧れてた気がしないでもない。
 演奏は、1814年版の最終稿「フィデリオ」でもいいのだけど、このフィナーレは実は第1稿から大きく書き換えられているので、さんざん渋って書き換えさせられた第3稿「フィデリオ」ではなくて初演版の「レオノーレ」をブロムシュテット指揮、ドレスデン国立歌劇場の面々で。
 ただ実際はここで演奏されている「レオノーレ」が初演版かどうかは疑わしいかも知れない。いろいろな人の手の入った楽譜で可能性があるのはガーディナーが言っている。
 でも、若きブロムシュテットのスマートで洗練された溌剌とした演奏が、伝統を感じるドレスデンの歌劇場を率いて颯爽とやっているのは聴いていて楽しい。
 そして、ブロムシュテット唯一のオペラの録音。彼は体質的にオペラが合わないらしいのはドレスデンでブロムシュテットの同僚だった若杉弘さんが言っていた。

# by yurikamome122 | 2015-12-06 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第4回 ベートーヴェン作曲、歌曲「友情の喜び」 Op. 88

c0021859_4403248.gif EU国歌であるあの「第9」のメロディーは、なにも「第9」の専売特許ではなく、先の「相愛」WoO.118を皮切りにベートーヴェンの作品で度々登場することになる。
 「オリーヴ山のキリスト」やオペラ、クロイツェル・ソナタなんかをガンガン創り、だんだん作曲家として華々しくなってきた1803年頃、あのアン・デア・ウィーン劇場内の2階の一部屋に住み始めたベートーヴェンは、パリのピアノ制作者セバスチャン・エラールからピアノが届けられた。
 そのころの歌曲で「友情の喜び」というのがあって、それがベートーヴェンがボン時代に親しんだというあの第1回で取り上げた例の歌曲「相愛」WoO.118でも扱ったパリのコミック・オペラのメロディを再び扱う。
 どうも「みんなで」とか「博愛」とかそう言ったものにこのメロディーというのはもうベートーヴェンの中では定番になっていたようだ。

 これが更に進むのは明日のネタなので今日は触れない。
 ワルター・オルベルツのピアノ伴奏でペーター・シュライアーの歌しか持っていないのです。

# by yurikamome122 | 2015-12-05 17:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第3回 ベートーヴェン作曲、ピアノ・ソナタ第 17 番 ニ短調 Op.31/2

c0021859_6383784.gif ベートーヴェンが「第9」を作曲するまでの彼の中で様々なあの曲の萌芽を辿る試み第3回。
 この作品も第2交響曲と同じ1802年の作品。このピアノ・ソナタは第1楽章にペダルを踏んだまま弾くレチタティーヴォの部分がある。これが「第9」の器楽レチタティーヴォの先駆けとなっていると言うことらしい。演奏はオピッツで聴いてみる。
 曲の始まりでペダルを踏んだままで何かを探るような不気味な響きで和音が響く、もうここであの「第9」の4楽章の冒頭を連想してしまう。
 そして再現部の冒頭にペダルを踏んだまま弾くレチタティーヴォがあるというわけ。
 オピッツの澄んだタッチの力強い響きが胸の奥に響く。
 そういえば、ピアノ・ソナタでは第8番「悲愴」で2楽章にはここでも「第9」の第3楽章の芽が聴かれる。

# by yurikamome122 | 2015-12-04 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第2回 クレンペラー指揮でベートーヴェン作曲、交響曲第2番ニ長調Op.36

 この第2交響曲は1802年、ベートーヴェン32才の作品。その頃彼はウィーンにあってだんだん作曲家として認められつつあって私生活も華やかさを増して来つつあり、上げ潮基調のなか突然耳の発作に見舞われる。そして例のハイリゲンシュタットの遺書を書く。
 この曲の第1楽章には序奏の部分にニ短調の主和音がアルペジオで下降する部分は「第9」の予感がここにも見えると言うことらしいのはWikiに書いてある。
 そして主部に入っても「第9」1楽章の主題が出てくるというわけ。
 で、またやはりWikiによれば交響曲に始めて導入したスケルツォ楽章のトリオが「第9」のスケルツォ楽章のトリオに酷似とのこと。
 クレンペラー指揮のニュー・フィルハーモニア管弦楽団とティーレマン指揮のVPOのyoutubeをはめ込んでおくので各自お聴きになりお試しあれ。
 この映像には在りし日の大指揮者、オットー・クレンペラーが若きベートーベンのこの曲をとてつもない巨大スケールで驚くほど雄大に演奏している。
 クレンペラーの指揮のジェスチャーがなんだかもうナントモなのは晩年のベーム以上かも知れないけれども、ともかく凄い。オーケストラの面々も心なしか幸せそうに見える。



 こちらがティーレマン。

# by yurikamome122 | 2015-12-03 21:56 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第1回 ベートーヴェン作曲、歌曲「相愛」WoO.118

c0021859_5413264.gif ベートーヴェンの「第9」のあの詩に出会ったのがまだ10代の1789年、フランス革命の年。彼の本拠地がまだボンのパン屋の上で、母の死の翌々年。そして第9交響曲の完成が1824年だから既に54歳、彼が57歳で亡くなったのが1827年なので彼の音楽人生のほとんどがこのシラーの詩と関わり合っていた一生だったりするのかも知れない。
 その足跡を辿ってみる
 先ずは1795年発表の歌曲「相愛」WoO.118。
 作詞は1700年代中盤から後半に活躍したドイツの詩人、ゴットフリード・アウグスト・ビュルガー。愛をなくした嘆き、そして「相愛」への憧れを歌ったこの曲は、後半相愛への憧れを歌う場面で「合唱幻想曲」のあの「第9」によく似たメロディーが出てくる。
 この曲の詩も「第9」の萌芽を感じるものだし、ここいらへんがあのメロディーの始まりなのかも知れない。
 ところで、その「第9」に似たちょっとヘンテコなこのメロディーはベートーヴェンがシラーのあの詩に出会ったボン大学の聴講生だった頃によく聴いたフランスオペラコミックの中で結構何度も出てくるメロディから取ったらしい。どうりでチャチでヘンテコだと思ったら。
 で、このメロディが使われていた場面というのが、大勢の人間で何かを共に成し遂げようとか、喜びを分かち合おうというシーンだったらしい。
 ベートーヴェンがハイドンへの弟子入りのためウィーンへ出て3年後、ピアノ協奏曲(第2番)などをひっさげてブルク劇場へ演奏家としてデビューをした年の作品でありました。
 ペーター・シュライアーのテノールとワルター・オルベルツのピアノで。

 歌なしのyoutubeはこちら。メロディーだけでもお聴きあれ。
(なぜか先にWoO116が出てきてしまうのだけど、その次に聞けます)

# by yurikamome122 | 2015-12-02 17:45 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベーム指揮、ウィーン・フィル他でベートーヴェン作曲、交響曲第9番(80)

c0021859_17451944.jpg モダン楽器での「第9」は、作曲された当時の古い楽器を使ったもの、誰もがお約束のように言う「ベーレンライター」の楽譜を使う事が主流になっている今となっては賞味期限切れの印象がないではないのだけれども、でも改めてベルリンのカラヤン、ウィーンのベームと並び称されたカール・ベームの死の直前演奏を聴いてみた。
 オケは勿論ベームが連れてきたコンマスのゲルハルト・ヘッツェルを初めとするウィーン・フィル、合唱は国立歌劇場合唱団にジェシー・ノーマンはたぶん全盛期だったんじゃないのかな、それにファスベンダーとドミンゴ、ベームではお馴染みのワルター・ベリーという面々。
 演奏はと言うと、ウィーン・フィルの、70年代から80年代のウィーン・フィルの響き、綺麗ばかりではない猛々しくも無骨な音楽がピンと張り詰めた緊張感を伴って音の綾が紡がれるように旋律が絡み合う中に描かれる世界観は強力な説得力があった。
 なんだろうね、この懐かしくも垢抜けない表情の荒々しい厳しさと、どんどん吸い込まれて静寂の中浄化されてゆくような奥深さの表現の幅の広さは音楽の懐の深さ。
 ベーム本人が自覚していたかどうかはわからないけれど、もうすぐこの世を去る老指揮者が、もう彼の日常になりつつある静寂の支配する彼岸の清澄な突き抜けた世界を音で見せてくれている気がしてくる。
 一連のベームの晩年の録音は、「老害ベームの、よせばいいのに偏屈頑固ジジイの独りよがり」、「手綱の緩んだポンコツ」なんて私は言っていて、全く違う。あの頃は私はいったい何を聴いていたのだろう。そんなこと言った自分の方がよっぽど・・・・・・
 スマートでもないし、どんくさいし、どっちかと言えば田舎くさいイケてない演奏の部類に属する気がするのだけど、特に第2楽章、そして第3楽章の素晴らしく魅力的なことと言ったら。
 な説得力の前では唯々スピーカーから流れてくる音楽に引き込まれて、虜にされてしまうのでした。

 明日から毎日欠かさず10年ぐらい続けていた以前のブログで2012年の12月に入ってシリーズ化した【「第9」への道】を再掲。
 フリーランスになって、自分の部屋で作業をしながら、勉強をしながら、たまにはじっくり音楽を聴ける環境ができたので、ベートーヴェンのボン時代からの晩年の作品である「第9」の頃までこの曲がベートーヴェンの成長と共にどうあったのかを改めて辿ってみたくなったワケです。

# by yurikamome122 | 2015-12-01 17:46 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(2)

金田式DACを更にいじってみる

 金田式DACのAFの部分に電源回路がないことがちょっと驚きだったが、そんなことはさておき、今度はデジタル部分にも目を向けてみると、金田式のパーツはほぼオリジナルとは言え基板そのものはユニバーサルではなくエッジングされたものを使っている。
 グランドはベタアースとなっているので、オリジナルよりはひょっとしたら良いかも知れない。しかもちゃんとデジタル部とアナログ部が分離されている。
 このベタアース部分に関してデジタル部とアナログ部はノイズ遮断回路を入れることにする。そしてまた、各コンデンサとチップは銅板によりシールドを施した。
 これが海の水がどんどん澄んで、色とりどりの熱帯魚が戯れるような珊瑚礁が海面からでも手に取るように見えるような、音が鮮やかになって音の精度は上がっていくように感じるのだけれども、不思議なことにやればやるほどつまらない音になってゆく。混じり合ったオーケストラの音も個々の楽器がこれほど正確に分離したのは聴いたことはないのだけども、定位感も残響も奥に拡がり、まるで部屋の奥にブラックホールでもあるような感じになってしまった。
 実際、以前に別のチップを使ってDACを製作したとき、グランドの取り方、ベタアースの取り方で音がコロコロ変わった。そんな中でこの音は以前にユニバーサル基板からDACを組んだときにアースの取り方で失敗をしたときの感じに近い。ということで、チップ上のシールドの銅板をアースを取ることにしてみたらビンゴ、部屋の奥のブラックホールは消えて、目で見るようなオーケストラの楽器それそれが浮かび上がるような迫力と正確さ、そして録音会場の形や広さを意識させるアンビエンスが豊かに部屋一杯に拡がった。改めてこんな集積回路からは輻射がかなり多いと言うことを再認識。c0021859_6383466.jpg
 また、基板上の3Vの3端子レギュレターと5Vのレギュレターのブリッジダイオードにもシールドと共に接地をするとやはり思ったとおり、音を出した瞬間変化がわかる。
ものはついでで、S/PDIFのカップリングコンデンサのシールドも試みてみた。
 それから、能動素子のシールドと言うことでは、AF部分の整流ダイオードも銅箔巻きによりシールドし、もちろん接地。それからRコアのトランスもコイルの部分に銅板を巻きそれをシールドする。これはプリアンプ製作の時に効果が見られたもの。もちろんこれも接地。スッキリしたけれど音がなんというかリアリティーと言えばそんな感じもしないでもなかったエッジの立った、鮮やかで新鮮な感じのすると言えばそうなのだけれども、私には若干刺激があったように感じたものが、これでそれが全く取れて柔らかで滑らかな、それでいてきめの細かき高品位な音に生まれ変わった。当初の前へ出るような力強く押しの強いパンチのあったこのDACの音は、今では臨場感のある拍手を再生し、当初のリアリティーとは全然次元の違う軽やかな空気感、開放感と柔らかな繊細さと同時にスケール感を伴った恐るべきDACに変わった。

 ブルックナーの交響曲は、大編成でありながら室内楽的に楽器を鳴らし色彩感と透明感を感じるマーラーと違って、それこそ大オーケストラが雄大にユニゾンで鳴るわけで、そのスケール感と迫力と、そこに楽器の重ね合わせで変化する音色とホールトーンの中で繊細にコントロールされるヴィヴラートなどを伴い、長いフレーズをまるで物語を語るように抑揚を微妙に付けつつ呟いたり歌ったりが心臓をロックするのが音楽の感動の幅を拡げる。コーダでは大オーケストラ弦楽器の奥に金管がズラリと並んでのtuttiが見えるよう。
 また、マーラーのアダージョの色彩感に満ちた透明な響きがホールに溶け込んでゆく。
 それに教会でのグレゴリアン・チャントは、ちゃんと天から響いてくるじゃないか。
 それから、長年の懸案だったシュナイト指揮、神奈川フィルの「田園」、キタ。
 これで金田式DACの悪戯はおしまい。この実験結果を安井テイストの次回作DACに反映してみることにする。

 教訓:シールドは必ず接地しろ。

# by yurikamome122 | 2015-11-11 06:40 | オーディオ | Trackback | Comments(0)

金田式DACその後

 金田式DACが、もちろんそれだけでも充分過ぎるくらいクオリティーと見通しのよい音なのだけれども、音の洪水と言えば聞こえはいいのだけども、居酒屋の酔っ払いのような押しの強さともう一息抜けきらない立ち上がりの若干の弱さ、それから出てくる音の刺激をなんとか抑えられないかと改造を試みる。
 さんざんノイズ対策を試みたOP-AMPのI/V変換回路にも僅かながら及ばなかったことからノイズ対策をと言うことで、インダクタを各所に挿入。具体的には、①.DACチップからI/V変換に入るまでではアースラインに、それから正負の出力にはコモン巻きのコイルを挿入、②.電源回路からのノイズの回り込みを防ぐために、アースを含め正負電源ライン、③.S/PDIF入力のコールド側。
 合わせて、S/PDIFには必要帯域外の高周波をカットすべくハイカットフィルターを入れてみた。
 これだけいっぺんにやってしまったので、どれがどの効果かわからないけれども、雰囲気一変、居酒屋の酔っ払いは居なくなった。というか、活気はあったが騒々しい居酒屋が、美味しい酒と新鮮な素材の味を楽しめる小料理屋になったような感じ。高品位で透明、音の手触りが柔らかくなり、滑らかできめが細かくなった。パンチを感じる前へ出てくるような音だったのが、奥へ拡がり前後感が随分出た、そのパンチが前だけに出るのではなく、上下左右前後にエネルギーが放射される度合いがかなり増えたように聞こえる。ソースによっては部屋の壁が抜けたのではと思うようなパースペクティヴが出せるようになった。
 で、でも奥行きが広かったのは良かったとして、安井テイストにはまだ及んでいないのは、この金田式DACは改造前から元々部屋一杯に拡がっては居るのだけれども、その濃さが安井テイストには若干劣るのだったのが、かなり改善されては居るけれども、まだもう少し。そしてやはりまだ少し騒々しい。音の刺激は随分なくなって自然な、部屋とホールが溶け込むような音になりなかなか良いのだけども、パキーンとパワフルなダイナミックさでは今一歩、と言うのは厚めの音と言うよりも、たとえばピアノのヤマハ特有の「キーン」というアタックやスタインウェイの雄大な低音を伴った立ち上がり、オーケストラでのハードスティックのティンパニの鮮やかな「ターン」という感じが安井テイストに比べて若干弱い。そのせいかどうか安井テイストに比べると弦のユニゾンが平面的。録音したホールに溶け込むようなヴィヴラートが今一歩。結果リアリティーでは劣る。フルトヴェングラーのバイロイトの第9ではモノラル録音でありながらバイロイト祝祭劇場の広さを感じるはずが、パワーはあってもそのあたりを感じることができないし、もともと多すぎる人数の合唱の歌詞がやや不明瞭。
 それに、オーケストラの、特にシューマンのオーケストレーションの聞こえにくい音の塊の中の木管と金管がハッキリと判別が難しい。拍手が立たないのは大幅に改善されては居るのだけど、今一歩。中域はなかなか厚いのだけども、もう少し分離が欲しい。
 まぁ、これでも充分すぎなのだけども、部屋の壁が全部なくなってホールになったかと思うようなアンビエンスを再現する安井テイストを聴いてしまっているとやはりねだりたくなるわけですわ。
 次はデジタルの部分を少しいじってみる。

# by yurikamome122 | 2015-10-29 17:48 | オーディオ | Trackback | Comments(0)