ブルックナー作曲、交響曲第8番をハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の81年の録音で

c0021859_2201036.jpg ハイティンクがこの曲を公式に録音したのは何種類あるのかはよく知らないけど、このコンセルトヘボウ管弦楽団で3種類、あとはウィーン・フィル。ドレスデンのシュターツカペレ、あとシカゴ交響楽団やロンドン交響楽団ともなかったかどうか。
 でも81年録音のこの演奏が一番好きなのです。
 オケと指揮者の一体感と言いますか、オケのニュアンスの細やかさというかデリカシーというか、そのあたりここまでくるともうエクスタシーの領域ではないのかと。
 落日の夕日を見るような充実感とやるせなさと、そして懐かしさと。
 響きが途切れるときの込められた想いとか、フレーズの呼吸の生き物のようなぬくもりとか、様々な表情の旋律の綾がいろいろな光を帯びて紡がれてゆく、その立ちのぼるような神秘とか、そんなのは巨匠ハイティンクでも天下のウィーン・フィルを手兵としても、あのドレスデンのシュターツカペレを持ってして、そしてその後にこの楽団に客演したときの録音でもここまでの完成度は結局再現できていないのでした。
 豊かな響きのホールと一体になった、全部がツボにハマった美しいオーケストラの響きは、暗く、重く、そして深い。
 この地上に確かにあった、指揮者とオーケストラの理想的な一体感が音楽を聴いてブルックナーの重厚な神秘の響きに包まれる幸せを味わえる録音を残してくれたことに感謝と、追憶の彼方の記憶を呼び戻すような切なさに包まれる演奏でありました。

by yurikamome122 | 2015-02-21 22:00 | 今日の1曲 | Comments(2)

Commented by pfaelzerwein at 2015-02-22 21:10
この録音と同じ年のアシュケナージとのブラームスを最近入手しました。恐らくこの指揮者と管弦楽団の行き着いた境地だろうと思います。この指揮者が他の管弦楽団を指揮しても同じような管弦楽のバランスに気が付きますが、その狙った音色感がいぶし銀に輝き、その精緻さとともにその和声感とは反対にブラームスの対位法など本質的なところに迫るのはやはり手兵というべきこの高質な管弦楽団ですね。

言い換えれば当時のフィリップスのレ―ベルとともにとても保守的な色合いを醸し出していて、ある種のパンチがその後に求められたのでしょう。実際にこの指揮者の実演に未だに接し得ていないのは、時代から取り残されたようなプログラム構成だからで、「追憶の彼方の記憶を呼び戻すような」既に二十世紀の過去を代表するような存在になっているのもこの指揮者の特徴なのかもしれません。

この録音もデジタル制作でしょうか。80年代のデジタル制作ものを集めていますので。
Commented by yurikamome122 at 2015-02-23 12:20
pfaelzerweinさん、ご無沙汰しております。そしてコメントいただきありがとうございます。
先ず、これはデジタル録音です。フィリップスの優秀なスタッフがコンセルトヘボウ大ホールの響きとともに演奏を豊かに捉えた名録音かと思います。
そして、絶滅危惧種的演奏というのはおっしゃる通りかも知れませんが、残念でもあります。
この楽団もシャイーを経てこの頃の馥郁たる響きは失われて、ハイティンクが後に客演したときの演奏も既に残骸が残るのみでした。70年代の終わり頃から退任する88年までのこのコンビは録音スタッフまでをも含めて極致に達していたように思います。
私自身、数年前ほどピリオド系の演奏にアレルギー反応はなくなりましたが、それでも、聴いたあと自分に何が残るかと言うことで言えば、私には未だにこの頃の演奏を超えるものには出会えません。
ハイティンクもブロムシュテットももうかなりのご高齢、征爾さんもメータも同年代とはいえ、あとはデイヴィスもアバドも今は亡く、果たして。。。。
そして、今は亡きアバドもこのハイティンクでさえベートーヴェンを振るときはピリオドの形式を取り入れているそうです。
これも時代でしょうか。寂しいですが。