ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でブルックナー交響曲全集

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でブルックナー交響曲全集_c0021859_1947939.jpg 昨日、今日はアトリエにこもりきりで明日、明後日、来週の水曜日の講義の勉強をかぶりつきで、その間、ハイティンクの1回目のブルックナー全集を0番から9番まで通して聴いてみた。
 ハイティンクは若かった。1番古い3番を録音したのがコンセルトヘボウ管弦楽団に就任して2年目の弱冠34歳。最後に録音された1番が43歳。
 後に80年代に再録音した7番から9番の演奏からきこえた世界観とは全然違う。
 豊かな響きのアムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールを鳴らしに鳴らし、気の温もりを感じる暖かい響きの木管がさえずるなか、情熱が煮えたぎる弦が熱く歌い、アグレッシヴに金管が吼え、スペクタキュラーに熱く情熱的に、強烈で威圧的で圧倒的な演奏を聴かせている。
 7番や9番のスケルツォ楽章などは、もう溢れんばかりの感情むき出しの地鳴りのような演奏。ハイティンクのうなり声も聴ける6番も滑らかなフレーズに込められたハイティンクの熱いパッションを感じたりもする。
 激しいこれらの演奏をしていた頃は、ハイティンクはまるでバカかチョンのように罵られて、能なしの木偶の坊扱いだった。みんななにを聴いていたんだろう、なかなかどうして、恐ろしい指揮者ではないか。
 この演奏から聴けるのは30代から40代にさしかかったハイティンクの野心と信念のような気がする。9番の1楽章のコーダに加えたティンパニの強打は、私にはその現れにきこえる。
 採用している版は後年の録音のものと一緒のようで、でも1965年に録音された9番でも80年代の録音で聴かれる1楽章のコーダのティンパニの強打はもう早くもお目見えしている。
 この強打は一体どんな根拠があるのだろう。
 それにしても、でもやはりこの9番も8番も7番も聴き応えがあるのはこのオーケストラの美しさとハイティンクの響き、うたいまわし。
 ハイティンクはこの頃、たぶんブルックナーにウムを言わさない圧倒的な絶対神を感じていたのかなとも思った。
 でも後年のこの作曲家から神々しいまでの深々とした拡がりを感じる演奏をする彼の源流はこの録音のもっとも早くに録音された第3交響曲、第4交響曲に感じる憧れのようなものに感じたりもするわけです。

by yurikamome122 | 2015-03-20 19:47 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

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