ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の82年の録音で、マーラー作曲、交響曲第7番

c0021859_6433237.jpg 全集を通して聴いて、やはり気になってコンセルトヘボウ管弦楽団での再録音を聴いてみた。
 69年の全集盤と比べると、曲の彫琢が進んで、より深々とした世界が拡がっているこの曲の演奏で、その神秘的な深みは、まるで漆黒の大宇宙に時には吸い込まれるような、時にはそこいら中に煌めく星屑を眺めるような、時には不気味な気分に憂鬱になるような、そんな風になりながら宇宙をさすらうようなロマンティックな気もしてくるのでした。
 各楽章様々のごった煮のようなこの曲で、ごった煮になった様々な表情の音楽に身を任せて流される心地よさと幸福感。
 コンセルトヘボウ管弦楽団も以前より芳醇で熟成された深い響きをしていると感じる。
 深くくらい響きの中で不思議な暖かさと拡がりを感じるのがこの頃のコンセルトヘボウ管弦楽団だった、まさにその響き。
 これをしてこの録音が出たときの評論家達や大方の評価も、私自身もつい少し前まで音楽的ハイティンクの成長と捉えていた。
 成長と言えば確かにそうなのかも知れない。でも全集を聴き通して改めてこの演奏を聴くと成長と言うより率直だった彼が恣意的になったと感じなくもない。曲に率直に情熱的に向き合っていたのはむしろ以前の録音だったと感じなくもない、私はそう思う。マーラー演奏の伝統のある、恐らくは世界で一番初めにマーラー・オケとなったコンセルトヘボウ管弦楽団でハイティンクの情熱で率直に(これが誤解を招いた、たぶん。彼は何もしていないと、そして何もできない能なしだと)マーラーを表現した全集盤はそれはそれで充分に聴き応えがあったと言うのが私の感想。
 でも、82年のこの演奏は以前の録音から13年を経て、コンセルトヘボウ管弦楽団に21年在任してオーケストラと完全な一体感(と聴き手の私は少なくともそう感じる)で壮年期の53歳のハイティンクが表現しようとしたこの曲の世界だったのだと思う。ハイティンク個人がより強くこの演奏には刻まれていると思うのです。これはもう世界観が違った演奏ではないのか?。これはハイティンクの臭いがする演奏だと思うのです。
 私はハイティンクを誤解していた。70年代後半から80年代、ハイティンクを数少ないハイティンクを評価する評論家の小石忠男さんも「多くの演奏家の場合、再録音しても旧録音の存在意義を失わない場合が多いが、ハイティンクの演奏は必ず再録音したものの方がよいと感じた」と書いていた。ひょっとして小石さんもハイティンクの演奏を正当に評価していたわけではないのかも知れない。
 そしてそれをもっと魅力的にしているのが当時のPHILIPSの録音陣。コンセルトヘボウ大ホールでの豊かな残響がこの曲にピッタリ。自然なパースペクティヴが部屋いっぱいに拡がる驚異的な名録音。たぶん録音もハイティンクの意図する表現に合致したものなのだろうと思う。なんでって、あまりに魅力的すぎる演奏の録音だから。

by yurikamome122 | 2015-04-13 10:10 | 今日の1曲