ジュリーニ指揮、バイエルン放送交響楽団でラヴェル作曲、「マ・メール・ロワ」とこの曲の周辺

c0021859_176544.jpg ミュンヘンの放送局のオーケストラから、ジュリーニが聴かせたマ・メール・ロワは印象的な演奏だと思う。
 会場にフワッと拡がる幻想は精緻に作られたラヴェルの世界そのものかもしれないけど、でもスピーカーを通してでもなお精緻さなど感じさせない、朝靄のように漂う情景と、誰もが持っていたような純粋で澄み渡った感情と、それをなんの疑いもなくあたりにまき散らしていたあの頃の切ない想い出。
 音楽から感じる暖かさよりも、胸の奥からわき出る押さえることのできない何か。音楽を聴いている今この時、幼少の頃に戻った

 ラヴェルは、生まれた年は40年もサン=サーンスの方が早いけど、どちらも1800年代の後半から1900年代の前半に活躍したフランスの作曲家。
 また、どちらもフランスの新古典主義の作曲家で、シニカルな態度を露わにする皮肉屋と言うのも両者共通。また、両者とも先進性のせいかどうか、当時のアカデミズムの審査によるローマ賞には縁がなかった。
 ラヴェルは「水の戯れ」で、サン=サーンスは「死の舞踏」で両者ともリストつながり。
 そして、サン=サーンスの弟子のフォーレの弟子がラヴェル、つまりラヴェルはサン=サーンスの孫弟子となるのでした。
 さらに、遊び心に満ちてたラヴェルの「マ・メール・ロワ」と「ピアノ協奏曲」(相撲で舞の海が時々披露した「猫だまし」よろしく初っぱなパチンと張り手一発、その後も違う調性の同時進行やポリリズムやブルーノートなどなど、技のデパートの面目躍如。しかしながらラヴェル自身「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲した」と言っている)
 サン=サーンスも「動物の謝肉祭」という遊び心を示しているけども。

 「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」の事で、でも「ロンドン橋落ちた」なんかで有名な「マザー・グースの歌」ではなく、「赤ずきん」「シンデレラ」などの作者のフランスの物語作家のシャルル・ペローのおとぎ話集の「ロアお母さんの物語」(マ・メール・ロワ)で、それを英語直訳したのが「マザー・グース」。
 マザー・グースよりマ・メール・ロワの方が年代的にも本家本元で、後のグリム童話にも影響を与えたと言われているとか、ラヴェルのマ・メール・ロワはペローの童話集から題名と物語を採用したけれども、ドーノワ夫人「緑の蛇」より第3曲の「パゴダの女王レドロネット」を、ボーモン夫人の童話集「子供の雑誌」の中の「美女と野獣」を採用したとか、(最後の「妖精の園」はラヴェルの創作)この曲の作曲経緯であるところの、ラヴェルが画家のボナールと友人のゴデヴィスキーを訪ね、ボナールがゴデヴィスキー夫人の肖像画を描いている間に、彼女とその子供2人の子供、ジャンとミミーのためにこの「マ・メール・ロワ」をピアノ連弾曲として書き、この二人の子供に献呈したし、初演もこの二人の子供で行いたかったのだけども、この子らの手に余り1910年の初演は、後に「クープランの墓」を初演するマルグリット・ロンの弟子でパリ音楽院の学生であった2人、当時11歳で後にここの教授となるジャンヌ・ルルーと14歳のジュヌヴィエーヴ・デュロニーが行った事や、こんな私的な作品であったので、一般に聴かれるものではなかったが、1911年にラヴェル自身で管弦楽版に編曲され、その後に芸術劇場の支配人のジャック・ルーシェからの依頼で、1912年に《前奏曲》と《紡ぎ車の踊りと情景》、《間奏曲》を書き加えて管弦楽に編曲し、ラヴェル自身の台本によるバレエ作品として公表、大成功だった。---などというのはもちろんよく知られた話。
 ただ、この曲をよく聴いているうちに、どうしても子供の頃にタイムスリップするこの仕掛けを探ってみたくなった。もちろん私なんぞにラヴェルのインスピレーションの神髄なんか当然感じることなんかできるわけもないのだけど、でもそういう子供のような気持ちにさせるのもこの曲なのだと思う。
 そしたら、当たり前だけど、改めてラヴェルのオーケストレーションは凄かった。

 この曲は劇中劇として物語が進む。
 オリジナルのピアノ版では1曲目の「眠りの森の美女のパヴァーヌ」で王女の「眠り」によって始まったこのおとぎ話の中のおとぎ話は、王子の登場と王女の「目覚め」、すなわち「妖精の園」の壮大なフィナーレによって結ばれる。
 今回演奏されるであろう管弦楽によるバレエ版では、同じ劇中劇の形式をとっているが、ラヴェル自身の台本により、ペロー版「眠りの森の美女」により構成が近づき、また「前奏曲」、「紡車の踊り」を加え、曲順を入れ替え、そして各物語の前に間奏を配置した。
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前奏曲、第1場「紡ぎ車の踊りと情景」、第2場「眠りの森の美女のパヴァーヌ」

 舞台は妖精の園、お城のファンファーレが遠くきこえる中、紡ぎ車の棘に刺さり100年の眠りに落ちる。そして王子様の手によって目覚めるように魔法をかけられる。なんとか彼女を目覚めさせようとするが、誰も彼女の目を覚ますことができなかった。
 パヴァーヌとはヨーロッパで 16 世紀から 17 世紀初頭にかけて大流行した宮廷舞曲で、17 世紀に入るとやがて消えていった。ゆったりとした二拍子系で曲が進む。
 このゆったりと重々しい雰囲気で静かに始まるメロディーは、聴いていて心地よいエオリア旋法という五音階で書かれていて、なので素朴な印象を持ち、しかも静謐。
 終始ゆったりとp-ppで演奏され、たった一度だけ mf が出てくる以外は常に静けさに包まれている。冒頭のたった一小節の動機から生成され、「ゆりかご」のように繰り返され、同時に四つ以上の音が鳴ることはなく、八分音符以上の早い音符は登場しない。「伴奏の同じ音型の繰り返し」、「親しみやすいメロディー」、「抑揚のないゆったりとした音楽」はすなわち「子守歌」そのもの、簡潔な音楽はまさに静かな「眠り」。

 バレエの舞台では、二人の侍女が王女を寝かせ、ローブを脱いで、仙女ベニーニュに変身した老女は、現れた二人の黒人の子供に王女の眠りを小話でなぐさめるように命じる。
 そして二人の子供は「美女と野獣」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」の三つの物語をこれから演じる。

第3場.「美女と野獣の対話」

 この曲は物語の原作者ボーモン夫人の「美女と野獣」に沿って作曲されている。「美女の登場」「野獣の登場」『美女と野獣の対話』「二者のワルツ」「魔法と変身」という物語の流れ。
 管弦楽版では場面が変わったことを示すインパクトのある間奏曲の後に、非常に流麗なリディア旋法で書かれた「美女の主題」がお目見えする。
 ppで始まる穏やかなワルツに乗ってクラリネットが「優しく、感情をこめて」(doux et expressif)奏でられる。
 すると非常に短いフェルマータの後に突如グロテスクにコントラファゴットにより低い音で「野獣の主題」が登場する。
 調性感の保たれた優雅な「美女」と、低音域で奏でられることによって非常にグロテスクで調性感が希薄になりリズムもとりずらい「野獣」の2つのテーマが対話を行う。
 野獣が現れた後の「美女の主題」は高い音に寄りがちで、しかも調性的な安定感を失い、そして美女の主題のはるか下方では「野獣の主題」が不気味な上昇をしている。
 二つの主題が同時に奏でられることはほとんどなく、美女が野獣を恐れて「対話」をしていることが表現されている。
 ところが、ffで前半部の頂点が築かれ後半に入ると急速にラレンタンドして初めのテンポに戻り、二つの主題が同時に奏でられる。調性に基づく「美女」の主題と無調的半音階の「野獣」の主題の二つの主題は当然ながら美しく重なることない。
 不器用に音域的に近づいたり、離れたりすることを繰り返しながら音楽はワルツを踊りながら展開し、「野獣」は音域を徐々にあげて速度を速め、逃げる「美女」の主題に迫り、緊迫して早くなり、ついに二つの主題はぶつかり、全休符の完全な静寂に聴衆の耳がひきつけられたのち、幻想的なグリッサンドが現れ、「野獣」に魔法がかかったことが示され、その後、ヴァイオリンのソロの高音域で美しい姿に変身した「野獣」の主題が奏でられ、「美女」の主題も現れると幸福に音楽は主和音で締めくくられめでたしめでたし。

第4場.「親指小僧」

 シャルル・ペローの童話を下敷きにした作品で、貧しさゆえに森に捨てられた小さな少年「おやゆび小僧」は森へ入っていく途中に帰り道がわかるようにパンくずを道に少しずつまいていく。
 この不安な道のり、弦とオーボエなどのよりだんだん伸びてゆく奇妙な変拍子で奏でられるどこまでも続く暗い森の小道。
 森の真ん中で兄弟たちと眠ってしまった「おやゆび小僧」だったが、次の日になってみると、なんとまいておいたパンはみんな鳥が食べてしまった。幻想的な鳥の声がそれを示している。

第5場.「パゴダの女王レドロネット」

 ドーノワ夫人の「緑の蛇」を題材にしたこの曲は、入浴する「パゴダの女王レドロネット」を楽しませるために、男女の首振り人形たちがクルミやアーモンドでできた楽器を使って踊ったり音楽を奏でたりすると言う筋書き。
 中国風の五音音階を基にシロフォンやグロッケン、チェレスタといった「おもちゃ」の楽器が使われている。
 パリ万博でヨーロッパにお目見えしたガムランの影響からか、ピアノの踊り出すような強いリズムなども駆使し、「おもちゃ」という要素に東洋への志向、エキゾティスムを加えることにより「おとぎ話性」を強調し、またフレーズの最後に入るスタッカートなどで、細かく複雑な動きが磁器でできたおもちゃの家臣たちのにぎやかな様子を見事に表現している。
 最後は中国音階に含まれるすべての和音が打ち鳴らされ、にぎやかに終曲となる。

終曲「妖精の園」

 最後の物語が終わると再び遠くで城のファンファーレが響き、フロリーヌ王女の眠る妖精の園では鳥の声が聞こえ、愛の神に連れられて王子が登場する。彼は眠っているフロリーヌを発見する。夜が明けると同時に王女は100年の眠りから目覚め、二人は結ばれ、皆から盛大に祝福される。

 遠くで鳴り響くファンファーレで始まった後、pp で始まった音楽は、まるで母親のお腹の羊水の中を漂うような素朴で安定感と安らぎのあるハ長調で始まる。優しさと感傷的な美しさに満ちて、生まれたばかりの赤ちゃんの皮膚のような気高く繊細で絶妙な上昇と下降を繰り返す。朝焼けを思わせるような凝縮された透明で神秘的な音は、ここでは幾つかの小節を除けば凝縮されて4つの音しか同時に鳴ることはない。
 木霊のような印象的なハープのアルペジオの後、オーケストラたちの天使が舞い降りる中、朝露の輝きのような音色に包まれてヴァイオリンのソロが高域で美しく奏でる。その音色による旋律の後にアルペジオ、高音域の旋律、様々な楽しく美しい思い出が次々あふれ出すように教会旋法、激しい転調、三連符と八分音符の交差、ここで聴き手は優しく抱かれた母親の笑顔とともに幻想的な異次元の世界を感じ、聖域となった幼少の思い出に触れる。
 再びハ長調で満たされた現実へと舞い戻った旋律は徐々に下降したのち、再び上昇をして小さくなりながらリテヌートし、後半部へと入る。まさにこの瞬間 pp で鳴り響く和音の美しさ。
 そして、鐘の鳴り響くさまを思わせる音型が聞えるなか、息の長いクレッシェンドをしながら和音を増やし、日の出のように上昇していき、きらびやかなグリッサンドが激しく駆け巡る頂点では、聴き手は胸の内に湧き上がる間違えなく自分自身の追憶の彼方の甘美な世界の前に立ちすくむ。
 たぶん、私の間近をラヴェルの神髄が通り過ぎた。

 「これは幼少時代の庭であり、人間の心の庭園である。涙を流しながら思い出す使い古した昔のおもちゃ、そこにふれるやいなや壊れてしまうような過去といった、幼少時代のすべての夢幻劇遙」(オリビエ・メシアン)

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 「お嬢さん、あなたがいずれ素晴らしい名手になり、私が勲章にまみれるか、あるいは誰からも忘れられた頭の固い老いぼれになる頃、あなたはその天分でもって、まさしくそう演奏されるべき解釈で、ある芸術家に、彼の作品のひとつを聴かせた、快い想い出をお持ちになっているでしょう。
 あなたの子どもらしい繊細な「マ・メール・ロワ」の演奏に,千度の感謝を贈ります。」

 初演後にラヴェルがジャンヌ・ルルへ宛てた手紙
 (1910年4月21日)

by yurikamome122 | 2015-06-16 04:06 | 今日の1曲 | Comments(0)