ベーム指揮、ウィーン・フィル他でベートーヴェン作曲、交響曲第9番(80)
モダン楽器での「第9」は、作曲された当時の古い楽器を使ったもの、誰もがお約束のように言う「ベーレンライター」の楽譜を使う事が主流になっている今となっては賞味期限切れの印象がないではないのだけれども、でも改めてベルリンのカラヤン、ウィーンのベームと並び称されたカール・ベームの死の直前演奏を聴いてみた。
オケは勿論ベームが連れてきたコンマスのゲルハルト・ヘッツェルを初めとするウィーン・フィル、合唱は国立歌劇場合唱団にジェシー・ノーマンはたぶん全盛期だったんじゃないのかな、それにファスベンダーとドミンゴ、ベームではお馴染みのワルター・ベリーという面々。
演奏はと言うと、ウィーン・フィルの、70年代から80年代のウィーン・フィルの響き、綺麗ばかりではない猛々しくも無骨な音楽がピンと張り詰めた緊張感を伴って音の綾が紡がれるように旋律が絡み合う中に描かれる世界観は強力な説得力があった。
なんだろうね、この懐かしくも垢抜けない表情の荒々しい厳しさと、どんどん吸い込まれて静寂の中浄化されてゆくような奥深さの表現の幅の広さは音楽の懐の深さ。
ベーム本人が自覚していたかどうかはわからないけれど、もうすぐこの世を去る老指揮者が、もう彼の日常になりつつある静寂の支配する彼岸の清澄な突き抜けた世界を音で見せてくれている気がしてくる。
一連のベームの晩年の録音は、「老害ベームの、よせばいいのに偏屈頑固ジジイの独りよがり」、「手綱の緩んだポンコツ」なんて私は言っていて、全く違う。あの頃は私はいったい何を聴いていたのだろう。そんなこと言った自分の方がよっぽど・・・・・・
スマートでもないし、どんくさいし、どっちかと言えば田舎くさいイケてない演奏の部類に属する気がするのだけど、特に第2楽章、そして第3楽章の素晴らしく魅力的なことと言ったら。
な説得力の前では唯々スピーカーから流れてくる音楽に引き込まれて、虜にされてしまうのでした。
明日から毎日欠かさず10年ぐらい続けていた以前のブログで2012年の12月に入ってシリーズ化した【「第9」への道】を再掲。
フリーランスになって、自分の部屋で作業をしながら、勉強をしながら、たまにはじっくり音楽を聴ける環境ができたので、ベートーヴェンのボン時代からの晩年の作品である「第9」の頃までこの曲がベートーヴェンの成長と共にどうあったのかを改めて辿ってみたくなったワケです。
by yurikamome122 | 2015-12-01 17:46 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(2)
最晩年のリハーサル風景などを観ると、とても透徹した意識が働いているのが分かりますね。「疲れて指揮台で眠っていた」などとはまた違う次元のお話かと。日本公演のVIDEOなどを今繰り返して観ると、「ギャラ次第」とか言われましたが、日本の聴衆の老人愛護精神ゆえではなく、「そうした意識を聴衆と共有している」とご本人も感じていたのを確信します。
そんな今こそ彼の演奏を忘れないようにしたいと思いました。カラヤンもベームも戦争を体験した世代ですが、自身の置かれた立場も戦争によって様々な業を背負った世代と聞いています。昨今の流麗かつ華麗で優美な演奏や蹴たぐるように荒々しくも爽快な演奏にはカラヤンやベームなどに聴かれた何か今一歩が聴けないのは、やはり戦争にまつわる人としての業の深い経験がないからかもと思ったりもします。
勿論戦後世代の私なんぞが僭越にも言うべきことではないかも知れませんが。