ベートーヴェン「第9への道」第6回 「合唱幻想曲」を征爾さん指揮のBSOとR・ゼルキンで

c0021859_22103312.jpg 「第9」のあのメロディーは先に紹介したように1794年、24歳の時にベートーヴェンが初めて扱って、この同じメロディーが出てくることで有名な合唱幻想曲でもう4曲目と言うことになる。
 合唱幻想曲は1808年、38歳の時ベートーヴェン自身(結局様々な理由で実らなかったけども)婚約もし、創作に精力的に活躍していた頃。あの「運命」「田園」と同じ年の作品と言うことになるわけで、詩の内容もあのコミックオペラのメロディーが劇的に登場して最後を盛り上げる曲なわけです。
 初演は1808年12月22日、「田園」や「運命」などと一緒に初演された。と言うより半月くらいで急ぎ作曲して取って付けた。だからかどうかわからないけど、この曲はベートーヴェンらしい構成力が散漫だと言うことが言われるらしい。彼はモーツァルトではなかった。
 急ぎ作曲したこの曲、その急ぎすぎは初演の失敗の原因はそこにもあるようだ。
 はさておき、以前にも一度アップをしたけどその時のプログラムをもう一度ここに載せてみる。

公演日:1808年12月22日(木)
開演:18:30
会場:アン・デア・ウィーン劇場

交響曲第5番ヘ長調「田園」
  (初演時は「運命」と「田園」の番号が反対だった)
アリア "ああ、不実なる人よ"(作品65)
ミサ曲ハ長調より、グロリア
ピアノ協奏曲第4番

~~休憩~~

交響曲第6番ハ短調(現在の第5番)
ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
合唱幻想曲

 こんな凄い曲の初演目白押し。
 「田園」でコンサートを開始して天国のような第5楽章のあと歌曲をはさみ、神の栄光を讃える、そして静かな三連符の同じ音で始まる第4ピアノ協奏曲のリリシズムで前半の終わり。
 休憩を挟みその第4ピアノ協奏曲のあの三連符の静かなピアノの出だしが今度は大オーケストラの強奏で、誰かが言った運命が戸を叩く。
 そして意志の力による輝かしい勝利に神への感謝を捧げて、合唱幻想曲。

  快く優しく愛らしき響き
  我らが生のハーモニー
  美の感性を揺り動かして
  花を咲かせる、永遠の花を
  平和と歓喜、親しげにすべり出す

 芸術賛歌でコンサートを締めくくるという、なかなか面白いコンサートではあったのだけど、中味濃すぎ、しかも長い(恐らくは4時間以上はかかってであろうプログラム)、そして寒い、そのうえ取って付けて急遽作曲した「合唱幻想曲」をベートーヴェン自身が演奏を間違えて最後まで修復不可能のままコンサート終了という、結果はもちろん大失敗。

 でも、この流れここでの合唱幻想曲は明らかにこのコンサートの「田園」に対するところの「運命」交響曲の第5楽章的位置づけに思えたりもするけど如何なものだろう。
 前半の「田園」も曲の始まりからゆったりとした「田舎に到着したときの晴れやかな気分」で音楽の流れは決まる。そして「小川のほとりの情景」への流れは「運命」第1楽章で掴み、そして第2楽章でそれをうけて、第3楽章は「田園」も「運命」もスケルツォ。第4楽章は嵐が来て晴れてゆく「田園」に運命の勝利する「運命」。そして「田園」の第5楽章、「喜ばしく感謝に満ちた気分」はこの初演時に演奏された「運命」では神への賛美をはさみ「合唱幻想曲」ではあのコミックオペラのメロディーで高らかに芸術賛歌を歌い上げる。
 ドンピシャでしょう。
 つまりは後半だけで一つの交響曲であったわけですな。

 ところで、交響曲に合唱を入れるというのはこれらの初演の2年前、ゲオルク・フォーグラーという中部ドイツ出身の司祭でオルガニストがBayrische nationale Sinfonie(バイエルン全国民の交響曲と言う訳でいいのかな?)という交響曲に合唱を取り込んで既にお試し済み。ベートーヴェンが「第9」で初めてやったわけではない。
 ちなみに、このフォーグラー神父、携帯オルガンの即興演奏で欧州からアジア、アフリカを旅をしてドイツに戻り、ウェーバーやマイヤーベアなどを育てた。

 演奏は、小澤征爾さんとR・ゼルキンの演奏を聴いてみたけど、オケの巧さはさすが、多少指がもつれ気味のゼルキン翁はそれでも深い芸はつい引き込まれてしまう。
 あたたかく、そして深みのあるこのピアノ、この曲が本当に言い曲だったんだって言う気になってくる。
 そして征爾さん指揮のオーケストラ、征爾さんの響き、あの頃よく親しんだ響き、これが大好きだったのに。

by yurikamome122 | 2015-12-07 23:59 | 今日の1曲 | Comments(5)

Commented by pfaelzerwein at 2015-12-08 19:48
「征爾さんの響き、あの頃よく親しんだ響き、これが大好きだったのに」 ― 八十の誕生日の新聞記事等を読みました。そこでは、小澤の29年のボストンの仕事が、当時の大指揮者に含められる根拠として、ベルリンの終生音楽監督選考などを例示として、評価されています。

要するに、「あの頃の響き」が「大指揮者時代」と深く関係しているのではないかということで、そのように考えても「フォン・カラヤンや征爾の響き」との現在の管弦楽サウンドとの相違が明らかになるかと思います。そしてそうした二十世紀後半の時代の終焉が管弦楽団活動にも顕著で、音楽複製メディアということでもデジタルメディアへの転換にも深く関係しているのでしょう。

その意味から、先ほど挙げられていた評判の良い「レオノーレ」の録音などもDDR公社のアナログのヒスノイズも含めて、現在のデジタルサウンドで再生すると歴史的な録音となりますね。冷戦時代の歴史的録音ですね。
Commented by yurikamome122 at 2015-12-09 10:10
pfaelzerweinさん、いつもありがとうございます。
あの頃の響きはクリアさよりも音楽全体の神秘的である意味呪術的と言って良いかどうかわかりませんが、世界観を演奏家の人としての深みを武器に聴き手に迫り語る響きがあったように思います。
最近アバドの2度目のマーラー全集を入手して(なんと4000円以下)聴いていても何か複雑な気持ちにならざるを得ませんでした。
私には儚さを麗しくスマートにロマンに映し出すようなイメージのアバドだったのですが、70年代から80年代前半のアバドのそんなことを感じるような印象が多くが90年代に録音されたベルリン・フィルとの2度目の全集では、それをも「儚く楽しかった過去」になっているような印象なのです。カラヤンが70年代にベルリン・フィルで慎重に(この世のものとは思えないほど美しくも切なく悲みと憧れに満ちて)進めていたマーラーを、あっさりと儚くも楽しかった思い出にしてしまっているような印象でした。そのことがあの演奏から受けた感銘の一つになっていることは確かでした。
デジタル時代に録音された音源の特徴と思うのはそういった時代に符合しているのは確かですね。技術の進歩が、より世界中を一体化し平準化して、結果没個性化してしまったのは否めないかも知れません、そして価値観まで結果として画一化の動きはもう止めるすべもないのかも知れません。
征爾さんのあの響き(その中に本人が意識していたかどうかは別としてカラヤンがモデルとしてあったことは事実のような気がします)にミュンシュやバーンスタイン張りの情熱を込めて私に迫ったボストンとの初めに録音したマーラーの1番は、今の彼ですらそういう演奏はしなくなりました。(それは、実は恐らくは70年代の初めから征爾さんが元々求めていたベクトルがそういう方向だったからと感じていますが)
ドレスデンでもあの頃と比べると奏者が地味になった気がします。ベルリンの壁が崩壊してあの頃に巧い下手は別にして、聴き応えのある演奏をしていた団体は東側にたくさんあったのですが、急速に姿を消しました。
あの頃が録音技術としてアナログの一つの究極の技術を持っていた時代だったこと、それが個性が急速になくなっていくその直前に間に合ったことは感謝をしないといけませんね。
Commented by yurikamome122 at 2015-12-09 10:11
ちなみに、下手の横好きオーディオ機器の製作販売を最近手がけておりまして、クリアであるけれども、音楽的ではないようにも感じるデジタルの響きの原因はだいぶわかってきました。
パソコンや携帯電話、生活家電などに囲まれた生活環境で演奏再生するアナログ再生装置よりもデジタル臭のないデジタル再生を行えるようになりました。
それで様々な録音を聴くと、デジタル時代に入って台頭してきた若手の演奏は、CDなどの再生機器ではどうせ再生できないであろうと思ったかどうかは知りませんが、同じ曲の同じフレーズでまさにその場で行われている事の密度は明らかに少ない人が多いです。
Commented by pfaelzerwein at 2015-12-09 14:26
「ミュンシュやバーンスタイン張りの情熱を込めて」は、欧州でのカラヤンと、特に後者の下での修業は必ず書き加えられます。ここから実はある意味新旧でのライヴァルでもあった「二人の先生」の歴史的な意味が、恐らく同時代性の共通点としてそこに映し出されるような気がします。

「あの頃の響きはクリアさより神秘的」は、但しその前の時代から考えると明らかに流線型で(確か吉田秀和はその後の世代を形容するのに使っていた)、粒立ちの良い、耳に馴染む響きでもあったのですが、ここで更に次の若い世代のアバドの改革が出てきますね。

例えばシカゴ響との「儚さを麗しくスマートにロマンに」が「儚く楽しかった過去」になった感覚は、私がベルリンのアバド指揮に関心を持てず、録音もラディオ放送以外では殆ど所持していない理由です、残念ながら変革の本当の果実は本人が摘めなかったのかもしれません。病気だけが理由ではないでしょう。

「デジタル臭のないデジタル再生」で「その場で行われている事の密度は明らかに少ない」と聞くのはとても興味深いです。言葉を変えれば、スタディオモニター並びにディジタル化でポストプロダクションの編集作業も全く変わり、管弦楽自体もマスよりもデテールが吟味されることになるので、例えばベルリンの楽団のソリスツがそれだけに厳しくなり、弦楽でも更に粒だった柔軟なボーイングが必要とされ、求められるようになったのは「密度の高いカラヤンサウンド」などの合わせ熟れた響きや表現ではなくなったということでしょう。

本題の第九から外れてしまいましたが、「再生機器ではどうせ再生できないであろうと思ったかどうか」の大衆化ともどこか係わりがあるのかどうか?
Commented by yurikamome122 at 2015-12-09 17:34
pfaelzerweinさん、ベルリン時代のアバドに関して、やはりそうお感じでしたか。その後のルツェルンでの一連のシリーズも彼自身「内なる耳を得た」と言っていたようですが、どんな境地なのか是非と思っているところです。
アバドが行った改革は、今どんなところで開花しているのでしょう。今のベルリン・フィルはどうでしょうか。ドレスデンもアムステルダムのコンセルトヘボウもなぜか魅力がなくなっている気がしないでもないのですがどうでしょう。
80年代に、当時の征爾さんが「飛行機がいけない、飛行機のせいだ」と言ってこの事態を予言していましたが、今は飛行機どころではなく瞬時にデジタル信号で世界中に浸透してしまいますから。
征爾さんの昨今は、なんだかえらく透明な演奏を目指しているようで、年齢的なものや、オケがサイトウキネンというせいかもしれませんがロマン的な暖かさより枯山水のような清澄さの方向に向かっているように感じます。確かに大きな説得力を持つ一つの世界ではあります。でも普遍よりも個性の方向のような気もします。ここで挙げた頃はまだ(ひょっとしたらそういうベクトルでを目指していたのかも知れないけど)情熱が遠赤外線の熱を放射していました。今は突き抜けちゃいましたね。

「再生機器ではどうせ再生できないであろうと思ったかどうか」の大衆化ともどこか係わりがある=と言うことはいくら何でもですかね。自分で言っておきながら、そこまで聴き手を馬鹿にしているわけないでしょうね、きっと。
昔、ハンス・ユルゲン・ワルターと言う人の演奏が随分出回っていましたが、その後あの人はどうしましたか、恐らくは60年代前半の録音でデジタル録音などあるわけないあの頃、デジタル臭をまき散らすようなササクレだった固い弦楽器と金管楽器で、それこそチャルメラのような木管が印象的でしたがあの人はどんな再生装置でもやはりヘンテコでしたかね。