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(まえの続き)
さあ、これでやっとベートーヴェンが1番から5番、7番が手に入りました。
ラインナップは
第1番 バーンスタイン/VPO
第2番 トスカニーニ/NBCso
第3番 スイトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
第4番 バーンスタイン/VPO
第5番 カラヤン/BPO(BPOとの第1回目の全集に入っていたもの)
第6番 なし
第7番 ブロムシュテット/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
第8番 なし
第9番 なし
次は6番です。これはある雑誌でベームがいいと、これに限るという記事があり、迷わずベームにしました。確かにVPOの魅惑の音がとても素晴らしく、以前に電気店で聴いたカラヤン/BPOよりも私にはしっくり来るものでした。これは、今でもデフォルトになっています。ただ、例のレコード店のお爺さんにはあまりいい評価ではなかったようでした。
ところで、その頃私はマーラーにハマりました。これの初体験が小澤のBSOとの「巨人」でした。演奏ですがすがしく、そして美しく夢のような世界が拡がる音楽でした。お約束の怒濤のようなコーダもあり、大きなオーケストラを聴く快感でした。2番も聴きたくなります。これはある時、FMでアバドがVPOとのライブを聴きました。超~感動しました。さっそくアバドの演奏を買おうと思ったのですが、売り切れてなかったので次善としてメータ/VPOを買いました。これは私には大当たり。オケの美しさ、合唱の深み、独唱のうまさ、その大伽藍のようなグラマラスな響きは大いに私を満足させました。しばらくベートーヴェンはお休みで、マーラーにハマる日々が続いたのです。これが、またこうなるとハイドンやモーツアルトが聴けなくなって、かなり耳が偏ってきたのはこの頃からでした。
そして、12月になったので、またベートーヴェンに戻り、8番をおいておいて9番に手を伸ばすことにしました。ここで私は大失敗をしました。ある雑誌で決定版はフルトヴェングラーのバイロイトの第9だとあったのです。それを真に受けて迷わずそれを買い求めたのですが、聴いてみたら私にはあまりに主観的な演奏で、なかなか受け入れられないものでした。確かライナーに「大宇宙のようなスケールの」とか「コーダのアッチェレランドはこうあるべき」などという書き方のも抵抗を覚えました。しかし、私の感性が悪いのかと一生懸命何度もこの演奏で感動しようと頑張りましたが、相容れなかったようです。そのときに出会ったのが、ハイティンクでした。80年録音のライブ録音でこれは私にはとても感動的に聴けました。つまり、評論家が何を言おうといろいろな人がどういおうと結局自分が聴くのだから自分が判断しなければいけないのだと感じました。しかしそのハイティンクの第9を私が選んだときのそのレコード店のお爺さんがとても嬉しそうだったのは覚えています。
(つづく)
私がなぜクラシックを聴き始めたか
私がどういうふうに音楽を聴いてきたか①
どういう経緯でクラシックを聴きはじめたか、ちょっと私には興味のあることです。相互リンクをさせていただいているベートーベン43さんの記事、もっと早く読めば良かった。
オイラと音楽 ①
さあ、これでやっとベートーヴェンが1番から5番、7番が手に入りました。
ラインナップは
第1番 バーンスタイン/VPO
第2番 トスカニーニ/NBCso
第3番 スイトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
第4番 バーンスタイン/VPO
第5番 カラヤン/BPO(BPOとの第1回目の全集に入っていたもの)
第6番 なし
第7番 ブロムシュテット/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
第8番 なし
第9番 なし
次は6番です。これはある雑誌でベームがいいと、これに限るという記事があり、迷わずベームにしました。確かにVPOの魅惑の音がとても素晴らしく、以前に電気店で聴いたカラヤン/BPOよりも私にはしっくり来るものでした。これは、今でもデフォルトになっています。ただ、例のレコード店のお爺さんにはあまりいい評価ではなかったようでした。
ところで、その頃私はマーラーにハマりました。これの初体験が小澤のBSOとの「巨人」でした。演奏ですがすがしく、そして美しく夢のような世界が拡がる音楽でした。お約束の怒濤のようなコーダもあり、大きなオーケストラを聴く快感でした。2番も聴きたくなります。これはある時、FMでアバドがVPOとのライブを聴きました。超~感動しました。さっそくアバドの演奏を買おうと思ったのですが、売り切れてなかったので次善としてメータ/VPOを買いました。これは私には大当たり。オケの美しさ、合唱の深み、独唱のうまさ、その大伽藍のようなグラマラスな響きは大いに私を満足させました。しばらくベートーヴェンはお休みで、マーラーにハマる日々が続いたのです。これが、またこうなるとハイドンやモーツアルトが聴けなくなって、かなり耳が偏ってきたのはこの頃からでした。
そして、12月になったので、またベートーヴェンに戻り、8番をおいておいて9番に手を伸ばすことにしました。ここで私は大失敗をしました。ある雑誌で決定版はフルトヴェングラーのバイロイトの第9だとあったのです。それを真に受けて迷わずそれを買い求めたのですが、聴いてみたら私にはあまりに主観的な演奏で、なかなか受け入れられないものでした。確かライナーに「大宇宙のようなスケールの」とか「コーダのアッチェレランドはこうあるべき」などという書き方のも抵抗を覚えました。しかし、私の感性が悪いのかと一生懸命何度もこの演奏で感動しようと頑張りましたが、相容れなかったようです。そのときに出会ったのが、ハイティンクでした。80年録音のライブ録音でこれは私にはとても感動的に聴けました。つまり、評論家が何を言おうといろいろな人がどういおうと結局自分が聴くのだから自分が判断しなければいけないのだと感じました。しかしそのハイティンクの第9を私が選んだときのそのレコード店のお爺さんがとても嬉しそうだったのは覚えています。
(つづく)
私がなぜクラシックを聴き始めたか
私がどういうふうに音楽を聴いてきたか①
どういう経緯でクラシックを聴きはじめたか、ちょっと私には興味のあることです。相互リンクをさせていただいているベートーベン43さんの記事、もっと早く読めば良かった。
オイラと音楽 ①
(前からの続き)
高校生から大学に進学して、親元を離れ一人暮らしを始めました。もう1日中音楽を聴いても文句を言う人はいません。まずはベートーヴェンの交響曲を全曲集めることから始めました。これは以前からそう言うことに詳しい友人の助言とこの前まで埼玉の「彩の国さいたま芸術劇場」で偉い人をやっていた御仁の本を買い、さっそく1番から。いかんせん情報不足、資金不足。図書館にも通いましたし、立ち読みもしました。某書店の音楽関係の本を買わずに読破してしまいました。
そのなかでベト1は私は悩んだ末にバーンスタイン/VPOを選びました。4番とのカップリングだったので一挙に2曲そろいました。実際聴いたことを無い曲を選ぶのですから、こんな無謀なことはありません。しかし、初めて聴くベト1とベト4は私が思っていた「運命」「英雄」「合唱」のベートーヴェン像からは随分離れていたのでした。近寄りがたいものが急に身近になりました。
学生街にある老人のやっていたレコード店で2番を悩んでいたら、その老人が私に7番を勧めるのです。なぜかわかりませんが。で、買わされたのがブロムシュテット/ドレスデンのものでした。豊かにオケをならし際だった木管の音色、毅然とした決意のように響くティンパニ。ニュアンスに富んだ金管、特にホルン。そうしてアリ地獄を思わせる執拗に繰り返すぶんぶん唸るコントラバス。この曲の刷り込みがこの演奏でした。求めていたクラシックの響きでした。
そうしたら、気をよくしたそのご主人、「英雄」にスイトナー/ベルリン国立歌劇場の演奏を私に売りつけました。これが、柔らかな何ともいい味を持った演奏だったのです。それまでカセットで聴いていたメータ/NYPのものとは全く違うではないですか。面白いと思いました。ただ、ほんとうに満足行くものではなかったですね。そのご主人も「英雄」は難しいといっていましたが、今でも私にはこの曲のデフォルトはありません。
2番は、というと、これはどうもベートーヴェン演奏にはフルトヴェングラーとトスカニーニのふたりが2大巨頭で迷ったときは初心者ならどちらかを聴けばよいのだと思ってしまい、そのなかで、トスカニーニは1200円でした。迷わず手にしてそのご主人に訊いてみると、にっこり笑っているのでこれは名盤に違いないと思って買い求め聴いたらこれがまた凄い演奏。これには嵌りました。手に汗握ります。今でもこれはデフォルトです。(つづく)
私がなぜクラシックを聴き始めたか
高校生から大学に進学して、親元を離れ一人暮らしを始めました。もう1日中音楽を聴いても文句を言う人はいません。まずはベートーヴェンの交響曲を全曲集めることから始めました。これは以前からそう言うことに詳しい友人の助言とこの前まで埼玉の「彩の国さいたま芸術劇場」で偉い人をやっていた御仁の本を買い、さっそく1番から。いかんせん情報不足、資金不足。図書館にも通いましたし、立ち読みもしました。某書店の音楽関係の本を買わずに読破してしまいました。
そのなかでベト1は私は悩んだ末にバーンスタイン/VPOを選びました。4番とのカップリングだったので一挙に2曲そろいました。実際聴いたことを無い曲を選ぶのですから、こんな無謀なことはありません。しかし、初めて聴くベト1とベト4は私が思っていた「運命」「英雄」「合唱」のベートーヴェン像からは随分離れていたのでした。近寄りがたいものが急に身近になりました。
学生街にある老人のやっていたレコード店で2番を悩んでいたら、その老人が私に7番を勧めるのです。なぜかわかりませんが。で、買わされたのがブロムシュテット/ドレスデンのものでした。豊かにオケをならし際だった木管の音色、毅然とした決意のように響くティンパニ。ニュアンスに富んだ金管、特にホルン。そうしてアリ地獄を思わせる執拗に繰り返すぶんぶん唸るコントラバス。この曲の刷り込みがこの演奏でした。求めていたクラシックの響きでした。
そうしたら、気をよくしたそのご主人、「英雄」にスイトナー/ベルリン国立歌劇場の演奏を私に売りつけました。これが、柔らかな何ともいい味を持った演奏だったのです。それまでカセットで聴いていたメータ/NYPのものとは全く違うではないですか。面白いと思いました。ただ、ほんとうに満足行くものではなかったですね。そのご主人も「英雄」は難しいといっていましたが、今でも私にはこの曲のデフォルトはありません。
2番は、というと、これはどうもベートーヴェン演奏にはフルトヴェングラーとトスカニーニのふたりが2大巨頭で迷ったときは初心者ならどちらかを聴けばよいのだと思ってしまい、そのなかで、トスカニーニは1200円でした。迷わず手にしてそのご主人に訊いてみると、にっこり笑っているのでこれは名盤に違いないと思って買い求め聴いたらこれがまた凄い演奏。これには嵌りました。手に汗握ります。今でもこれはデフォルトです。(つづく)
私がなぜクラシックを聴き始めたか
私が初めてクラシックというものに開眼したのは今をさかのぼること30年位前、中学1年生頃になります。それまでは、当時はやっていた沢田研二やアグネス・チャン、山口百恵、など、あとカーペンターズ、バート・バカラク、ビートルズなどが私のアイドルであり日常でした。
でも皆が嫌がっていた音楽の時間の鑑賞は私にはまったく違和感がなく(時たま聞かされる「森の水車」みたいな音楽には閉口しましたが)、感想文を書かされるのは大の苦手でしたが(自分のブログを持ってこんなに好き勝手な感想のような妄言を書くなんて思っていませんでしたが)いつも楽しみでした。私にクラシックを聴く土壌はあったのかもしれませんね。
ところで、オーディオに興味があった私には時々遊びに行く電気店があり、全部で数百万もする装置から聴く音楽のリアルさに驚いたものでした。
そこで私はお店のご主人にヴィヴァルディの「四季」を聴かせてもらいました。私が当時知っている「四季」は、「春」の1楽章だけでしたが、聴いたことあるそれが終わりしばらくつまらないところが(私が興味を持てないところが)続き、「冬」の2楽章に入ったときとても優雅な音楽に驚きました。少なくとも「春」の1楽章よりよっぽど魅力的に感じました。ひょっとして、もっと楽しい事もあるのか?。次に聴かせてくれたのが「運命」でした。そう思って聴くと1楽章はいつもの「あれ」はまあそのまま聴き、2,3楽章もまあまあ素敵。ところが4楽章、「カッコいいじゃん!!」これも驚き、1楽章の鈍くさい音楽ではなく、全てから開放されたような輝かしい音楽に大いに感動しました。と、今度はそのご主人、調子に乗り「新世界」を聞かせました。「遠き山に日は落ちて」です。これも初めて聴く4楽章のワイルドな生命力に大いに感動。私には「家路」よりもはるかに刺激的でした。
その時に、その電気店で過ごした半日は、私にとって大変な転機となりました。クラシック音楽が急に宝の山に見えてきたのです。そう思いそれから音楽室や図書館、その電気店に通い「田園」も有名な冒頭ではなく6楽章の平安がこの曲の白眉であること、モーツアルトの40番、これの4楽章の木管の掛け合いのスリル、春の祭典のジャズやロックなどよりもはるかに刺激的なビートによるリズムの興奮、バッハの「4台のチェンバロのための協奏曲」の建築を思わせるような構成感、「ロ短調ミサ」の「グローリア」の最後の合唱の喜び、そこに響くバロックトランペットの確固たる確信、確かに宝物がいっぱいでした。しかし中にはつまらない音楽もありました。私には、ブラームスなどがそうでした。しかし、それも何度も聴いているうちに二つの旋律の掛け合い、低音の動きの面白さ、これが聞えてきてからは急にまた世界が広がりました。音楽にはハーモニーというものがあると初めて感覚としてわかったのです。2つのメロディーが重なり合いひとつのハーモニーになる。その楽しさはまた聴く側にも演奏に参加しているかのような楽しみを教えてくれたのです。それからはもう音楽が私の人生からは切っても切れない大切な宝物となったのです。(つづく)
でも皆が嫌がっていた音楽の時間の鑑賞は私にはまったく違和感がなく(時たま聞かされる「森の水車」みたいな音楽には閉口しましたが)、感想文を書かされるのは大の苦手でしたが(自分のブログを持ってこんなに好き勝手な感想のような妄言を書くなんて思っていませんでしたが)いつも楽しみでした。私にクラシックを聴く土壌はあったのかもしれませんね。
ところで、オーディオに興味があった私には時々遊びに行く電気店があり、全部で数百万もする装置から聴く音楽のリアルさに驚いたものでした。
そこで私はお店のご主人にヴィヴァルディの「四季」を聴かせてもらいました。私が当時知っている「四季」は、「春」の1楽章だけでしたが、聴いたことあるそれが終わりしばらくつまらないところが(私が興味を持てないところが)続き、「冬」の2楽章に入ったときとても優雅な音楽に驚きました。少なくとも「春」の1楽章よりよっぽど魅力的に感じました。ひょっとして、もっと楽しい事もあるのか?。次に聴かせてくれたのが「運命」でした。そう思って聴くと1楽章はいつもの「あれ」はまあそのまま聴き、2,3楽章もまあまあ素敵。ところが4楽章、「カッコいいじゃん!!」これも驚き、1楽章の鈍くさい音楽ではなく、全てから開放されたような輝かしい音楽に大いに感動しました。と、今度はそのご主人、調子に乗り「新世界」を聞かせました。「遠き山に日は落ちて」です。これも初めて聴く4楽章のワイルドな生命力に大いに感動。私には「家路」よりもはるかに刺激的でした。
その時に、その電気店で過ごした半日は、私にとって大変な転機となりました。クラシック音楽が急に宝の山に見えてきたのです。そう思いそれから音楽室や図書館、その電気店に通い「田園」も有名な冒頭ではなく6楽章の平安がこの曲の白眉であること、モーツアルトの40番、これの4楽章の木管の掛け合いのスリル、春の祭典のジャズやロックなどよりもはるかに刺激的なビートによるリズムの興奮、バッハの「4台のチェンバロのための協奏曲」の建築を思わせるような構成感、「ロ短調ミサ」の「グローリア」の最後の合唱の喜び、そこに響くバロックトランペットの確固たる確信、確かに宝物がいっぱいでした。しかし中にはつまらない音楽もありました。私には、ブラームスなどがそうでした。しかし、それも何度も聴いているうちに二つの旋律の掛け合い、低音の動きの面白さ、これが聞えてきてからは急にまた世界が広がりました。音楽にはハーモニーというものがあると初めて感覚としてわかったのです。2つのメロディーが重なり合いひとつのハーモニーになる。その楽しさはまた聴く側にも演奏に参加しているかのような楽しみを教えてくれたのです。それからはもう音楽が私の人生からは切っても切れない大切な宝物となったのです。(つづく)
昨夜のテレビでパートナーと自転車で世界1周し、ゴールしたら結婚の約束をしていたカップルの女性がゴールが見えてきたところで走っている最中出血、子宮癌になってしまった。でも子供ができなくなっても二人は結婚し、困難に立ち向かいいまでも走っている。愛の力だね。
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