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暑中お見舞い申し上げます。ノーマン・デル・マー指揮、ボーンマス・シンフォニエッタでディーリアス作品集

c0021859_18132759.gif暑中お見舞い申し上げます。

 盛夏の候 皆様方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 当方もおかげさまで、無事つつがなく過ごしております。
 酷暑の折、皆様方におかれましては熱中症などにならぬよう何卒ご自愛のほどお祈り申し上げます。

 およそ30年前、東北の地方都市に住んでいた私は、今時期、部屋にクーラーなどあるわけもなく(住んでいたところが東北だからではなく、関東でもクーラーがそう普及していたわけでもなかった。そういう時代だった。)朝から30度くらいになるその地方都市では、というか、あの頃音楽雑誌やFM放送でも「夏に聴く音楽」というのが必ず企画としてあって、定番としては今でも覚えているのはヘンデルの「水上の音楽」とかレスピーギの「ローマの泉」とか。
 これらの曲はタイトルだけはいかにもなんだけど、ヘンデルなどは騒がしいばかりで暑苦しく個人的にはいただけないし、それならブルックナーの7番などの方がよっぽど爽やかな気がしたし、「ローマの泉」にしてもオケが鳴りすぎるのだよ。そして、間違ってもA面の1曲目に入っているからすぐに針が下ろせると思ってオーマンディーのLPなど掛けてはいけない。静かに曲が終わって余韻に浸っていると、いきなり古代ローマの皇帝ネロのキリスト教迫害の時代の残虐な祭りが阿鼻叫喚のどん底へと突き落としてしまうのであったから。
 あとはというと、今ひとつ話題としては地味だったけど、それでもFM放送では結構流れていたディーリアス、ヴォーン=ウイリアムスなどのイギリス音楽で、東北に居たせいか、手に入ると言えばビーチャムかバルビローリなのだけど。
 そこでも、ヴォーン=ウイリアムスのや「海の交響曲」や「南極交響曲」などをチョイスする馬鹿者がいて(「南極交響曲」の方が幾分かはマシだが)、あの曲のどこが涼しいのかとそこに座らせて小一時間・・・・・・・
 それから七夕に掛けてホルストの「惑星」などと、だったらいっそワーグナーやブルックナーやマーラーでもかけてくれた方が暑い夏に激辛を食べるような効果が期待できたのではないかと思ったりもした。

 夜更かしして遊びすぎ、でも暑くて7時過ぎにはもう寝ていられなかった学生アパートでの気怠い朝にはやはりディーリアス。そしてビーチャムも悪くないのだけどビーチャムの弟子のノーマン・デル・マーの演奏が今は好み。
 しかもご近所への手前も気にしながら、それでも部屋を閉め切るのは耐えられず、玄関も窓も全開で遠慮がちに聴いていたあの頃とは違い、外回りをして汗のしみたシャツを着替えて、クーラーの涼やかな風に当たりながら、ウイスキーのロック片手に豊かな拡がりを感じる音量で聴くノーマン・デル・マーのディーリアスはまた格別。
 どうぞ皆様方、お試しあれ。

平成27年盛夏

by yurikamome122 | 2015-07-28 18:14 | 今日の1曲 | Comments(2)

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」をストコフスキー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団で

c0021859_64837100.jpg どうも軽く見られるフシがある「新世界」、人に言わせると8番の方がいい曲だとか、俗っぽいとか、でもそんなこと言うならマーラーの方がもっと俗っぽいような気もする。
 そんなことよりもドヴォルザークのメロディアスな旋律に様々に絡み合った旋律の綾がきこえてくると、その精緻さに興味が沸いてきて、征爾さん(発売当時、わざわざウィーンの音楽監督になって「新世界」でもなかろうと思った征爾さんの新世界なんだけど、本番での成功は立ち読みした「レコ芸」にも載っていて、ついつい手に取りレジへ)、メータ、カラヤンにジョージ・セル、ブルーノ・ワルター、スイトナー、そしてストコフスキー(90才過ぎてから録音したヤツ、さすがストコフスキーだった)まで一気に聴いてしまった。
 伸び縮みするテンポはストコフスキーが若かった頃は誰でもやってたことなんだろうし、響きを煌びやかに演出する改変なんて、聴き応えありますゼ。第1楽章のコーダの金管はビックリしたり、第4楽章での展開部の思いっきり落ちるテンポに追加されたシンバルはコーダで大活躍、最後、銅鑼の響きが夕暮れのお寺の鐘のように響き、そしてラストの余韻は様々な楽器を重ねてある。
 ショウマンシップややりすぎって言うのは簡単だけど、この曲のツボを押さえてとっても解説的に聴き所を解りやすく、聴き手がポイントを逃さないようにくっふしてあるように思うのだけどな。
 実は個人的に私には「遠きビルに日が落ちて」にきこえる「遠き山に日は落ちて」で有名なこの曲の2楽章は、実は猛烈な鉄道ヲタクであったドヴォルザーク(ドヴォルザークのアレグロはどうも爆走する蒸気機関車を連想するのです)の活躍したニューヨークの息吹を感じ取ったりするのですが、それが合っているかどうかはさておき、誰でも音楽の時間に聴かされたこの曲に関しての解説は大体において以下のようなもの。
 「新世界から」の「から」は当時「新世界」と言われていたアメリカ「から」なんであって、ドヴォルザークがアメリカの学校で教鞭を執る傍ら、故郷に思いを馳せつつ、ドヴォルザークにとっては新しかったアメリカの音楽にインスパイアされて作った、「ドヴォルザークの故郷ボヘミアへの音楽の手紙」。だから、初演当初からアメリカの音楽からの引用があるのではないかという疑惑は持たれていた。が、ドヴォルザーク自身は「アメリカの旋律の精神に従って書いたのは事実だが、そのまま引用はしていない」と言っている。
 というのは、いろいろなところで読んだこともあるだろうし聞いたことがあるよく書かれるこの曲のプロフィールなのです。でもそんなことを言うなら、弦楽四重奏曲「アメリカ」やチェロ協奏曲だって同じ事、この曲がよく聴かれるあまりに総花的な理由として、なんだかよく解ったようで解らない。
 
 で、もっと曲をよく聴き、眺めてみると、それはウケるべくしてウケるワケがだんだんと、ちょっとだけ私にもきこえてきた。
 ドヴォルザークが「新世界から」では、先ず曲の冒頭、第1楽章の序奏はヴィオラとコントラバスの憧れに満ちたチェロのメロディーで聴く人にノスタルジーをかき立て、そしてそれにフルートとオーボエが静かにそれに応え、そして突然のドラマティックな盛り上がりから第1主題を予告しながら序奏のクライマックスを迎え、冒頭に強烈なスフォルツァンドのアクセントの付いた弦のピアニシモのまるで草原を思わせるような静かなトレモロで主部に入り、遠吠えのようなホルンの奏でる第1主題から主部に突入。つまりノスタルジックな導入で思いを馳せながら、突然拡がる草原の大パノラマってワケ。この第1主題がアメリカ的とかチェコの民族的とかいろいろと言われているところ。
 第1楽章が激しく力強く終わったのを受けての第2楽章もここの管楽器群で奏でられる厳かで神秘的な序奏は、激しい第1楽章から第2楽章への橋渡し。これは、この楽章のあの有名なノスタルジーをかき立てる憧れに満ちた主題よりも更に大事な部分。この後続く第3楽章、第4楽章への序奏の意味もある。
 第3楽章での見事にメリハリと歯切れのよく本題へ突入する序奏の後、主題はフルートとオーボエによって奏でられた後、1小節遅れてのクラリネットのエコー、カノンの手法、ノスタルジーをかき立てる。
 そして第4楽章の激しい本題への熱狂を期待させる序奏の後のフルオーケストラの叩き付ける和音の後の力強いトランペットの第1主題、そして全曲でたった一回だけ響くシンバルの後の第2主題の息の長いクラリネットの望郷のメロディー。その後の盛り上がりの行き着く先はふるさとへ帰った喜びに満ちあふれたような盛り上がり。
 そしてその後に展開部ではまるで様々な出来事を回想するかのように前の3つの楽章の主題が回想され、再現部からスケールの大きい集結部のここでも登場する全3楽章の主題を回想しつつ傲然と情熱的に曲を閉じるが、そこに余韻までちゃんと残している。
 ドヴォルザーク自身、前作では採用しなかった前奏をここでは効果的に使っているのは、ウケ狙いなのかどうなのか、そういえば、この曲は8番で採用しなかったハイドン以来の規範的なソナタ形式を採用している。
 そればかりではない、実は各楽章の主題はおよそその登場の前に予告がされていたり、変形があったりして、各楽章それらが有機的に結びつき統一感を出している。
 つまり、もちろんブラームスが羨んだほどのドヴォルザークメロディーが素晴らしいのはに加え、音楽の常套手段を模範的に使いこなした王道の作曲技法による音楽と言うことで、そこに込められたドヴォルザークのインスピレーションが何の障害もなく聴き手にスルリスルリと流れ込むという仕掛けになっているのでありました。

by yurikamome122 | 2015-07-14 06:50 | 今日の1曲 | Comments(0)

アイヴズは楽しくないと。アイヴズ作曲、交響曲第2番をMTT指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団で

c0021859_10385894.jpg 数年前、ヒラリー・ハーンのリサイタルを聴いた。そこで演奏された曲の中にアイヴズのヴァイオリン・ソナタがあった。彼女の演奏するアイヴズは、彼女自身の美貌と知的な佇まいで、超絶技巧を駆使して、パッと聴くと難解に感じるアイヴズは、アイヴズの感じた時代や大自然の風景を大自然そのもののように唐突だったり冗長だったり不可解だったりしながら、でもヒラリー・ハーンの演奏はそれをスカッと鮮やかに私たちの前に拡げて見せてくれた。ヒラリー・ハーンは、知的な演奏とその所作で、まるで私たちに「アイヴズは楽しくないといけないのよ!」と言っているようだった。私も、アイヴズは楽しくないといけないと思う。

 交響曲第2番はアイヴズの入門編で取り上げられる機会も多い曲だと思うのだけど、たとえばリュドヴィク・モルロー指揮、シアトル交響楽団の演奏はライヴ録音のようで、終演後に盛大に拍手とともにブラボーと笑い声が入っている。どう?、本場アメリカ人だって楽しんでるじゃないか。
 アイヴズ自身こう言っている、「この作品は、1890年代のコネチカット州のこの近辺(ダンバリー、レッディング)の民衆の気持ちを音楽的に表現したものである。つまり田舎の民衆の音楽という訳だ。これには当時彼らが歌ったり演奏した曲がいっぱいつまっていて、そのうちの数曲をバッハの旋律と対位法的にからませるのは、粋なジョークみたいなものじゃないか、と考えた」、やっぱりジョークだって。
 この曲を初演したのがバーンスタインというのは有名な話で、アイヴズはというと、なぜか初演には立ち会わず、その放送を聴いていたそうだけど、そのときのバーンスタインの苦労は素人の私でもちょっとは感じる。というのは、あの当時のバーンスタインがマーラーにしたのと同じようなスタンスでアイヴズを演奏している。様々なところを強調して解説的に、「ここはこんなに面白いところがありますよ」、「ほら、ここ、ここ、よく聴いて」、「ここが聴き所、いいかい」みたいに。だから実際に初演に使われた楽譜がバーンスタイン自身の手の入ったものではないにしろ、その演奏解釈というものがあるのなら、「バーンスタインの解釈も、第2楽章や終楽章に致命的なカットを加えたり、アイヴズの速度記号を無視したり、最後の野次るような不協和音を引き伸ばしている」(wikipedia)わけで、それはその後にスタンダードになってしまったフシがあるのは、その時代に録音されたオーマンディーやメータも同様に引き延ばしている。
 テンポ設定も全然違う、バーンスタインもオーマンディーも結構ゆっくり、第5楽章はカットありで9分17秒のバーンスタイン、オーマンディーは10分35秒。でもヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団はなんと8分9秒。アイヴズ協会の会長のマイケル・ティルソン・トーマスはアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団との演奏ではカットなしで9分48秒。もっともMTTは途中の「藁の中の七面鳥」のメロディーが伴奏でなるノスタルジックな部分で思いっきりテンポを落としてしみじみやっているので、主部はタイミングで予想するよりも快速で進む。
 そして、「最後の野次るような不協和音」はヤルヴィもMTT もスカッと短く切り上げている。たぶんこっちが本当なんだろうと思う。
アイヴズは(ヒラリー・ハーンと征爾さんのおかげで)個人的に大好きな作曲家なんで、2番も集中的にいっぱい聴いてしまった。バーンスタインはやはり初演者の責任を十分に果たすべく、この曲のポイントを思いっきりロマンティックに誇張して教えてくれた。
 でも今この曲を聴くなら、私が「楽しかった」のはやはりヤルヴィとMTT。ヤルヴィはあの乱痴気騒ぎの第5楽章がお見事に整理されて、そのわかりやすさはまるでディズニー映画のよう。でもロマンティックで心にしみる、そしていっくら楽しいとは言え、やはりアメリカ的知性を感じるのはMTTはアメリカ人だった。

 アイヴズが音楽家の道を選ばず、保険会社の経営者として辣腕を振るいつつも、趣味で作曲を続けていたということ、作品はイェール大学在学中から40代中頃までに集中していること、またそんな経緯から、実はあまり実際に演奏することなど考えて作曲をしていなかった。だからその楽譜にはいろいろと支離滅裂なところや意味不明なところ、演奏不可能な点がある。さらには改訂癖で後世が版の問題で悩んで迷惑しているブルックナー以上に自作に手を入れて、彼自身どのヴァージョンが最終なのか、何番目のバージョンなのか解らないこともあった(実際、出版社から出版されるに当たり、そんないい加減なことはないと思うのだけど)なんて言うことはアイヴズのプロフィールとしてはよく聞かれる話。
 今回演奏されるこの交響曲第2番から4年後に作曲された第3番は、グスタフ・マーラーの目にとまり、マーラーはこの曲をヨーロッパで演奏しようとしたが、マーラーの死去によりそれはかなわなかったなんて話もある。
 また、アイヴズという人は、かなり奇異な曲を書いた人のような印象があるのかもしれない。指揮者が3人も必要な曲を作ってみたり、街角からきこえてくる様々な音楽をいっぺんに曲の中にブチ込んで、それらをいっぺんに聴かせるもんだから、聴いてるこっちは何を聴かされているのかよくわからない。
 もっとも、街角の音楽や様々な民族的素材を音楽に組み入れるのは、バルトークなんかもやっていて、もっと古くはベートーヴェンだってやってるし、それほど実はビックリするような手法ではないのだけど、ごった煮を作るような無造作に感じるあたりがこの人らしいところ。アメリカの風景がいっぱい詰まっている、そしてアメリカ的な自由をその音楽から感じてしまう。

 この曲が作られたアイヴズがまだ23歳のイェール大学に在学していた頃のアメリカはというと、南北戦争が終わって、保護主義工業先進側の北軍の勝利、リンカーンの奴隷解放がアイヴズの生まれる約11年前という時代、ヨーロッパの様々ないざこざもあって、アメリカは独立時の13州から急速に領土を拡げた。
 大陸横断鉄道も開通して先住民のインディアンを迫害しながら西部開拓時代が始まり、そのまっただ中の1874年にアイヴズはアメリカの独立時の13州のうちの一つのコネチカット州のダンベリーと言う町で生まれた。
 アイヴズ16歳の時にインディアンの制圧を完了し、西部開拓時代が終わりを迎え、その頃はトーマス・エジソンなども活躍していた第2次産業革命のアメリカは経済的にもめざましく発展し、景観としては随所に田舎の風情や情緒を残しながらも、近代化、工業化も進み、未だに国王や貴族たちがいざこざを起こしているヨーロッパを横目に、自由、平等の精神に法り、様々な問題を抱えながらも発展を続け、いよいよ海外へ目を向ける。アメリカの帝国主義時代の幕開けとなる。
 この曲が作曲された頃は、アメリカはスペイン領だったキューバ独立の動きに便乗して、スペインと戦争を起こし、これに勝利してキューバの独立をスペインに認めさせ、またスペイン領だったプエルトリコ、グアム、フィリピンはアメリカが買収をする。そしてこの時期にハワイも併合してしまうという覇権の始まりの頃。
 で、この曲が作られた頃アイヴズが住んでいたコネチカット州はというと、紡績の町で、とても自然に恵まれた四季の美しいところのようだ。
 そんな風景がこの「何でもござれ」の交響曲第2番には詰まっている。そして最後、素っ頓狂な不協和音が最後の最後に聴き手は足をすくわれる。

 問題はその(不協和音での終わり方)あたりだと思うのですよ。いろいろなところでもそうなのだけど、アイヴズの問題提起はここではないのかと。
 「アメリカ・ルネッサンス」というのがあって、それはアメリカに移り住んだイギリス人の、そのバックボーンである文化の呪縛から離れようとした、アメリカの開拓時代から南北戦争へと続く、そのあたりで発生したアメリカならではの文化の曙であった。イヴズはその影響を多分に受けたのは、マサチューセッツ州に近いコネチカット州の出身でることも関連しているのかもしれない。
 アイヴズがこの交響曲を作曲してから5年後の28歳の時にピアノ・ソナタ第2番を作曲していて、そのタイトルが「マサチューセッツ州コンコード 1840-60年」、通称「コンコード・ソナタ」というもの。この「コンコード・ソナタ」にはやはり様々な実験がよく知られた大作曲家の引用などを散りばめて作られている。
 ところで、このタイトルになっているマサチューセッツ州コンコードの1840-60年は何があったかと言えば、もともとアメリカ・ルネサンスの作家たちゆかりの場所で、このコンコードで超越主義運動が興り、アイヴズはそれに着想を得てこの曲の作曲を行ったとのこと。
 そのアメリカ・ルネサンスの代表的な思想家で、「コンコード賛歌」というものを書いたラルフ・ウォルドー・エマソンの岩波文庫にある講演会の記録の中から一部を引用。

「私たちはあまりにも長くヨーロッパの優雅な詩神に耳をあずけすぎました。アメリカの自由人の精神は、臆病で、模倣好きで、覇気に欠けるのではないかと、すでに疑われ始めています」
「兄弟たち、そして友人の皆さん――願わくは、わたしたちの意見はそうあってほしくありません。自分自身の足で歩きましょう。自分自身の手で仕事をしましょう。自分自身の心を語りましょう」
「人間に対する畏れ、人間に寄せる愛こそ、いっさいをとりまく防壁、喜びの花輪でなければなりません。人間寄りつどうひとつの国が初めて出現することになるでしょう。人間ひとりびとりが、万民にいのちを吹き込む『神聖な愛』によって、自分もいのちを吹き込まれていると信じるからです」

そしてアイヴズは言っている。

 「なぜ調性そのものを永久に放棄しなくてはならないのか、私には分からない。なぜいつも調性がなくてはいけないのか、私には分からない」と。

by yurikamome122 | 2015-07-10 10:39 | 今日の1曲 | Comments(2)

サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団で、ハイドン作曲、交響曲第100番「軍隊」

c0021859_6352852.jpg サヴァリッシュのハイドンなんて誰も褒めないのだけど、あの端正な姿勢で、知的な顔立ちとつぶらな眼鏡の奥の鋭い瞳の校長先生のようないでたちの彼は、以前は何を聴いても音楽がホッとしない結構強引な印象を受けて、このハイドンなどは、あの頃自分のハイドンの印象は、「怖くないグリム童話」のような多少のメルヘンと、甘いミルクたっぷりのビズケットのような印象があったような気がするのだけど、サヴァリッシュのハイドンのリズムは強引に、「楽しそうに強制されて強引に」スイングしていたような、そんな違和感を持っていたのだけど、どういうわけか、今ではもっと乱暴な演奏のハイドンばかり聴かされているせいか、サヴァリッシュの強引さをこの録音から今は聴き取れていないのは何でなのか自分でもよくわからないのです。
 テニスボールが弾むような彼の手の動きと、マヨネーズをこねるような左手にオーケストラが一糸乱れずコントロールされている様が聴き取れて、しかもその弾むようなリズムに堂々としたベースの響きが知的な遊びがこぼれ落ちるハイドンののこの曲の、ハイドンらしい惚けた感じと下品にならない、文部科学省御用達の典型のようなところのバランスした、そう、このバランス感覚。悪意とユーモアのバランス、下品と上品のバランス、しなやかさと過激さのバランス。サヴァリッシュのコントロールが最高にニクいと思わせるところ。
 そして、ウィーン交響楽団の魅力的な事と言ったら。この頃のウィーン・フィルの魅力的なことは格別なのだけど、よりスタンダードなウィーン風がハイドンには心地よくて、ウィーン・フィルほど個性が強くなく、そしてフェロモンも少なく、その分清涼で構成感があって、このオケも全然イケてる。
 この曲ではこの当時1300円で買ったこの演奏が個人的には一番しっくりくるのです。

 とはいえ、ハイドンがこんなに好きになったのはクラシックを聴き始めてもうかれこれ40年くらい経つけど、ここ20年と言ったところ。ハイドンはたとえばベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーや今ではマーラー、ブルックナーなんかよりも聴いていてつまらないというか、そう思っていたのですよ。
 まぁ、それは、当然作られた時代からして曲の目的がルールに従いつつもウィットで知的好奇心をそそるような貴族たちの知的なエンターテイメントとしての役割というか目的というか、ロマンは以降の一般民衆を相手に大見得切って人をうならせたり、泣き節で人を泣かせたりするのとは違うから、聴く人、その対象にする聴衆が違うからなわけで、だから当然マーラーやブルックナーのように聴かれたらたまらないわけで、ハイドンが生きた時代と今私たちが生きる現代の違いがそこにはあるのだけど。
 でも、ハイドンの頃のそんな音楽の語法が耳にきこえてくるようになると、ハイドンがとっても身近に感じて、いろいろな楽器のメロディーや表情の対話や戯れるのを楽しんで、ハイドンの粋が心地よくも楽しかったり。

 この「軍隊」だって、以下、独断と偏見で。
 冒頭「レ~ソ」って言う上る音での序奏、「(このクッキー、はい)ど~ぞ」の「ど~ぞ」のところだけのような。ここで私は思うわけです、何を「どうぞ」ナンだろうって。そして、「ほらっ、ほら、ど~ぞ」また声色変えて「どうぞ」って、そして「これは、だから、・・・・」的勿体ぶったり、そして、幾度も「どうぞ」とすすめられて、どうもちゃんと説明をしてくれない音楽は、そのうちに優しかった「どうぞ」が脅すようにすごみを帯びて、またニッコリ微笑んで、「ジャンジャンジャンじゃ~ん」と、ちょっとハイドンに悪戯されたような気にもなりながら、その後に始まるのが軽やかな笛の音による本当の始まり。
 でも、その後もコロコロと軽快に流れながらも、椅子取りゲームでうまく取れた椅子に座ろうと思った瞬間サッと椅子を引かれそうになったりと、思わず転ばないように気が抜けない。
 そんなウッカリするとからかわれた気もしないでもなかったり、悪戯されたような感じだったりゲームのように、どんどん進んでゆくわけで、そのあたりはもう音楽の知性のゲームの様相を呈しているというわけで、これにはまるともうハイドンの虜。

 ところで、「軍隊」の名前の由来はと言えば、それはもちろんそこらでこの曲の解説の定番のようによく書いてあるのだけど、その軍楽隊に関して少々。
 ハイドンが活躍した18世紀、ヨーロッパでは「テュルクリ」と呼ばれるトルコ趣味がはやったわけで、これが広範に及び、トルコ風ファッション、音楽、コーヒー、アラビアンナイトなど大変な流行をしたらしい。たとえばモーツァルトやベートーヴェンも「トルコ行進曲」、モーツァルトはオペラなんかでもトルコが出てくるのはご承知の通り
ハイドンもその流行を取り入れたワケなのだけど、。
 これはオスマントルコが西方へ侵攻し、15世紀半ばにはバルカン半島一帯を、16世紀には中央ヨーロッパ、北アフリカを掌握。そして1529年、1683年と二度にわたりウィーンを包囲し、ヨーロッパに「オスマンの衝撃」をもたらすワケです。
 火砲の扱いに習熟し一糸乱れず行動するオスマントルコ軍とそれにともなった「メヘテル」と言われる音楽は、ヨーロッパの人々に恐れられ、そしてエキゾチックな趣味と響きは興味の対象となり、この「メテヘル」が今日の、そこいらでよく演奏される行進曲の基になったと言われている。
 そんなわけで、この音楽は次第にヨーロッパ各国の宮廷や軍楽に取り込まれてゆくことになった。

 ハイドンは「テュルクリ」全盛の1761年、29歳の時から20年以上にわたり奉職していたヨーロッパ随一と言われたエステルハージ家で、代替わりによる経費節減リストラのため、オーケストラの大幅人員削減(ハイドン自身とコンサートマスター他数名を残して全員解雇)で58歳で暇になって、幾つもの転職(と言うか事実上の再就職)の声はかかっていたが、楽団員同士のいざこざに頭を痛めながらも当時ヨーロッパで一番と言われたエステルハージ後としてはどれもあまり魅力的に感じなかった。
 そんな彼の元に、「ハイドン先生、私はロンドンのザロモンでございます。お迎えに上がりました」とやってきたヨハン・ペーター・ザーロモンの非常識に破格の待遇のロンドン招聘の話に乗るわけで、モーツァルトの「先生、あなたは年を取り過ぎています」と言う大反対に「イヤイヤ、私はまだ若いから大丈夫」と言って、自分を若いと思っている初老のハイドンが渡英をすることになり、結果後世はその初老の冒険心の恩恵でこの交響曲を含むザロモン・セットやオラトリオ「天地創造」などの名作を今でも楽しめることになるわけだけど、(モーツァルトは、ハイドンにこの後会うことはなかった。ハイドンが戻る前に亡くなってしまった)
 おそらくはこれらはよく聞くこの曲の話で音楽に時間にも習った気がする。(ザロモンというのは、フェリックス・メンデルスゾーンの母方の親戚という話は、関係ないからたぶんあまり話されないだろう)

 ところでそのロンドンの成功には、たぶんハイドンやザロモンが意図したわけではないけども、実はちゃんと下準備ができていた。
 当時のロンドンは産業革命による恩恵で豊かだった。ヘンデルの前例があるように、音楽家には大変に魅力的だったらしいく、そこにバッハの息子のヨハン・クリスチャン・バッハもロンドンで大活躍をしいて、そのときのクリスチャン・バッハの演奏会でハイドンの作品を取り上げて、大変に評判がよかった。
 そんな状況があってこそ、ハイドン本人の登場は大歓迎を受けた、当然この楽旅は大成功だった。(但し、演奏中「しゃべる」、「眠る」、「笑う」のロンドンの聴衆のマナーの悪さには恐れ入っていたようだ)
 これに気をよくして2度目の渡英が62歳の時。この時に今回演奏されるこの曲が作られた。前回の反省も踏まえ、今回のシリースは曲そのものをやや解りやすくしてあるのだそうで、いやいや、そんなことはない。
 初めに記したようにこんな子供の歌のような親しみやすさの中に様々なことが起きていたわけだった。これにハマるともうハイドン大好き。

by yurikamome122 | 2015-07-05 06:36 | 今日の1曲 | Comments(0)

アバド指揮、シカゴ交響楽団ほかで、マーラー作曲、交響曲第2番「復活」

c0021859_17392950.jpg アバドが私の前に颯爽と登場したのがこの録音だった。シカゴ交響楽団とのマーラーの2番。流麗に流れる音楽の綾が優美に交錯して紡がれる。そこにしっかりと注がれた熱い情熱とパッションは、アバドの場合たとえばメータのようにドロドロとうねり流れるようなものではなく、気品を感じるような知性があってスマートでスタイリッシュ、そしてこの頃の録音にはその上に若々しい清澄さがこの演奏を更に魅力的なものにしていたし、実際マーラーのこの曲はこういう曲だと思っていた。
 優美にデリケートに旋律が歌って、舞い上がったり激情を湛えたり遠くを見据えたりしながら、どんな時も音は、響きはあくまで明晰。
 しなやかな音楽は一つ一つ心のヒダがクッキリと刻み込まれながらドラマティックに演奏を盛り上げる。またこの頃のシカゴ交響楽団の響きの魅力的なこと。
 この世界観は圧倒的に説得力があったし、今改めて聴いてみて、やはりとても魅力的だった。
 この曲がアバドで初めて録音されたのはたぶん70年代の終わり頃だったと思うけど、あの頃、マーラーを演奏する指揮者はこのアバドとメータと征爾さん、それからレヴァイン。ハイティンクは全集の存在は知られていても日本では手に入らなかったし、後は若い頃のバーンスタインとクーベリックの演奏くらい。若手指揮者の仕事だったマーラー演奏は、若い、熱い情熱に満ちた音楽だと私は勝手に思い込んでいて、だからこそあの時代の彼らの演奏のあの「原光」がとても魅力的にきこえた。だからこそあの頃私にはクレンペラーの演奏があまり魅力的ではなかった。
 最新のアバドの晩年の録音はもちろん凄い説得力なんだけども、そして私のマーラー像も、この曲への印象も変わったのだけども、やはりこの演奏は今でも私にはあの頃の想い出とともに、今でもあの頃と同じ熱いものが胸の奥からこみ上げるあの感じとともに、そしてこれからもたぶん一生この演奏に魅力は消えないんだろうなぁ。

by yurikamome122 | 2015-06-24 17:39 | 今日の1曲 | Comments(0)

ヴィルトゥオージ・デル・カントの演奏でロッシーニの弦楽のためのソナタ全集

c0021859_1620223.jpg 美食家ロッシーニってその後に自ら料理人になるほど美味しいものには拘ったらしいのだけど、この「弦楽のためのソナタ」がとってもチャーミングで、全6曲がケーキバイキングのように並んでいるワケなのです。
 モーツァルトやサン=サーンスなんていう子供のうちから恐ろしくできるヤツもいたのだけど、このロッシーニもその口で、この曲集は12歳の作。時折きこえる後のオペラのようなところなんてついつい手を止めてしまう。最後はロッシーニ・クレッシェンドもやっぱり12歳くらいの少年のような雰囲気で登場。
 この曲集、多少の恥ずかしさもあってか後にロッシーニ自身で酷評するのだけど、聴いてみれば伸びやかな歌心に純真さと無邪気さが雨で洗い流された空気の澄んだ梅雨の中休みのまぶしい光に負けない輝かしさと魅力があったわけで、やがてつい聴き惚れて止まらなくなってしまった。

 いろいろなアンサンブルが録音していて、カラヤンやイタリア合奏団なんて弦楽合奏でやってるんだけど、カラヤンのこの曲の奥底の、たぶんロッシーニ自身気付いていない心のヒダを丁寧に洗い出して、そして多少堀を深くして整えた演奏はそれはそれで大変聴き応えがあるのだけど、やはりオリジナルの四重奏の方がなんたって透明な響きが大人ではない無垢な少年の感じだし、やはりきいていて音楽が舞っていると思う。

 で、この「ヴィルトゥオージ デル カント」の演奏、チェロは生クリーム、濃厚でいながらもたれない大人の甘さ、ヴァイオリンがクッキーにトロピカルフルーツってところですか。
 そしてコントラバスがシフォンケーキで、時々存在感のあるソロや歌い回しを披露しながらドッシリと構えた貫禄、いいですなぁ、このアンサンブルの心地よさ。
 皆さん普段はオケのメンバーだったりソロ活動をしたりの方たちだけど、音色と豊かな残響を伴った響きがすごい魅力的で、それぞれの音が優美な線を描き、舞い、そして綾となり紡がれる。それらが極上ケーキのようについついと手を伸ばしたくなるような粋でキュートなワクワクするような香り、彩り、梅雨の中休みの澄んだ空気のまぶしい光と爽やかな風にピッタリ。
 この曲のオリジナルであるはずの弦楽四重奏の録音は実は結構貴重なんじゃないのかな。それに、なんたってこのおしゃれな曲集はこんな時には是非聴きたい贅沢な1枚でありました。

by yurikamome122 | 2015-06-22 10:54 | 今日の1曲 | Comments(0)

打楽器四重奏団「Shun-Ka-Shu-Tho」の演奏で、ガーシュイン作曲、3つのプレリュード(編曲:藤本隆文)

c0021859_13364068.jpg 打楽器四重奏団「Shun-Ka-Shu-Tho」と言うのがありまして、たぶんまだ解散はしていないはずなんだけど、このアンサンブルのCDはナカナカですぜ。
 何年前だったか、彼らのコンサートで聴いたガーシュインの「3つのプレリュード」がとっても粋で、このコンサートで打っていたCDにも入っていて、っていうか、ビブラフォンやマリンバ、ティンパニなどの打楽器の色彩感と表現力、その澄んだ可愛い音一つ一つが、憂鬱な梅雨の曇り空から舞い落ちる雨の滴が楽しそうに陽気にスイングしていて、いろいろな表情でポロッと葉っぱから溢れ落ちる、その滴のアンサンブルのようにチャーミングでかわいくてカッコイイ。
 これを聴いていると、雨もそう悪くないもんだって、そんな気がしてくる。

 元はピアノ曲なのかどうなのか、よく知らないけど、ガーシュイン自身ピアノで演奏した録音は、と言うか演奏はあまりモダンではなく、古典的な香りがする。プレヴィンがギル・シャハムと演奏しているのが都会的な色気をたたえて心地よくスイングしていて、こういうのをたぶん「なかなかゴキゲン」というのだろうと思ったりする。
 で、これらとは全く違う世界を聴かせてくれているこの「Shun-Ka-Shu-Tho」の演奏のために、この曲を打楽器アンサンブル用にアレンジをした藤本隆文さんを知っているのは神奈川フィルを聴いている人では結構の古株。打楽器の首席で、ステージの一番後ろでティンパニの前にいつも君臨していた。
 で、この演奏でティンパニはひょっとしたら平尾信幸さん?。コンサート当日は確かそうだった。

 そしてこの日のコンサートの最後に演奏されたのは、ジョン・ケージの初期の作品で「ConstructionⅢ」。プログラムに「1940年代に、かくもダンサブルかつイカレた作品が書かれていたとは」って藤本さんが書いていた。確かにイカレている。ワクワクしながら聴いちゃった。スッゲー面白かったコンサートだった。c0021859_13395678.jpg

by yurikamome122 | 2015-06-19 13:40 | 今日の1曲 | Comments(0)

ミッシェル・サナドゥーを知っていますか

c0021859_17231940.jpg フランス方面の歌手で、ミッシェル・サナドゥーっていうのが居て、これが印象深い伸びやかな声で明るく溌剌と、そしてセクシー。ノスタルジックで雰囲気がいかにも70年代後半から80年代って言う感じ。恐らくは、これのヒットの延長線上にフリオ・イグレシアスがいたんだと思う
 中学生の頃、FMからきこえてきたカッコよく惚れ惚れする歌声に、さっそくラジカセの録音ボタンを押した。「恋のやまい」という歌だった。
 後でレコード店に行っても、「ミッシェル・サナドゥーと言うフランス人のレコード」と言っても、田舎の町のその店には在庫がなく、お取り寄せと言うことになったのだけど、後に我が家の黒い電話の優しいベル(あの頃の電話のベルの音は心地よい響きだった)が鳴ったときに、電話の向こうに出たその店のお母さんに「お取り寄せのミッシェル・・・・・・のレコードが来ました」と言われて、喜びに心をときめかせて取りに行ったらミッシェル・「サナドゥー」ではなくミッシェル・「ポルナレフ」だった。我が国ではフランス人の歌手でミッシェルと言えばポルナレフが有名で、勝手に向こうが勘違いしてしまっていた。大変がっかりした。
 それから待つこと2週間してやっと来たレコードに針を下ろしたときの嬉しさは今でも覚えている。
 
 その後に愛読していた「FMレコパル」をチェックして、ミッシェル・サナドゥーの歌が放送されるときは必ずエアチェック(これも死語だけど懐かしい)をした。
 その中で印象的だったのが「ジュテーム・ジュテーム」。
 純真に恋人への愛を歌う、真夏の夕日のきれいな海岸で、情熱的に彼女へアタックしている、あんまりエロチックではない歌だったはず。
 youtubeにあったリンクを張るので是非に。


 あともう一つ、日本では「愛の旅立ち」と言われた曲で、誰か日本語で歌っていた気がするのだけど、誰だったか。日本語ではおしゃれではなかった。
 これが、「世界中旅しようじゃないか、文無しになったって、君がいればいつでも胸がいっぱいさ」みたいな、元気が出るというか憧れるというか、ついうっかり自分でもやってしまいそうに楽しい歌。


それから、日本では「恋のやまい」と言われていた曲。これはもう、聴けばわかる。聞いたことあるでしょう、あの曲。


先日アップした、誰も知らないだろうと思った「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」がなぜかブログヒット3桁を回復する大ヒットしているのは朝ドラのせいだと知って、大変ガッカリして、それではつまらないのでアップしました。

by yurikamome122 | 2015-06-18 17:25 | 今日の1曲 | Comments(2)

ジュリーニ指揮、バイエルン放送交響楽団でラヴェル作曲、「マ・メール・ロワ」とこの曲の周辺

c0021859_176544.jpg ミュンヘンの放送局のオーケストラから、ジュリーニが聴かせたマ・メール・ロワは印象的な演奏だと思う。
 会場にフワッと拡がる幻想は精緻に作られたラヴェルの世界そのものかもしれないけど、でもスピーカーを通してでもなお精緻さなど感じさせない、朝靄のように漂う情景と、誰もが持っていたような純粋で澄み渡った感情と、それをなんの疑いもなくあたりにまき散らしていたあの頃の切ない想い出。
 音楽から感じる暖かさよりも、胸の奥からわき出る押さえることのできない何か。音楽を聴いている今この時、幼少の頃に戻った

 ラヴェルは、生まれた年は40年もサン=サーンスの方が早いけど、どちらも1800年代の後半から1900年代の前半に活躍したフランスの作曲家。
 また、どちらもフランスの新古典主義の作曲家で、シニカルな態度を露わにする皮肉屋と言うのも両者共通。また、両者とも先進性のせいかどうか、当時のアカデミズムの審査によるローマ賞には縁がなかった。
 ラヴェルは「水の戯れ」で、サン=サーンスは「死の舞踏」で両者ともリストつながり。
 そして、サン=サーンスの弟子のフォーレの弟子がラヴェル、つまりラヴェルはサン=サーンスの孫弟子となるのでした。
 さらに、遊び心に満ちてたラヴェルの「マ・メール・ロワ」と「ピアノ協奏曲」(相撲で舞の海が時々披露した「猫だまし」よろしく初っぱなパチンと張り手一発、その後も違う調性の同時進行やポリリズムやブルーノートなどなど、技のデパートの面目躍如。しかしながらラヴェル自身「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲した」と言っている)
 サン=サーンスも「動物の謝肉祭」という遊び心を示しているけども。

 「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」の事で、でも「ロンドン橋落ちた」なんかで有名な「マザー・グースの歌」ではなく、「赤ずきん」「シンデレラ」などの作者のフランスの物語作家のシャルル・ペローのおとぎ話集の「ロアお母さんの物語」(マ・メール・ロワ)で、それを英語直訳したのが「マザー・グース」。
 マザー・グースよりマ・メール・ロワの方が年代的にも本家本元で、後のグリム童話にも影響を与えたと言われているとか、ラヴェルのマ・メール・ロワはペローの童話集から題名と物語を採用したけれども、ドーノワ夫人「緑の蛇」より第3曲の「パゴダの女王レドロネット」を、ボーモン夫人の童話集「子供の雑誌」の中の「美女と野獣」を採用したとか、(最後の「妖精の園」はラヴェルの創作)この曲の作曲経緯であるところの、ラヴェルが画家のボナールと友人のゴデヴィスキーを訪ね、ボナールがゴデヴィスキー夫人の肖像画を描いている間に、彼女とその子供2人の子供、ジャンとミミーのためにこの「マ・メール・ロワ」をピアノ連弾曲として書き、この二人の子供に献呈したし、初演もこの二人の子供で行いたかったのだけども、この子らの手に余り1910年の初演は、後に「クープランの墓」を初演するマルグリット・ロンの弟子でパリ音楽院の学生であった2人、当時11歳で後にここの教授となるジャンヌ・ルルーと14歳のジュヌヴィエーヴ・デュロニーが行った事や、こんな私的な作品であったので、一般に聴かれるものではなかったが、1911年にラヴェル自身で管弦楽版に編曲され、その後に芸術劇場の支配人のジャック・ルーシェからの依頼で、1912年に《前奏曲》と《紡ぎ車の踊りと情景》、《間奏曲》を書き加えて管弦楽に編曲し、ラヴェル自身の台本によるバレエ作品として公表、大成功だった。---などというのはもちろんよく知られた話。
 ただ、この曲をよく聴いているうちに、どうしても子供の頃にタイムスリップするこの仕掛けを探ってみたくなった。もちろん私なんぞにラヴェルのインスピレーションの神髄なんか当然感じることなんかできるわけもないのだけど、でもそういう子供のような気持ちにさせるのもこの曲なのだと思う。
 そしたら、当たり前だけど、改めてラヴェルのオーケストレーションは凄かった。

 この曲は劇中劇として物語が進む。
 オリジナルのピアノ版では1曲目の「眠りの森の美女のパヴァーヌ」で王女の「眠り」によって始まったこのおとぎ話の中のおとぎ話は、王子の登場と王女の「目覚め」、すなわち「妖精の園」の壮大なフィナーレによって結ばれる。
 今回演奏されるであろう管弦楽によるバレエ版では、同じ劇中劇の形式をとっているが、ラヴェル自身の台本により、ペロー版「眠りの森の美女」により構成が近づき、また「前奏曲」、「紡車の踊り」を加え、曲順を入れ替え、そして各物語の前に間奏を配置した。
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前奏曲、第1場「紡ぎ車の踊りと情景」、第2場「眠りの森の美女のパヴァーヌ」

 舞台は妖精の園、お城のファンファーレが遠くきこえる中、紡ぎ車の棘に刺さり100年の眠りに落ちる。そして王子様の手によって目覚めるように魔法をかけられる。なんとか彼女を目覚めさせようとするが、誰も彼女の目を覚ますことができなかった。
 パヴァーヌとはヨーロッパで 16 世紀から 17 世紀初頭にかけて大流行した宮廷舞曲で、17 世紀に入るとやがて消えていった。ゆったりとした二拍子系で曲が進む。
 このゆったりと重々しい雰囲気で静かに始まるメロディーは、聴いていて心地よいエオリア旋法という五音階で書かれていて、なので素朴な印象を持ち、しかも静謐。
 終始ゆったりとp-ppで演奏され、たった一度だけ mf が出てくる以外は常に静けさに包まれている。冒頭のたった一小節の動機から生成され、「ゆりかご」のように繰り返され、同時に四つ以上の音が鳴ることはなく、八分音符以上の早い音符は登場しない。「伴奏の同じ音型の繰り返し」、「親しみやすいメロディー」、「抑揚のないゆったりとした音楽」はすなわち「子守歌」そのもの、簡潔な音楽はまさに静かな「眠り」。

 バレエの舞台では、二人の侍女が王女を寝かせ、ローブを脱いで、仙女ベニーニュに変身した老女は、現れた二人の黒人の子供に王女の眠りを小話でなぐさめるように命じる。
 そして二人の子供は「美女と野獣」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」の三つの物語をこれから演じる。

第3場.「美女と野獣の対話」

 この曲は物語の原作者ボーモン夫人の「美女と野獣」に沿って作曲されている。「美女の登場」「野獣の登場」『美女と野獣の対話』「二者のワルツ」「魔法と変身」という物語の流れ。
 管弦楽版では場面が変わったことを示すインパクトのある間奏曲の後に、非常に流麗なリディア旋法で書かれた「美女の主題」がお目見えする。
 ppで始まる穏やかなワルツに乗ってクラリネットが「優しく、感情をこめて」(doux et expressif)奏でられる。
 すると非常に短いフェルマータの後に突如グロテスクにコントラファゴットにより低い音で「野獣の主題」が登場する。
 調性感の保たれた優雅な「美女」と、低音域で奏でられることによって非常にグロテスクで調性感が希薄になりリズムもとりずらい「野獣」の2つのテーマが対話を行う。
 野獣が現れた後の「美女の主題」は高い音に寄りがちで、しかも調性的な安定感を失い、そして美女の主題のはるか下方では「野獣の主題」が不気味な上昇をしている。
 二つの主題が同時に奏でられることはほとんどなく、美女が野獣を恐れて「対話」をしていることが表現されている。
 ところが、ffで前半部の頂点が築かれ後半に入ると急速にラレンタンドして初めのテンポに戻り、二つの主題が同時に奏でられる。調性に基づく「美女」の主題と無調的半音階の「野獣」の主題の二つの主題は当然ながら美しく重なることない。
 不器用に音域的に近づいたり、離れたりすることを繰り返しながら音楽はワルツを踊りながら展開し、「野獣」は音域を徐々にあげて速度を速め、逃げる「美女」の主題に迫り、緊迫して早くなり、ついに二つの主題はぶつかり、全休符の完全な静寂に聴衆の耳がひきつけられたのち、幻想的なグリッサンドが現れ、「野獣」に魔法がかかったことが示され、その後、ヴァイオリンのソロの高音域で美しい姿に変身した「野獣」の主題が奏でられ、「美女」の主題も現れると幸福に音楽は主和音で締めくくられめでたしめでたし。

第4場.「親指小僧」

 シャルル・ペローの童話を下敷きにした作品で、貧しさゆえに森に捨てられた小さな少年「おやゆび小僧」は森へ入っていく途中に帰り道がわかるようにパンくずを道に少しずつまいていく。
 この不安な道のり、弦とオーボエなどのよりだんだん伸びてゆく奇妙な変拍子で奏でられるどこまでも続く暗い森の小道。
 森の真ん中で兄弟たちと眠ってしまった「おやゆび小僧」だったが、次の日になってみると、なんとまいておいたパンはみんな鳥が食べてしまった。幻想的な鳥の声がそれを示している。

第5場.「パゴダの女王レドロネット」

 ドーノワ夫人の「緑の蛇」を題材にしたこの曲は、入浴する「パゴダの女王レドロネット」を楽しませるために、男女の首振り人形たちがクルミやアーモンドでできた楽器を使って踊ったり音楽を奏でたりすると言う筋書き。
 中国風の五音音階を基にシロフォンやグロッケン、チェレスタといった「おもちゃ」の楽器が使われている。
 パリ万博でヨーロッパにお目見えしたガムランの影響からか、ピアノの踊り出すような強いリズムなども駆使し、「おもちゃ」という要素に東洋への志向、エキゾティスムを加えることにより「おとぎ話性」を強調し、またフレーズの最後に入るスタッカートなどで、細かく複雑な動きが磁器でできたおもちゃの家臣たちのにぎやかな様子を見事に表現している。
 最後は中国音階に含まれるすべての和音が打ち鳴らされ、にぎやかに終曲となる。

終曲「妖精の園」

 最後の物語が終わると再び遠くで城のファンファーレが響き、フロリーヌ王女の眠る妖精の園では鳥の声が聞こえ、愛の神に連れられて王子が登場する。彼は眠っているフロリーヌを発見する。夜が明けると同時に王女は100年の眠りから目覚め、二人は結ばれ、皆から盛大に祝福される。

 遠くで鳴り響くファンファーレで始まった後、pp で始まった音楽は、まるで母親のお腹の羊水の中を漂うような素朴で安定感と安らぎのあるハ長調で始まる。優しさと感傷的な美しさに満ちて、生まれたばかりの赤ちゃんの皮膚のような気高く繊細で絶妙な上昇と下降を繰り返す。朝焼けを思わせるような凝縮された透明で神秘的な音は、ここでは幾つかの小節を除けば凝縮されて4つの音しか同時に鳴ることはない。
 木霊のような印象的なハープのアルペジオの後、オーケストラたちの天使が舞い降りる中、朝露の輝きのような音色に包まれてヴァイオリンのソロが高域で美しく奏でる。その音色による旋律の後にアルペジオ、高音域の旋律、様々な楽しく美しい思い出が次々あふれ出すように教会旋法、激しい転調、三連符と八分音符の交差、ここで聴き手は優しく抱かれた母親の笑顔とともに幻想的な異次元の世界を感じ、聖域となった幼少の思い出に触れる。
 再びハ長調で満たされた現実へと舞い戻った旋律は徐々に下降したのち、再び上昇をして小さくなりながらリテヌートし、後半部へと入る。まさにこの瞬間 pp で鳴り響く和音の美しさ。
 そして、鐘の鳴り響くさまを思わせる音型が聞えるなか、息の長いクレッシェンドをしながら和音を増やし、日の出のように上昇していき、きらびやかなグリッサンドが激しく駆け巡る頂点では、聴き手は胸の内に湧き上がる間違えなく自分自身の追憶の彼方の甘美な世界の前に立ちすくむ。
 たぶん、私の間近をラヴェルの神髄が通り過ぎた。

 「これは幼少時代の庭であり、人間の心の庭園である。涙を流しながら思い出す使い古した昔のおもちゃ、そこにふれるやいなや壊れてしまうような過去といった、幼少時代のすべての夢幻劇遙」(オリビエ・メシアン)

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 「お嬢さん、あなたがいずれ素晴らしい名手になり、私が勲章にまみれるか、あるいは誰からも忘れられた頭の固い老いぼれになる頃、あなたはその天分でもって、まさしくそう演奏されるべき解釈で、ある芸術家に、彼の作品のひとつを聴かせた、快い想い出をお持ちになっているでしょう。
 あなたの子どもらしい繊細な「マ・メール・ロワ」の演奏に,千度の感謝を贈ります。」

 初演後にラヴェルがジャンヌ・ルルへ宛てた手紙
 (1910年4月21日)

by yurikamome122 | 2015-06-16 04:06 | 今日の1曲 | Comments(0)

セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンで「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」

c0021859_9381119.jpg 「je t'aime... moi non plus」って、パリには行ったことがあっても、フランス語は全くわからない私に、この言葉の意味は、というと、実は高校時代、友人に教えてもらっていたわけで、今でもおぼろげながら覚えているのは、「愛してる」「私は、どうかな」的な心が通じ合っているカップルのみが意味がわかる、お互いの満たされた深い心のひだを優しく丁寧に一つづつなぞるような、そんな意味だと認識しているのです。

 でも初めて聞いたのは、フランスものにどうも心引かれていた少年期、通い詰めていた、当時新婚だった田舎の電気屋さんの、JBLの4530(D130+LE85+H91)と言うシステムで、通りの向こう魚屋まで聞こえるような大音量大迫力でさんざん聞かされて、今にして思えば小学校高学年から中学生のあの時期、フランス語がわからなくてよかった。
 この曲のなぜか暖かい優しい包まれるような感じが印象的で、その後に妙に印象に残っていた。
 その後に高校に入って、クラスのやたらと優秀で、高3で推薦で医学部に入ったようなヤツに「この歌はエッチ」と聞いて、彼に見せてもらったその歌詞を和訳したものを読んで絶句したのは、今はいい想い出なのでした。
 そして、4年もこの歌の意味もわからずいつも聴いていた自分に恥ずかしくなったワケでした。
 でもその後も、やはりでもこのメロディーが忘れられず、こういうときには大変都合のよい歌詞のないイージーリスニングで楽しむことに変えたわけです。

  Je t'aime
  Je t'aime
  Oh, oui, je t'aime
  Moi non plus
  Oh, mon amour
  Comme la vague irrésolue
  Je t'aime
  Je t'aime
  Oh, oui, je t'aime
  Moi non plus
  Oh, mon amour
  Tu es la vague, moi l’île nue
  Tu vas, tu vas et tu viens
  Entre mes reins
  Tu vas et tu viens
  Entre mes reins
  Et je te rejoins


 和訳は、 いくら何でもやめときます。
 どうしても気になる向きにはこちら
 調子はずれに日々は過ぎゆく ジュテーム・モワ・ノン・プリュの和訳

 あの頃、電気屋さんで魚屋の向こうまで聞こえる音量で聴いたバージョンはこのリンク


この歌の謂われというか、元祖と言いますか、正調と言いますか、本来歌った人、本来の姿のブリジット・バルドーのもっときわどいのはこちら。
 但しR18指定と言うことで。
 BRIGITTE BARDOT & SERGE GAINSBOURG - JE T'AIME (ORIGINAL)

イージー・リスニング版はレーモン・ルフェーヴルで

by yurikamome122 | 2015-06-15 09:38 | 今日の1曲 | Comments(0)