カラヤン指揮の76年のベルリン・フィルとのブルックナーの交響曲第8番

c0021859_1842827.jpg ブルックナーを愛する偉大なディレッタントである宇野功芳さんにケチョンケチョン、ミソクソに貶されて、たぶん我が国では不当に評価が低い演奏なのではないかと思う。
 1976年のカラヤンが壮年期のベルリン・フィルとのベルリンのフィルハーモニー・ザールの録音。
 でも、改めて聴くとカラヤンの表現が、「カラヤン臭い」以外は大変に端正で、かつ真摯な演奏であるように思う。そして、その「カラヤン臭さ」も成功しているように思うのは、この曲の拡がりと深みを、そのスケールを身体中が吸い込まれそうな深遠さの奥から大宇宙のど真ん中に放り出されたような神秘的で孤独な寂寥感と美しさを感じるからなのです。
 というわけで、宇野功芳さんも実はこの演奏を内心感心していて、宇野さんもある雑誌で

 「これはどこまでも神秘的で深淵で深沈たるブルックナーだ。ここでカラヤンは、感情を磨き上げられた透明で高貴な哀しみに昇華させている。
 しかも壮麗な部分でも表現がまさに吹き上げるようなエネルギーに満ちているのだ。
 特にすばらしいのは天にも昇るような甘美で悪魔的とも言えるレガートで、これはまさに息をのむばかり、そこに込められたのは哀切さの極みだ。
 これは帝王カラヤンによってブルックナーの桁外れな魂を極限まで磨き上げたものとして後世に残すべき名演といえよう。」


 なんてことは書いていません。
 悪しからず。

 だけどさ、こんな演奏をこのオーケストラでしていた頃を知っているお客さんがまだいるんだろうから、後継者選びには今の時代、苦労するのは仕方がないのかもしれないよね。
 言っちゃ悪いけど、演奏スタイルは別にして、音からこれだけの何か迫るものを聴かせる人、今生きてる人にこのレベルを要求するのは無理でしょ、正直言って。
 わたしゃ聴いたけどね、数年前まで神奈川フィルで。あの頃の演奏は間違えなくこのレベルだったと確信しておるのです。

by yurikamome122 | 2015-05-30 18:44 | 今日の1曲

ちょっと崩れた美について、ラヴェルとドビュッシーの違いなど。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら

c0021859_1345187.jpg ラヴェルという作曲家は、とても古典的だと思ってた、フォルムがカチッとしていて。
 聴いてみてそう感じていたのだけど、確かにそういうところもあるのだとやっぱり思うのだけど、それでいてなんでラヴェルの音楽がこんなに美しいのか、なんでこんなに緊張を強いるのか、ここのところ故あってラヴェルとドビュッシーとサン=サーンスとフォーレばっかり聴いていたんだけど、シューマンやワーグナー、リストなんかをちょっと聴いてみたらなんだかわかるような気がしてきた。
 ラヴェルって禁欲的なんだよね、きっと。そしてその禁欲に宿る人間的、動物的感性と本能とのせめぎ合いの緊張感。
 リストの「巡礼の年」3年の中の「エステ荘の噴水」にインスパイアされてラヴェルが「水の戯れ」を書き、ドビュッシーは「映像」第1集の「水に映る影」を書いた。この2曲の違い、水面の動き、その揺らめきに映る影のドビュッシー、ラヴェルは水面が見えないくらい透明な「水の戯れ」。この整ったような透明感。
 繰り返し延々と同じメロディーを執拗に繰り返すリズムとともに徐々にクレッシェンドで聴き手を陶酔の坩堝からエクスタシーの境地で解放するあの「ボレロ」なんて、セックスそのものじゃないか?。だいたいあの変態的なピッコロとホルンの二重奏はナンなんだと。だけど響きはあくまで透明で美しい。
 それをたとえばワーグナーのようにムワッとした臭いのする場末の映画館で外国製のポルノ映画を見たような曇った下品な、またドビュッシーのようにそのものズバリではなく、ラヴェルはこういう動物的な逞しい情熱的なものは美しいとは感じなかった、きっと。
 なので、ラヴェルは古典的と言うよりも、人間くさい性愛、愛欲をむき出しにしたようなロマン派の音楽のようなものよりも形式を持った古典的なものに美しさを感じた。そしてそこに性愛、愛欲をこういう形で抽象化し昇華する、それがこの人の音楽の世界なんではないのか?。
 ワーグナーはその下品さを壮大な、ヒロイックなイメージで湧き起こる聴き手のイマジネーションにより聴き手が形而上的に受け取る事を要求しているのかもしれないけど、ラヴェルは違う、もう既に昇華し洗練された結晶がそこにあって、即ち透明に「崩れた」美をそこに現している。そう私は感じる。でもだから、聴いていて疲れる。それに引き替えドビュッシーのあの官能的な安らぎ。
 そういえば、私が個人的に西洋の庭園よりも日本の庭園に親近感とより深い美しさを感じたりするのは、西洋式の庭園の明らかに一点から見ることを意識して調和を求めたものではない、枯れ葉1枚もゴミではなく、その崩れたものさえも美しく見せる、そういうところなのかもしれない。でも、日本庭園、枯山水は見ていて疲れる。
 ラヴェルの自宅の部屋には浮世絵が飾ってあって、和風の部屋もあったそうな。
 やっぱり和風の趣味があったチェリビダッケのとってもエッチなボレロを聴きながら。

by yurikamome122 | 2015-05-22 14:25 | 今日の1曲

レスピーギ作曲、交響詩「ローマの松」をトスカニーニの演奏で

c0021859_17254581.jpg 反ファシズムの象徴としてのトスカニーニは熱烈なムッソリーニ支持者のレスピーギの「ローマ三部作」を一番この曲らしく演奏する一人で、そしてその中でもひょっとしたら最も成功しているのではないかと思ったりする。主義主張の違う思想の支持者が実際にはそんなに関係が悪くなかったというのもなんだか不思議な気がする。
 「新即物主義」と言われ、楽譜の改編など朝飯前(でもなかったようだけど)のロマン主義的な演奏が主流のあの時代、楽譜に忠実をモットーとし(これも実際には言うほどそうでもなかった。口汚く罵ったマーラー改変のスコアで演奏をしたりした)音楽の演奏の改革をしたトスカニーニは、あの時代に現代のピリオド演奏のような衝撃を与えた。
 演奏は前のめりのテンポで輝かしい響きのオーケストラが聴き手の興奮と陶酔の坩堝に巻き込む。
 この演奏でも卓越した表現力のオーケストラを輝かしい音色で歌いに歌わせ、鳴らしに鳴らし、絶妙かつ繊細なデリカシーと圧倒的な音量で、聴き手は、もうその音楽が映し出す情景にただのみ込まれるだけ。そのすさまじさはやはり「指揮者の中の王」(オットー・クレンペラー)であると思う。

 松と言えば松ぼっくり。そして松ぼっくり(pina=ピーニャ、女性名詞)は「繁栄」の象徴。レスピーギは「松」を通してローマの記憶と幻想を呼び起こそうとしたと述べている。
 この「ローマの松」はローマの繁栄の象徴の曲。
 初めに、高音楽器だけできらびやかに始まる音楽は、松のそびえる庭園で遊ぶ子供たち。この部分はイタリアの子供たちの童謡のメロディーからとった。自筆符を見ると6曲書いてあって、そのうち私が判読可能だったのは「ジロジロトンド」と「マダマドレ」の2曲だけだった。ネイティヴならきっと読めたのかもしれないけど私には無理。
その2曲はこちら。

「ローマの松」の冒頭に出てくるやつ
曲名は"Madamadorè"「マダマドレ」


曲名"Giro giro tondo"「ジロジロトンド」


 賑やかな子供の歓声から一転、低音楽器がキリスト教公認前のローマへと誘う。レスピーギは古代の教会旋法とハーモニーを用いて様々な記憶と怨念が渦巻いているであろう洞窟の墓場「カタコンベ」。
 このあたり、「イタリア音楽復古主義」の旗手としての面目躍如。

 次の部分では「人」は登場せずに情景のみの音楽。
 聞こえてくる鳥のさえずり(ここでは「噴水」のように楽器で奏でるのではなく、実際の鳥の声を聴かせる。征爾さんとボストン交響楽団のレコードのライナーには、Gramophone No.R6105と指定していると書いてある。)の中、満月に浮かぶ松。レスピーギは「鳥」が大好きだった。
 この鳴き声は美しい鳴き声の「夜鳴き鶯」といわれる「ナイチンゲール」。満天の星空の下、心地よい風が渡る丘の上から、そのナイチンゲールのさえずりの響き渡るなかローマを一望する。

 そして暗い雰囲気から4拍子のリズムが弱音から徐々にクレッシェンドする執拗な上昇音型がいやが上にもアドレナリンの分泌を促し、ドルビー効果の映画館よろしく客席後方の金管別働隊が360度の臨場感を満たし、輝かしく雰囲気が変わりオルガンの重低音が心臓を揺さぶり、サラウンドの音の洪水で会場中が湧き上がる栄光に満ちた凱旋軍の行進が描写される。
 ここでは豪華絢爛、オーケストラの色彩感と輝きの極致、音のビリビリ感電ショウが展開されているというわけ。

 レスピーギが生まれたのは1879年、もうこの時代、蝋管式ではあるけども蓄音機もとっくに発明されて、我が国でも蓄音機の演奏が行われた。
 イタリアではイタリア王国による統一がナンとか成し遂げられて、そしてやっとのことでローマ教皇領だったローマを1870年に併合し、同時にイタリアの首都をフィレンツェからローマに遷都した、その9年後だった。「全ての道はローマに通ず」ヨーロッパの中心地としての栄光の歴史を持つローマを我が物としたイタリアの国民がイタリア人としてのプライドをやっと満足させるに足る領土を取り戻した。
 とはいえ、これが切っ掛けでローマ教皇との対立も生まれ、またエチオピアやリビアに侵攻し、やがて第1次世界大戦に巻き込まれ、なんとか戦勝国にはなったものの大変な出費と疲弊がそこには残された。こうなるとどこの国も右翼の台頭が起こるわけで、「古代ローマ帝国の復活」を目指すムッソリーニの登場。
 一方音楽においてもバロック以前から芸術でヨーロッパをリードし様々な輝かしい歴史を持つ音楽大国のはずが、18世紀後半以降はオペラ以外ドイツ・フランス等に新しい音楽への貢献ではねだった業績がなかったイタリアがこの頃あたりからピッツェッティ(1880~1968)、マリピエロ(1882~1973)、カセルラ(1883~1947)などが近代イタリア復古主義を興し、イタリア音楽が全盛期を誇ったバロック以前の音楽を模範とする音楽復興を始めた。このイタリア音楽復古主義と呼ばれる運動の最大の成功者がボローニャに生まれたレスピーギであった。
 イタリア復興という意味ではレスピーギはムッソリーニと大いに意気投合することとなるわけで、幾つかあるレスピーギのそれらの作品の中で、演奏効果という意味ではオーケストレーションの大家、R・コルサコフ譲りのオーケストレーション技術を駆使し、オケを鳴らしにならすこの「ローマの噴水」、「ローマの祭り」、「ローマの松」の3作品が一番成功しているのではないのか。

 古代ローマ時代から治水に関しては先進的であったローマは生活用水供給や街の景観から多くの噴水があった。
「ローマの噴水」はローマに移り住んだレスピーギがローマにインスパイアされて書いた作品。ローマの栄光の時代の噴水の描写作品。ローマの1日をその時刻にあわせて彼の選んだ噴水の情景の描写。
 但し初演(1917年3月11日)は失敗。第1次世界大戦まっただ中での初演が影響していたかどうか、戦時中に相応しい雰囲気の曲だかどうかはわからない。この頃はもうニキッシュがと言う指揮者がベルリン・フィルでベートーヴェンの「運命」などを録音していて、その録音は今日私たちでも1000円以下で手に入る。
 失敗にふてくされて落ち込んだレスピーギは楽譜をしまい込んでしまったがたが、名指揮者のトスカニーニが初演のそう遠くない後に、演奏会用に「何か新しい曲はないか」とレスピーギにせっついたので急な問い合わせに手持ちのなかったレスピーギが渋々楽譜を渡すとそれが大成功(1918年2月11日)したという作品であるのはどこかで話が出るでしょう。足かけ5年にわたる大戦終結の9ヶ月前の話。
 その成功に気をよくして次作を書いたのが「ローマの松」。「噴水」から7年後のこと。初演はその直後の1924年12月14日。ムッソリーニはファシスタ党を率いてイタリア王国の首相になっていた。
 一方レスピーギも作曲技法、管弦楽法に更に磨きを掛けて、「噴水」よりもオーケストラは大編成になり、パイプオルガンや特殊な楽器も動員し、レコード録音された鳥の声(この頃はレコードと言っても電気録音はまだされておらず、実際の再生もかなり雑音混じりの苦しいものだったと思われる。電気録音が実用化されたのはこの翌年の1925年から)や演奏会場でのサラウンド効果も狙って客席後方からステージ上とは別動隊の管楽器軍を配置している。更に演奏効果の高い曲を作ったわけだ。
 そして最後に書いたのが「ローマの祭り」。初演は1929年2月21日でこの曲はアメリカで初演された。しかも徹底的にムッソリーニを批判していたトスカニーニの指揮で。
 この頃のイタリアはムッソリーニの独裁体制が確立されていて、「古代ローマ帝国の復活」への野望が着々と進もうとしていたところで、ここでレスピーギが発表したのは古代ローマの皇帝ネロのキリスト教迫害の時代の残虐な祭りから、グッと月日は経ち1300年、キリスト教の中心地となったローマ特赦を得るために巡礼した者たち、それを迎える鐘の音。そしてローマ教皇の別荘地での葡萄の収穫祭の様子。最後はレスピーギが生きた時代の主顕祭の乱痴気騒ぎの様子。古代からレスピーギの時代までのローマの祭りを年代順に辿り輝かしい誇るべきローマの歴史を聴くという仕掛け。
 編成は「松」よりも更に大きく、特殊楽器も交えての音の大乱舞が楽しめる。
 この三部作は、レスピーギのローマ賛歌と断固たる誇り、そして音楽面でのイタリアの復権を望むその現れでもあるのだけど、イタリアはその後に第2次世界大戦で敗戦国となりムッソリーニの野望はくじかれたのはご承知の通り。
 ムッソリーニを支持したレスピーギは第2次世界大戦勃発前の1936年にこの世を去る。
 レスピーギの望んだイタリア音楽の復権に関しては、もう時代は彼の進んでいた方向ではなく、混沌の時代へと進んでいったわけです。

by yurikamome122 | 2015-05-19 17:26 | 今日の1曲

5年前に聴いたシベリウスのヴァイオリン協奏曲を思い出して

c0021859_23175098.jpg シベリウスのヴァイオリン協奏曲が、今日は無性に聴きたくなって、5年前に県立音楽堂で聴いたコンサートを思い出してみたかった。
 もう遠い記憶だけど、妖精のような女の子の演奏するこの曲はデリケートで北欧の童話のようなメルヘンのような演奏だったんじゃなかったか。
 この子があのとき何歳だったか忘れてしまったのは申し訳ないけど、でも高校生くらいだった気がする。
 柔らかな暖かいオーケストラに包まれて、勇ましくも果敢に曲に挑む彼女の姿は、それだけでとても感動的だったし、それを包むオーケストラもよかった。
 1楽章の長いカデンツァや2楽章の清らかだった響きが今でも印象に残っているし、3楽章の躍動も私がこの曲に持っている印象とは違う早春の嵐だった。カッコよかった。
 あの子が、素晴らしい結果を出したんだって!!。なんだか話を聞いただけでジンと来るな。
 残念ながらあの演奏とは全然違う、でもこれも名演だと思う潮田さんと征爾さんの演奏を聴きながら、もう一度あんな演奏聴きたい。
 いや、近いうちに聴けるのかな。

by yurikamome122 | 2015-05-18 14:42 | 今日の1曲