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プリアンプの製作 その2 使用する抵抗とボリュームコントロールに関して

 プリアンプの実験として、使用するパーツに関して、先ずは抵抗と次にボリューム。ボリュームコントロールをアッテネーターにするか可変抵抗にするかは全く何の躊躇もなくアッテネータとしたい。可変抵抗は構造上理由だろうと思うけども、スイッチ式のアッテネーターに比べると透明感に劣る。これは仕方がないと言われている。これも先ずは実験。

 そこで、いくつか個人的にめぼしいと思う抵抗を選んで試してみる。

 1.TAKMAN REY50 金属皮膜抵抗
    堅めの聴いていてめざましい新鮮みはあるのだけどどちらかというと、
    金属的な肌触り。分解能が高めで定位感も良い。
    2週間エージング後にはそれらがすっかり印象を変えて、柔らかで、か
    つ分解能の高い、透明度のある音になった。

 2.理研電具 RMG 炭素皮膜抵抗
    生産は完了してしまっていて、流通している分だけしかもう手に入らな
    い。カーボン抵抗らしく、当初の音出しでは率直ではあるのだけど高域
    が詰まった感じのする音。やや定位が甘いのに加え、押し出しが弱い。
    2週間のエージング後ではその詰まった感じがとれて、高域のパンチも出
    てきた。とはいえ、金属皮膜のように輝かしい高域ではなく、まるで石
    膏の板の表面のように真っ白に輝くきめ細やかなもの。定位感がハッキ
    リしないのは相変わらずと思っていたら、そうではなく、上下左右前後
    の3次元の空間の再現力が良いせいで、録音会場の反射音がよくきこえる
    ために、アンビエンスの豊かさに包まれて定位を忘れがちになるだけだっ
    た。

 3.アムトランス AMRG 炭素皮膜抵抗
    0.75Wで試した。当初は中低域の張り出しが大きく、力強さは感じるが
    やや鈍い感じがしなくもない。定位感は良いのだけど、特定の楽器が前
    に出る感じ。
    2週間エージング後は滑らかで率直、そして高域のきめ細やかさには大
    変な魅力を感じる。リケノームのRMGの後継としてアムトランス独自
    に開発と言っていたけど、感じとしてはリケノームよりも繊細で力強い
    ように感じる。アンビエンスの再現力はRMGを超える。間違えなくイ
    チオシなのだけどサイズが大きいのでアッテネーターに使えないのは残
    念。

 4.タイヨーム FTR33S 炭素皮膜抵抗
    音出し当初はなかなか悪くないのだけど、2週間エージング後の音の変
    化が少なく、RMGやAMRGに比べると魅力は劣る。スピーカーの奥に
    ズラリと奏者が並ぶ感じ。但し、魅力に劣るというのは前のその3者に
    比べるとという話。悪くはない。

 5.アルファ FLCX アルミ箔抵抗
    値段は高い。無誘導の巻いていない、L分の少ない抵抗として大いに期
    待した。
    音出し当初、意外なことに濁って曇っていた。定位感は甘め。
    2週間のエージング後、スッキリとした繊細な感じになったが、やや押
    しが甘い気がしないでもない。定位感はハッキリしているがシャープで
    はない。空気感が豊か。やはり3次元に拡がるが線が細い。でもこれは
    これで魅力的と思う。

 6.ビシェイ VRS 金属箔抵抗
    アルファの倍くらい。音出し当初、繊細で高分解能で率直な印象で控え
    めな印象なので物足りなく感じるけども、よく聴くときこえるべき音が
    ちゃんと鳴っている。
    エージング後には空気感が更に増して、そして線が細いというか、押し
    出しが弱いと感じていたが、そうではなく立ち上がりの良さと、スパー
    ンと抜けるときの見事さはさすが。だけどいくら何でもアッテネーター
    に使うには現実的ではないのが残念。

 7.進工業 RE35Y プレート抵抗
    現在生産完了品。以前からこれも音が良いと評判のもの。たぶん無誘導。
    がしかし当初から曇った印象で、どうもそれはエージング後もさほど変
    わらず。評判ほどではなかった。

 8.ニッコーム RP-24C プレート抵抗
    これもたぶん無誘導。進よりは良かった。音足し直後の濁り感はやはりこ
    れもあり、そして空気感も定位感も今ひとつ。
    エージング後にはだいぶ改善されてきた。価格からするとお買い得の抵抗
    とは思う。空気感もあるし、音像の率直さも魅力ではある。が他のもっと
    良い抵抗と比べるといかにも魅力に乏しい。

 9.DALE NS-2B 巻き線抵抗
    これも定評のあるもの。音出し直後に「こ、これは、この音は・・・・・」
    まさにその音でした。調べてみるとその通り。私が個人的にこの抵抗を使
    うことはないでしょう。

 これらの結果は絶対とも言いがたいと思うのは、同様の実験で他の人は全然正反対の結果のものをネット上では見つけることができるから。
 そして、抵抗のエージングによりどの抵抗も一様に音の鮮度が増して、程度に差こそあれたった2週間で空間の再現力が見違えるように変化したものもある。
 よく言われるように、金属皮膜は音がシャープで堅め、炭素皮膜は音が厚く柔らかめで金属皮膜に比べるとややエッジが甘めという傾向はなくはないけども、エージングによってそれらの差はだんだんと埋まっていくような気がしなくもない。但しビシェイは別格。このクオリティーは値段に恥じない、というか値段以上の価値かも知れない。

 実験結果を踏まえ、プリアンプに使う抵抗はアムトランスのAMRGに決定。アッテネータに使うのはこの選択肢からだと音質と価格とサイズを考慮するとTAKMANのREY50と、アムトランスのAMRGなんだけど、アンプ基板がAMRGなので揃えたいけどもサイズの関係で無理なので、次善の策として同じような音の傾向で値さえそろえば理研電具のRMGとしたい。
 先達の方のご厚意もあり、なんとか希望通りRMGを揃え、そして完成。

音質比較と言うことで、次の3種類を実験してみた。

 1.アルプスのデテントボリューム
    たぶん実売価格2000円以下
 2.おそらくは中国製の格安ラダー型アッテネーター。
    よく6000円くらい方売っているもの。
    デールの抵抗を使っているというのがウリだそうです。
    写真は販売店の売り上げに影響するといけないので自粛。
 3.セイデン製のロータリースイッチを使った自作
    抵抗は理研電具のリケノームRMG1/2W使用
    スイッチも含め、材料費だけで30000万円超え

 大変期待したのは2番のもの、この値段で良い結果なら大変にコスパの良い話。

 基準としては、一般的というか、自分でもよく使っていたデテントとして聴き比べてみる。デールの抵抗を使ったラダー型は、なぜかスッキリせず、何かどうも聴いていて痒いところに手が届かないもどかしさというか、そしてメタリックな色付けも気になった。一聴してこれは明らかに鉄の音。実際磁石を付けてみたところ、やはり磁性体であった。
 デールというメーカーは、最近売っている抵抗で非磁性体のものあるのだろうか。
 セイデンのロータリースイッチを使ったアッテネーターは抵抗にも全てシールドを施した手間とお金をかけたもの。これは別格、比較すること自体もう意味がない。これほどまで音量調整で音が劣化していたわけだ。
 音場の拡がりも立ち上がりも粒立ちも、アンプそのものが1ランクも2ランクも上がったような印象を受けた。
 それにしても、アルプスのデテントはこの値段では大変にコスパの高い製品だと思った。3倍以上の値段のアッテネーターよりも断然音が良い。セイデン製のスイッチを使ったアッテネーターには当然かなわないのだけど、音の率直さ、そして透明感でも満足できるものだと思う。
 2のアッテネーターをなんとか良い結果が出ないものかと、たとえアッテネーター本体をシールドしてみたり、あるいは紐のような細い線を太いものに交換したり試してみたけども、磁性体は磁性体、何をやってもダメだった。
 今後、私はこのアッテネーターを使うことはないだろうと思う。そしてデールの抵抗も。
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by yurikamome122 | 2015-06-25 13:07 | オーディオ

アバド指揮、シカゴ交響楽団ほかで、マーラー作曲、交響曲第2番「復活」

c0021859_17392950.jpg アバドが私の前に颯爽と登場したのがこの録音だった。シカゴ交響楽団とのマーラーの2番。流麗に流れる音楽の綾が優美に交錯して紡がれる。そこにしっかりと注がれた熱い情熱とパッションは、アバドの場合たとえばメータのようにドロドロとうねり流れるようなものではなく、気品を感じるような知性があってスマートでスタイリッシュ、そしてこの頃の録音にはその上に若々しい清澄さがこの演奏を更に魅力的なものにしていたし、実際マーラーのこの曲はこういう曲だと思っていた。
 優美にデリケートに旋律が歌って、舞い上がったり激情を湛えたり遠くを見据えたりしながら、どんな時も音は、響きはあくまで明晰。
 しなやかな音楽は一つ一つ心のヒダがクッキリと刻み込まれながらドラマティックに演奏を盛り上げる。またこの頃のシカゴ交響楽団の響きの魅力的なこと。
 この世界観は圧倒的に説得力があったし、今改めて聴いてみて、やはりとても魅力的だった。
 この曲がアバドで初めて録音されたのはたぶん70年代の終わり頃だったと思うけど、あの頃、マーラーを演奏する指揮者はこのアバドとメータと征爾さん、それからレヴァイン。ハイティンクは全集の存在は知られていても日本では手に入らなかったし、後は若い頃のバーンスタインとクーベリックの演奏くらい。若手指揮者の仕事だったマーラー演奏は、若い、熱い情熱に満ちた音楽だと私は勝手に思い込んでいて、だからこそあの時代の彼らの演奏のあの「原光」がとても魅力的にきこえた。だからこそあの頃私にはクレンペラーの演奏があまり魅力的ではなかった。
 最新のアバドの晩年の録音はもちろん凄い説得力なんだけども、そして私のマーラー像も、この曲への印象も変わったのだけども、やはりこの演奏は今でも私にはあの頃の想い出とともに、今でもあの頃と同じ熱いものが胸の奥からこみ上げるあの感じとともに、そしてこれからもたぶん一生この演奏に魅力は消えないんだろうなぁ。

by yurikamome122 | 2015-06-24 17:39 | 今日の1曲

プリアンプの製作 その1

 先日、あるマニアが我が工房にお越しになり、安井式アンプと安井式のネットワークによるシステムを試聴された。
 「これは凄いっ!!」、その音が出た瞬間の表情が嬉しかった。
 聴き進むうちに「今まで聴いていた音は何なんだって感じ」ともおっしゃっていただいた。安井式アンプの雄大なスケール感と奥行きを感じる透明感、そして実在感を体験していただけたのはよかった。

 実は、パワーアンプの後プリアンプの安井式で組み上げている。
 パワーアンプの成功からすれば当然その延長でと言うことだし、安井先生の「プリアンプが対応していなければ音は拡がりませんよ」というお話もあり、更にその先を聴きたくなったというわけで、先だってのAccuphaseのP-6100の対決での収穫もあり、記事のオリジナルを更にブラッシュアップしたくなり、本格的プリアンプに先立ち、検証実験用にOP-AMPを使った実験機をバラックで組み立ててみた。
c0021859_15373971.jpg カップリングコンデンサは1.5µFのよくOP-AMPのデータシートに載っている極々当たり前のOP-AMPのフラット増幅回路に安井式電源を組み合わせ、(とは言ってもオペアンプ周りのデカップリングは100µFの電解コンデンサを入れてあった)パーツは手持ちを使った関係で定数も手持ちのものになっている。トランスはジャンクのよくある青い小さなトロイダルを使った。この手のトランスは多くの場合恐ろしくレギュレーションが悪い。このトランスもご多分に漏れず、出力電圧が定格で35Vなんだけど、開放状態では67Vもある。不良品かと思ったけど、データシートを見てみたらそういうものだった。それだけ巻き線の直流抵抗が大きく、つまりレギュレーションが悪い。
 はさておき、先ずはそのまま誰でもやる、つまり安井式のフィルターなしの回路での実験。OP-AMPは手持ちであったもの幾つか差し替えたけど、個人的に好みだったバーブラウンのOPA2604で実験機とした。
 この時点での音は、OP-AMPによくありがちな、カチッとした堅めの音で、そしてこのOPA2604らしく活き活きとしたパンチのある音がしている。それでいて手応えを感じる中音域の厚みも、たとえば優等生的なナショナルセミコンダクタのLME49860よりもワイルドで、音楽的なリアリティーではこちらの方が好みではあるのです。そんなわけで、これはこれで悪くはないとも思う、アナログのトランジスタアンプ的な音と言いますか、色気のある音であった。

c0021859_15491372.jpg いよいよ安井式の検証。まず、回路図で目につく安井式の特徴のコイルによるフィルターを挿入すると音は一変する。奥行きを感じて低音の力強さが増す。
 次にカップリングコンデンサに10µFの電解コンデンサを並列に接続。これは効果が確認できるまで時間がかかった、音が曇るような印象を感じなくもない。エージング待ち。
 そしてデカップリングを安井式のオリジナル通り0.033µFに変更。これが素晴らしかった。前後感の再現力が格段に上がった。但し低音の力強さが後退したような気がしなくもない。
 そこで、整流後、電源回路以前の平滑コンデンサの容量を手持ちの関係で1500µFだったものを更に2000µF重ねて合計3500µFとしてみたところ、低音の力強さが改善された。
 そんな試行錯誤をしているうちにカップリングに並列した電解コンデンサもエージングが進み、並列した直後とは全く違う響きを聞かせてくれている。
 この響きはもはやOP-AMPとは思えないスケール感に柔らかさ、しなやかさ。
 この時点ではまだパーツ類のシールドはしていなかったのだけど、簡易のシールドを施してみたところやはり音のスケール感と決めの細やかさは更に増してきた。

 ここで、OP-AMPを新日本無線のMUSE-01に差し替えてみた。この非常識に高価なOP-AMPの実力はというと、スピーカーから流れてくる音の浪々をしたスケールにはOP-AMPの私の固定概念が全くの言いがかりのようなものだったと言うことを身をもって体験をした。このふくよかさ、艶やかさ、ダイナミックな力強さは真空管と言っても誰も不思議がらないと思う。でも実はマニアは敬遠するOP-AMP。

 回路図は、どこにコイルを挿入し、デカップリングの値などがわかるように添付しておく。これは安井先生御自身が記事にしたものとほぼ同じ。
 と言うことで、ここまでが安井式のオリジナル通りの構成でアンプを組んで、安井先生のノウハウがどういう効果があるのかを一つずつ検証してみた。
 コイルや抵抗のシールド、デカンプリングコンデンサにカップリングコンデンサ、それぞれに大きな効果があったのは事実と同時に、そうたいした出費にならないところがポイントで、大胆な回路に見えないので地味な印象ではあるのだけど、こう進めていくうちに音の善し悪しは、パーツやら回路やらで決まるのはもちろんだけど、なぜそれらが音の善し悪しに聴感上影響するのかはパーツや回路が良い悪いと言うことよりもそういう影響を出させる要因は何か別にあるような気がするのです。
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by yurikamome122 | 2015-06-24 15:49 | オーディオ

ヴィルトゥオージ・デル・カントの演奏でロッシーニの弦楽のためのソナタ全集

c0021859_1620223.jpg 美食家ロッシーニってその後に自ら料理人になるほど美味しいものには拘ったらしいのだけど、この「弦楽のためのソナタ」がとってもチャーミングで、全6曲がケーキバイキングのように並んでいるワケなのです。
 モーツァルトやサン=サーンスなんていう子供のうちから恐ろしくできるヤツもいたのだけど、このロッシーニもその口で、この曲集は12歳の作。時折きこえる後のオペラのようなところなんてついつい手を止めてしまう。最後はロッシーニ・クレッシェンドもやっぱり12歳くらいの少年のような雰囲気で登場。
 この曲集、多少の恥ずかしさもあってか後にロッシーニ自身で酷評するのだけど、聴いてみれば伸びやかな歌心に純真さと無邪気さが雨で洗い流された空気の澄んだ梅雨の中休みのまぶしい光に負けない輝かしさと魅力があったわけで、やがてつい聴き惚れて止まらなくなってしまった。

 いろいろなアンサンブルが録音していて、カラヤンやイタリア合奏団なんて弦楽合奏でやってるんだけど、カラヤンのこの曲の奥底の、たぶんロッシーニ自身気付いていない心のヒダを丁寧に洗い出して、そして多少堀を深くして整えた演奏はそれはそれで大変聴き応えがあるのだけど、やはりオリジナルの四重奏の方がなんたって透明な響きが大人ではない無垢な少年の感じだし、やはりきいていて音楽が舞っていると思う。

 で、この「ヴィルトゥオージ デル カント」の演奏、チェロは生クリーム、濃厚でいながらもたれない大人の甘さ、ヴァイオリンがクッキーにトロピカルフルーツってところですか。
 そしてコントラバスがシフォンケーキで、時々存在感のあるソロや歌い回しを披露しながらドッシリと構えた貫禄、いいですなぁ、このアンサンブルの心地よさ。
 皆さん普段はオケのメンバーだったりソロ活動をしたりの方たちだけど、音色と豊かな残響を伴った響きがすごい魅力的で、それぞれの音が優美な線を描き、舞い、そして綾となり紡がれる。それらが極上ケーキのようについついと手を伸ばしたくなるような粋でキュートなワクワクするような香り、彩り、梅雨の中休みの澄んだ空気のまぶしい光と爽やかな風にピッタリ。
 この曲のオリジナルであるはずの弦楽四重奏の録音は実は結構貴重なんじゃないのかな。それに、なんたってこのおしゃれな曲集はこんな時には是非聴きたい贅沢な1枚でありました。

by yurikamome122 | 2015-06-22 10:54 | 今日の1曲

打楽器四重奏団「Shun-Ka-Shu-Tho」の演奏で、ガーシュイン作曲、3つのプレリュード(編曲:藤本隆文)

c0021859_13364068.jpg 打楽器四重奏団「Shun-Ka-Shu-Tho」と言うのがありまして、たぶんまだ解散はしていないはずなんだけど、このアンサンブルのCDはナカナカですぜ。
 何年前だったか、彼らのコンサートで聴いたガーシュインの「3つのプレリュード」がとっても粋で、このコンサートで打っていたCDにも入っていて、っていうか、ビブラフォンやマリンバ、ティンパニなどの打楽器の色彩感と表現力、その澄んだ可愛い音一つ一つが、憂鬱な梅雨の曇り空から舞い落ちる雨の滴が楽しそうに陽気にスイングしていて、いろいろな表情でポロッと葉っぱから溢れ落ちる、その滴のアンサンブルのようにチャーミングでかわいくてカッコイイ。
 これを聴いていると、雨もそう悪くないもんだって、そんな気がしてくる。

 元はピアノ曲なのかどうなのか、よく知らないけど、ガーシュイン自身ピアノで演奏した録音は、と言うか演奏はあまりモダンではなく、古典的な香りがする。プレヴィンがギル・シャハムと演奏しているのが都会的な色気をたたえて心地よくスイングしていて、こういうのをたぶん「なかなかゴキゲン」というのだろうと思ったりする。
 で、これらとは全く違う世界を聴かせてくれているこの「Shun-Ka-Shu-Tho」の演奏のために、この曲を打楽器アンサンブル用にアレンジをした藤本隆文さんを知っているのは神奈川フィルを聴いている人では結構の古株。打楽器の首席で、ステージの一番後ろでティンパニの前にいつも君臨していた。
 で、この演奏でティンパニはひょっとしたら平尾信幸さん?。コンサート当日は確かそうだった。

 そしてこの日のコンサートの最後に演奏されたのは、ジョン・ケージの初期の作品で「ConstructionⅢ」。プログラムに「1940年代に、かくもダンサブルかつイカレた作品が書かれていたとは」って藤本さんが書いていた。確かにイカレている。ワクワクしながら聴いちゃった。スッゲー面白かったコンサートだった。c0021859_13395678.jpg

by yurikamome122 | 2015-06-19 13:40 | 今日の1曲

ミッシェル・サナドゥーを知っていますか

c0021859_17231940.jpg フランス方面の歌手で、ミッシェル・サナドゥーっていうのが居て、これが印象深い伸びやかな声で明るく溌剌と、そしてセクシー。ノスタルジックで雰囲気がいかにも70年代後半から80年代って言う感じ。恐らくは、これのヒットの延長線上にフリオ・イグレシアスがいたんだと思う
 中学生の頃、FMからきこえてきたカッコよく惚れ惚れする歌声に、さっそくラジカセの録音ボタンを押した。「恋のやまい」という歌だった。
 後でレコード店に行っても、「ミッシェル・サナドゥーと言うフランス人のレコード」と言っても、田舎の町のその店には在庫がなく、お取り寄せと言うことになったのだけど、後に我が家の黒い電話の優しいベル(あの頃の電話のベルの音は心地よい響きだった)が鳴ったときに、電話の向こうに出たその店のお母さんに「お取り寄せのミッシェル・・・・・・のレコードが来ました」と言われて、喜びに心をときめかせて取りに行ったらミッシェル・「サナドゥー」ではなくミッシェル・「ポルナレフ」だった。我が国ではフランス人の歌手でミッシェルと言えばポルナレフが有名で、勝手に向こうが勘違いしてしまっていた。大変がっかりした。
 それから待つこと2週間してやっと来たレコードに針を下ろしたときの嬉しさは今でも覚えている。
 
 その後に愛読していた「FMレコパル」をチェックして、ミッシェル・サナドゥーの歌が放送されるときは必ずエアチェック(これも死語だけど懐かしい)をした。
 その中で印象的だったのが「ジュテーム・ジュテーム」。
 純真に恋人への愛を歌う、真夏の夕日のきれいな海岸で、情熱的に彼女へアタックしている、あんまりエロチックではない歌だったはず。
 youtubeにあったリンクを張るので是非に。


 あともう一つ、日本では「愛の旅立ち」と言われた曲で、誰か日本語で歌っていた気がするのだけど、誰だったか。日本語ではおしゃれではなかった。
 これが、「世界中旅しようじゃないか、文無しになったって、君がいればいつでも胸がいっぱいさ」みたいな、元気が出るというか憧れるというか、ついうっかり自分でもやってしまいそうに楽しい歌。


それから、日本では「恋のやまい」と言われていた曲。これはもう、聴けばわかる。聞いたことあるでしょう、あの曲。


先日アップした、誰も知らないだろうと思った「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」がなぜかブログヒット3桁を回復する大ヒットしているのは朝ドラのせいだと知って、大変ガッカリして、それではつまらないのでアップしました。

by yurikamome122 | 2015-06-18 17:25 | 今日の1曲

アナログレコードの溝をプレーヤーの針がうねうね動く様子を顕微鏡で見る ~ 今日のグノシーの記事から

c0021859_1063880.jpg これ見ると、まるで幼児に巨大ダンプを手で動かさせているような違和感のある景色に見える。しかも可聴帯域をカバー(昔あったCDー4と言う形式ではその倍以上)する音まで拾うとなると1秒間に2万回も振動していて、それを正確にカートリッジのカンチレバーの根元の磁石かコイルまで伝えるわけだ。
 実際、こんな巨大なものがこんな細い溝を脱線しないでなぞっていき、この細かな振動で発電するなんて、神業的に思う。普段使う居間の引き戸だったら絶対脱線している。
 ましてや、こんなバカげた景色によって再生される音をいいのわるいの言うことをナンセンスと感じたりしないでもない。(とはいえ、多くの場合デジタルの音源よりも確かに結果がいいのも事実。)

 ちなみに、カートリッジの針圧を仮に1グラムとしたときに、それを1平方センチに換算すると3トンくらいの力がかかったものと言うことになって、シュアのように軽いものでもそれくらい。マニア延髄のオルトフォンのSPUなんて3グラムも針圧をかけるので、1平方センチ換算では9トンというすさまじさ。
 その上、音を拾うために溝に沿って上下左右にこの針が動くのだから、それこそSPUみたいにロー・コンプライアンスだと、加速度も考慮すると、そのときに瞬間的にどれくらいの針圧がかかっているかなんて考えたら、この細い溝はよく頑張ってる。

もと記事はこちら
アナログレコードの溝をプレーヤーの針がうねうね動く様子を顕微鏡で見るとこんな感じ

 このもと記事の中にある「ワルター」時代の「ウェンディー・カーロス」の「Switched on Bach」のジャケットが懐かしい。これがシンセサイザー「ムーグⅢ」の名を世界に轟かせた。

by yurikamome122 | 2015-06-18 10:10 | オーディオ

安井式40WパワーアンプとAccuphaseのP-6100の対決

 パワーアンプの製作で、安井式の選択の成功だった。
 あるイベントで、パワーアンプのみ安井式にしてデモンストレーションを行った。多くがオーディオに興味がある人しか来なかったそのイベントでは、おおむね好評というレベルではなく、足を運んでくれた人は皆一様に予想以上のクオリティーに驚いていた。
 あるマニアが「そのアンプ、貸してくれませんか」というお話。その方のお宅で、アキュフェーズのアンプとタンノイの高級スピーカと組み合わせると言う機会を得た。
 ラインナップはパワーアンプがP-6100、プリアンプがC-2420。スピーカーはタンノイのカンタベリー。
 基本的にバランス伝送で接続されていて、スピーカーはバイワイヤリングで接続されている。
 今はハイエンドはバランス伝送が常識的な流行と言うことになっている。(実はバランス伝送というのは家庭用のケーブルが長くても数メートルというオーディオシステムでは、デメリットの方が大きいと言うことをあまり知られていないのは、ものを作る側で、しかも高いものを売りたい方としてはありがたいことだと思う)
 始めに聴いた印象で、このシステムのスケール感は快感を感じさせる。
 伸びやかなきめの細かい音も色気を感じたし、ピアノの共鳴による基音より低い音も雄大に響いていて、それでいて立ち上がりがよかった。でもハイエンドによくありがちな1枚ベールをかぶった印象はやはりここでもあった。
 そんなシステムのおよそ100万円のパワーアンプとの対決なのだけど、安井式のパワーアンプはアンバランス伝送なので、アキュフェーズのプリアンプのC-2420はアンバランスの出力も装備されているのでいるので、こちらを使って接続。
 カンタベリーは能率が8Ωで96dBもあるので、スピーカーから2~3mのリスニングポジションで40Wの出力でもダイナミックレンジとしては生のオーケストラ以上の音が出せるので、全く出力としては問題なし。
 重さも大きさも全然違うこの対決は大変楽しみだったけど、結果は惨憺たるものだった。
 自宅ではスピーカーの外まで拡がっていた音場が全く拡がらないどころか奥にくすんでしまっていて、しかも詰まった印象。
 アキュフェーズできこえていたピアノのハンマーが弦を叩くその感じが全くしない。
 よくハイエンドにありがちな、スケール感はあるのだけど1枚ベールをかぶったそんな感じが更にひどくなったような印象だった。ホールトーンが自然に引かないどころか、きこえるべきホールトーンがない。
 明らかに自宅で鳴らすのとは、出張デモで鳴らすのとなり方が違う。
 実験用に用意していったコモンモードフィルターをプリとパワーの間に挿入したところ、大きな改善があったものの、それでもアキュフェーズの足下に及んだとは到底言いがたいのは変わらない。自宅で聴いたときのようなホールに包まれるような感じが全くしない。
 アンプを自宅に持ち帰りいつもの環境で試してみると、さすがにカンタベリーのスケール感にはかなわないのだけど、透明感と立ち上がりでは明らかに我が家の環境の方が勝っていると思う。
 安井先生にそのことを話してみたところ、「プリアンプも対応していないと、音は拡がりませんよ」とのこと。
 この経験は大きかった。音をよくする秘密が一つ解った気がした。
 なぜたった数メートルのケーブルに大金を投資しなければいけないのか、なぜ試聴したときと買ったときでは音が違うのか、その原因の大きなものを見つけた気がした。
 そして、それは後の実証実験でたぶん正しかった。

by yurikamome122 | 2015-06-16 05:59 | オーディオ

ジュリーニ指揮、バイエルン放送交響楽団でラヴェル作曲、「マ・メール・ロワ」とこの曲の周辺

c0021859_176544.jpg ミュンヘンの放送局のオーケストラから、ジュリーニが聴かせたマ・メール・ロワは印象的な演奏だと思う。
 会場にフワッと拡がる幻想は精緻に作られたラヴェルの世界そのものかもしれないけど、でもスピーカーを通してでもなお精緻さなど感じさせない、朝靄のように漂う情景と、誰もが持っていたような純粋で澄み渡った感情と、それをなんの疑いもなくあたりにまき散らしていたあの頃の切ない想い出。
 音楽から感じる暖かさよりも、胸の奥からわき出る押さえることのできない何か。音楽を聴いている今この時、幼少の頃に戻った

 ラヴェルは、生まれた年は40年もサン=サーンスの方が早いけど、どちらも1800年代の後半から1900年代の前半に活躍したフランスの作曲家。
 また、どちらもフランスの新古典主義の作曲家で、シニカルな態度を露わにする皮肉屋と言うのも両者共通。また、両者とも先進性のせいかどうか、当時のアカデミズムの審査によるローマ賞には縁がなかった。
 ラヴェルは「水の戯れ」で、サン=サーンスは「死の舞踏」で両者ともリストつながり。
 そして、サン=サーンスの弟子のフォーレの弟子がラヴェル、つまりラヴェルはサン=サーンスの孫弟子となるのでした。
 さらに、遊び心に満ちてたラヴェルの「マ・メール・ロワ」と「ピアノ協奏曲」(相撲で舞の海が時々披露した「猫だまし」よろしく初っぱなパチンと張り手一発、その後も違う調性の同時進行やポリリズムやブルーノートなどなど、技のデパートの面目躍如。しかしながらラヴェル自身「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲した」と言っている)
 サン=サーンスも「動物の謝肉祭」という遊び心を示しているけども。

 「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」の事で、でも「ロンドン橋落ちた」なんかで有名な「マザー・グースの歌」ではなく、「赤ずきん」「シンデレラ」などの作者のフランスの物語作家のシャルル・ペローのおとぎ話集の「ロアお母さんの物語」(マ・メール・ロワ)で、それを英語直訳したのが「マザー・グース」。
 マザー・グースよりマ・メール・ロワの方が年代的にも本家本元で、後のグリム童話にも影響を与えたと言われているとか、ラヴェルのマ・メール・ロワはペローの童話集から題名と物語を採用したけれども、ドーノワ夫人「緑の蛇」より第3曲の「パゴダの女王レドロネット」を、ボーモン夫人の童話集「子供の雑誌」の中の「美女と野獣」を採用したとか、(最後の「妖精の園」はラヴェルの創作)この曲の作曲経緯であるところの、ラヴェルが画家のボナールと友人のゴデヴィスキーを訪ね、ボナールがゴデヴィスキー夫人の肖像画を描いている間に、彼女とその子供2人の子供、ジャンとミミーのためにこの「マ・メール・ロワ」をピアノ連弾曲として書き、この二人の子供に献呈したし、初演もこの二人の子供で行いたかったのだけども、この子らの手に余り1910年の初演は、後に「クープランの墓」を初演するマルグリット・ロンの弟子でパリ音楽院の学生であった2人、当時11歳で後にここの教授となるジャンヌ・ルルーと14歳のジュヌヴィエーヴ・デュロニーが行った事や、こんな私的な作品であったので、一般に聴かれるものではなかったが、1911年にラヴェル自身で管弦楽版に編曲され、その後に芸術劇場の支配人のジャック・ルーシェからの依頼で、1912年に《前奏曲》と《紡ぎ車の踊りと情景》、《間奏曲》を書き加えて管弦楽に編曲し、ラヴェル自身の台本によるバレエ作品として公表、大成功だった。---などというのはもちろんよく知られた話。
 ただ、この曲をよく聴いているうちに、どうしても子供の頃にタイムスリップするこの仕掛けを探ってみたくなった。もちろん私なんぞにラヴェルのインスピレーションの神髄なんか当然感じることなんかできるわけもないのだけど、でもそういう子供のような気持ちにさせるのもこの曲なのだと思う。
 そしたら、当たり前だけど、改めてラヴェルのオーケストレーションは凄かった。

 この曲は劇中劇として物語が進む。
 オリジナルのピアノ版では1曲目の「眠りの森の美女のパヴァーヌ」で王女の「眠り」によって始まったこのおとぎ話の中のおとぎ話は、王子の登場と王女の「目覚め」、すなわち「妖精の園」の壮大なフィナーレによって結ばれる。
 今回演奏されるであろう管弦楽によるバレエ版では、同じ劇中劇の形式をとっているが、ラヴェル自身の台本により、ペロー版「眠りの森の美女」により構成が近づき、また「前奏曲」、「紡車の踊り」を加え、曲順を入れ替え、そして各物語の前に間奏を配置した。
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前奏曲、第1場「紡ぎ車の踊りと情景」、第2場「眠りの森の美女のパヴァーヌ」

 舞台は妖精の園、お城のファンファーレが遠くきこえる中、紡ぎ車の棘に刺さり100年の眠りに落ちる。そして王子様の手によって目覚めるように魔法をかけられる。なんとか彼女を目覚めさせようとするが、誰も彼女の目を覚ますことができなかった。
 パヴァーヌとはヨーロッパで 16 世紀から 17 世紀初頭にかけて大流行した宮廷舞曲で、17 世紀に入るとやがて消えていった。ゆったりとした二拍子系で曲が進む。
 このゆったりと重々しい雰囲気で静かに始まるメロディーは、聴いていて心地よいエオリア旋法という五音階で書かれていて、なので素朴な印象を持ち、しかも静謐。
 終始ゆったりとp-ppで演奏され、たった一度だけ mf が出てくる以外は常に静けさに包まれている。冒頭のたった一小節の動機から生成され、「ゆりかご」のように繰り返され、同時に四つ以上の音が鳴ることはなく、八分音符以上の早い音符は登場しない。「伴奏の同じ音型の繰り返し」、「親しみやすいメロディー」、「抑揚のないゆったりとした音楽」はすなわち「子守歌」そのもの、簡潔な音楽はまさに静かな「眠り」。

 バレエの舞台では、二人の侍女が王女を寝かせ、ローブを脱いで、仙女ベニーニュに変身した老女は、現れた二人の黒人の子供に王女の眠りを小話でなぐさめるように命じる。
 そして二人の子供は「美女と野獣」「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」の三つの物語をこれから演じる。

第3場.「美女と野獣の対話」

 この曲は物語の原作者ボーモン夫人の「美女と野獣」に沿って作曲されている。「美女の登場」「野獣の登場」『美女と野獣の対話』「二者のワルツ」「魔法と変身」という物語の流れ。
 管弦楽版では場面が変わったことを示すインパクトのある間奏曲の後に、非常に流麗なリディア旋法で書かれた「美女の主題」がお目見えする。
 ppで始まる穏やかなワルツに乗ってクラリネットが「優しく、感情をこめて」(doux et expressif)奏でられる。
 すると非常に短いフェルマータの後に突如グロテスクにコントラファゴットにより低い音で「野獣の主題」が登場する。
 調性感の保たれた優雅な「美女」と、低音域で奏でられることによって非常にグロテスクで調性感が希薄になりリズムもとりずらい「野獣」の2つのテーマが対話を行う。
 野獣が現れた後の「美女の主題」は高い音に寄りがちで、しかも調性的な安定感を失い、そして美女の主題のはるか下方では「野獣の主題」が不気味な上昇をしている。
 二つの主題が同時に奏でられることはほとんどなく、美女が野獣を恐れて「対話」をしていることが表現されている。
 ところが、ffで前半部の頂点が築かれ後半に入ると急速にラレンタンドして初めのテンポに戻り、二つの主題が同時に奏でられる。調性に基づく「美女」の主題と無調的半音階の「野獣」の主題の二つの主題は当然ながら美しく重なることない。
 不器用に音域的に近づいたり、離れたりすることを繰り返しながら音楽はワルツを踊りながら展開し、「野獣」は音域を徐々にあげて速度を速め、逃げる「美女」の主題に迫り、緊迫して早くなり、ついに二つの主題はぶつかり、全休符の完全な静寂に聴衆の耳がひきつけられたのち、幻想的なグリッサンドが現れ、「野獣」に魔法がかかったことが示され、その後、ヴァイオリンのソロの高音域で美しい姿に変身した「野獣」の主題が奏でられ、「美女」の主題も現れると幸福に音楽は主和音で締めくくられめでたしめでたし。

第4場.「親指小僧」

 シャルル・ペローの童話を下敷きにした作品で、貧しさゆえに森に捨てられた小さな少年「おやゆび小僧」は森へ入っていく途中に帰り道がわかるようにパンくずを道に少しずつまいていく。
 この不安な道のり、弦とオーボエなどのよりだんだん伸びてゆく奇妙な変拍子で奏でられるどこまでも続く暗い森の小道。
 森の真ん中で兄弟たちと眠ってしまった「おやゆび小僧」だったが、次の日になってみると、なんとまいておいたパンはみんな鳥が食べてしまった。幻想的な鳥の声がそれを示している。

第5場.「パゴダの女王レドロネット」

 ドーノワ夫人の「緑の蛇」を題材にしたこの曲は、入浴する「パゴダの女王レドロネット」を楽しませるために、男女の首振り人形たちがクルミやアーモンドでできた楽器を使って踊ったり音楽を奏でたりすると言う筋書き。
 中国風の五音音階を基にシロフォンやグロッケン、チェレスタといった「おもちゃ」の楽器が使われている。
 パリ万博でヨーロッパにお目見えしたガムランの影響からか、ピアノの踊り出すような強いリズムなども駆使し、「おもちゃ」という要素に東洋への志向、エキゾティスムを加えることにより「おとぎ話性」を強調し、またフレーズの最後に入るスタッカートなどで、細かく複雑な動きが磁器でできたおもちゃの家臣たちのにぎやかな様子を見事に表現している。
 最後は中国音階に含まれるすべての和音が打ち鳴らされ、にぎやかに終曲となる。

終曲「妖精の園」

 最後の物語が終わると再び遠くで城のファンファーレが響き、フロリーヌ王女の眠る妖精の園では鳥の声が聞こえ、愛の神に連れられて王子が登場する。彼は眠っているフロリーヌを発見する。夜が明けると同時に王女は100年の眠りから目覚め、二人は結ばれ、皆から盛大に祝福される。

 遠くで鳴り響くファンファーレで始まった後、pp で始まった音楽は、まるで母親のお腹の羊水の中を漂うような素朴で安定感と安らぎのあるハ長調で始まる。優しさと感傷的な美しさに満ちて、生まれたばかりの赤ちゃんの皮膚のような気高く繊細で絶妙な上昇と下降を繰り返す。朝焼けを思わせるような凝縮された透明で神秘的な音は、ここでは幾つかの小節を除けば凝縮されて4つの音しか同時に鳴ることはない。
 木霊のような印象的なハープのアルペジオの後、オーケストラたちの天使が舞い降りる中、朝露の輝きのような音色に包まれてヴァイオリンのソロが高域で美しく奏でる。その音色による旋律の後にアルペジオ、高音域の旋律、様々な楽しく美しい思い出が次々あふれ出すように教会旋法、激しい転調、三連符と八分音符の交差、ここで聴き手は優しく抱かれた母親の笑顔とともに幻想的な異次元の世界を感じ、聖域となった幼少の思い出に触れる。
 再びハ長調で満たされた現実へと舞い戻った旋律は徐々に下降したのち、再び上昇をして小さくなりながらリテヌートし、後半部へと入る。まさにこの瞬間 pp で鳴り響く和音の美しさ。
 そして、鐘の鳴り響くさまを思わせる音型が聞えるなか、息の長いクレッシェンドをしながら和音を増やし、日の出のように上昇していき、きらびやかなグリッサンドが激しく駆け巡る頂点では、聴き手は胸の内に湧き上がる間違えなく自分自身の追憶の彼方の甘美な世界の前に立ちすくむ。
 たぶん、私の間近をラヴェルの神髄が通り過ぎた。

 「これは幼少時代の庭であり、人間の心の庭園である。涙を流しながら思い出す使い古した昔のおもちゃ、そこにふれるやいなや壊れてしまうような過去といった、幼少時代のすべての夢幻劇遙」(オリビエ・メシアン)

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 「お嬢さん、あなたがいずれ素晴らしい名手になり、私が勲章にまみれるか、あるいは誰からも忘れられた頭の固い老いぼれになる頃、あなたはその天分でもって、まさしくそう演奏されるべき解釈で、ある芸術家に、彼の作品のひとつを聴かせた、快い想い出をお持ちになっているでしょう。
 あなたの子どもらしい繊細な「マ・メール・ロワ」の演奏に,千度の感謝を贈ります。」

 初演後にラヴェルがジャンヌ・ルルへ宛てた手紙
 (1910年4月21日)

by yurikamome122 | 2015-06-16 04:06 | 今日の1曲

セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンで「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」

c0021859_9381119.jpg 「je t'aime... moi non plus」って、パリには行ったことがあっても、フランス語は全くわからない私に、この言葉の意味は、というと、実は高校時代、友人に教えてもらっていたわけで、今でもおぼろげながら覚えているのは、「愛してる」「私は、どうかな」的な心が通じ合っているカップルのみが意味がわかる、お互いの満たされた深い心のひだを優しく丁寧に一つづつなぞるような、そんな意味だと認識しているのです。

 でも初めて聞いたのは、フランスものにどうも心引かれていた少年期、通い詰めていた、当時新婚だった田舎の電気屋さんの、JBLの4530(D130+LE85+H91)と言うシステムで、通りの向こう魚屋まで聞こえるような大音量大迫力でさんざん聞かされて、今にして思えば小学校高学年から中学生のあの時期、フランス語がわからなくてよかった。
 この曲のなぜか暖かい優しい包まれるような感じが印象的で、その後に妙に印象に残っていた。
 その後に高校に入って、クラスのやたらと優秀で、高3で推薦で医学部に入ったようなヤツに「この歌はエッチ」と聞いて、彼に見せてもらったその歌詞を和訳したものを読んで絶句したのは、今はいい想い出なのでした。
 そして、4年もこの歌の意味もわからずいつも聴いていた自分に恥ずかしくなったワケでした。
 でもその後も、やはりでもこのメロディーが忘れられず、こういうときには大変都合のよい歌詞のないイージーリスニングで楽しむことに変えたわけです。

  Je t'aime
  Je t'aime
  Oh, oui, je t'aime
  Moi non plus
  Oh, mon amour
  Comme la vague irrésolue
  Je t'aime
  Je t'aime
  Oh, oui, je t'aime
  Moi non plus
  Oh, mon amour
  Tu es la vague, moi l’île nue
  Tu vas, tu vas et tu viens
  Entre mes reins
  Tu vas et tu viens
  Entre mes reins
  Et je te rejoins


 和訳は、 いくら何でもやめときます。
 どうしても気になる向きにはこちら
 調子はずれに日々は過ぎゆく ジュテーム・モワ・ノン・プリュの和訳

 あの頃、電気屋さんで魚屋の向こうまで聞こえる音量で聴いたバージョンはこのリンク


この歌の謂われというか、元祖と言いますか、正調と言いますか、本来歌った人、本来の姿のブリジット・バルドーのもっときわどいのはこちら。
 但しR18指定と言うことで。
 BRIGITTE BARDOT & SERGE GAINSBOURG - JE T'AIME (ORIGINAL)

イージー・リスニング版はレーモン・ルフェーヴルで

by yurikamome122 | 2015-06-15 09:38 | 今日の1曲