ちょっと崩れた美について、ラヴェルとドビュッシーの違いなど。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら

c0021859_1345187.jpg ラヴェルという作曲家は、とても古典的だと思ってた、フォルムがカチッとしていて。
 聴いてみてそう感じていたのだけど、確かにそういうところもあるのだとやっぱり思うのだけど、それでいてなんでラヴェルの音楽がこんなに美しいのか、なんでこんなに緊張を強いるのか、ここのところ故あってラヴェルとドビュッシーとサン=サーンスとフォーレばっかり聴いていたんだけど、シューマンやワーグナー、リストなんかをちょっと聴いてみたらなんだかわかるような気がしてきた。
 ラヴェルって禁欲的なんだよね、きっと。そしてその禁欲に宿る人間的、動物的感性と本能とのせめぎ合いの緊張感。
 リストの「巡礼の年」3年の中の「エステ荘の噴水」にインスパイアされてラヴェルが「水の戯れ」を書き、ドビュッシーは「映像」第1集の「水に映る影」を書いた。この2曲の違い、水面の動き、その揺らめきに映る影のドビュッシー、ラヴェルは水面が見えないくらい透明な「水の戯れ」。この整ったような透明感。
 繰り返し延々と同じメロディーを執拗に繰り返すリズムとともに徐々にクレッシェンドで聴き手を陶酔の坩堝からエクスタシーの境地で解放するあの「ボレロ」なんて、セックスそのものじゃないか?。だいたいあの変態的なピッコロとホルンの二重奏はナンなんだと。だけど響きはあくまで透明で美しい。
 それをたとえばワーグナーのようにムワッとした臭いのする場末の映画館で外国製のポルノ映画を見たような曇った下品な、またドビュッシーのようにそのものズバリではなく、ラヴェルはこういう動物的な逞しい情熱的なものは美しいとは感じなかった、きっと。
 なので、ラヴェルは古典的と言うよりも、人間くさい性愛、愛欲をむき出しにしたようなロマン派の音楽のようなものよりも形式を持った古典的なものに美しさを感じた。そしてそこに性愛、愛欲をこういう形で抽象化し昇華する、それがこの人の音楽の世界なんではないのか?。
 ワーグナーはその下品さを壮大な、ヒロイックなイメージで湧き起こる聴き手のイマジネーションにより聴き手が形而上的に受け取る事を要求しているのかもしれないけど、ラヴェルは違う、もう既に昇華し洗練された結晶がそこにあって、即ち透明に「崩れた」美をそこに現している。そう私は感じる。でもだから、聴いていて疲れる。それに引き替えドビュッシーのあの官能的な安らぎ。
 そういえば、私が個人的に西洋の庭園よりも日本の庭園に親近感とより深い美しさを感じたりするのは、西洋式の庭園の明らかに一点から見ることを意識して調和を求めたものではない、枯れ葉1枚もゴミではなく、その崩れたものさえも美しく見せる、そういうところなのかもしれない。でも、日本庭園、枯山水は見ていて疲れる。
 ラヴェルの自宅の部屋には浮世絵が飾ってあって、和風の部屋もあったそうな。
 やっぱり和風の趣味があったチェリビダッケのとってもエッチなボレロを聴きながら。

# by yurikamome122 | 2015-05-22 14:25 | 今日の1曲

レスピーギ作曲、交響詩「ローマの松」をトスカニーニの演奏で

c0021859_17254581.jpg 反ファシズムの象徴としてのトスカニーニは熱烈なムッソリーニ支持者のレスピーギの「ローマ三部作」を一番この曲らしく演奏する一人で、そしてその中でもひょっとしたら最も成功しているのではないかと思ったりする。主義主張の違う思想の支持者が実際にはそんなに関係が悪くなかったというのもなんだか不思議な気がする。
 「新即物主義」と言われ、楽譜の改編など朝飯前(でもなかったようだけど)のロマン主義的な演奏が主流のあの時代、楽譜に忠実をモットーとし(これも実際には言うほどそうでもなかった。口汚く罵ったマーラー改変のスコアで演奏をしたりした)音楽の演奏の改革をしたトスカニーニは、あの時代に現代のピリオド演奏のような衝撃を与えた。
 演奏は前のめりのテンポで輝かしい響きのオーケストラが聴き手の興奮と陶酔の坩堝に巻き込む。
 この演奏でも卓越した表現力のオーケストラを輝かしい音色で歌いに歌わせ、鳴らしに鳴らし、絶妙かつ繊細なデリカシーと圧倒的な音量で、聴き手は、もうその音楽が映し出す情景にただのみ込まれるだけ。そのすさまじさはやはり「指揮者の中の王」(オットー・クレンペラー)であると思う。

 松と言えば松ぼっくり。そして松ぼっくり(pina=ピーニャ、女性名詞)は「繁栄」の象徴。レスピーギは「松」を通してローマの記憶と幻想を呼び起こそうとしたと述べている。
 この「ローマの松」はローマの繁栄の象徴の曲。
 初めに、高音楽器だけできらびやかに始まる音楽は、松のそびえる庭園で遊ぶ子供たち。この部分はイタリアの子供たちの童謡のメロディーからとった。自筆符を見ると6曲書いてあって、そのうち私が判読可能だったのは「ジロジロトンド」と「マダマドレ」の2曲だけだった。ネイティヴならきっと読めたのかもしれないけど私には無理。
その2曲はこちら。

「ローマの松」の冒頭に出てくるやつ
曲名は"Madamadorè"「マダマドレ」


曲名"Giro giro tondo"「ジロジロトンド」


 賑やかな子供の歓声から一転、低音楽器がキリスト教公認前のローマへと誘う。レスピーギは古代の教会旋法とハーモニーを用いて様々な記憶と怨念が渦巻いているであろう洞窟の墓場「カタコンベ」。
 このあたり、「イタリア音楽復古主義」の旗手としての面目躍如。

 次の部分では「人」は登場せずに情景のみの音楽。
 聞こえてくる鳥のさえずり(ここでは「噴水」のように楽器で奏でるのではなく、実際の鳥の声を聴かせる。征爾さんとボストン交響楽団のレコードのライナーには、Gramophone No.R6105と指定していると書いてある。)の中、満月に浮かぶ松。レスピーギは「鳥」が大好きだった。
 この鳴き声は美しい鳴き声の「夜鳴き鶯」といわれる「ナイチンゲール」。満天の星空の下、心地よい風が渡る丘の上から、そのナイチンゲールのさえずりの響き渡るなかローマを一望する。

 そして暗い雰囲気から4拍子のリズムが弱音から徐々にクレッシェンドする執拗な上昇音型がいやが上にもアドレナリンの分泌を促し、ドルビー効果の映画館よろしく客席後方の金管別働隊が360度の臨場感を満たし、輝かしく雰囲気が変わりオルガンの重低音が心臓を揺さぶり、サラウンドの音の洪水で会場中が湧き上がる栄光に満ちた凱旋軍の行進が描写される。
 ここでは豪華絢爛、オーケストラの色彩感と輝きの極致、音のビリビリ感電ショウが展開されているというわけ。

 レスピーギが生まれたのは1879年、もうこの時代、蝋管式ではあるけども蓄音機もとっくに発明されて、我が国でも蓄音機の演奏が行われた。
 イタリアではイタリア王国による統一がナンとか成し遂げられて、そしてやっとのことでローマ教皇領だったローマを1870年に併合し、同時にイタリアの首都をフィレンツェからローマに遷都した、その9年後だった。「全ての道はローマに通ず」ヨーロッパの中心地としての栄光の歴史を持つローマを我が物としたイタリアの国民がイタリア人としてのプライドをやっと満足させるに足る領土を取り戻した。
 とはいえ、これが切っ掛けでローマ教皇との対立も生まれ、またエチオピアやリビアに侵攻し、やがて第1次世界大戦に巻き込まれ、なんとか戦勝国にはなったものの大変な出費と疲弊がそこには残された。こうなるとどこの国も右翼の台頭が起こるわけで、「古代ローマ帝国の復活」を目指すムッソリーニの登場。
 一方音楽においてもバロック以前から芸術でヨーロッパをリードし様々な輝かしい歴史を持つ音楽大国のはずが、18世紀後半以降はオペラ以外ドイツ・フランス等に新しい音楽への貢献ではねだった業績がなかったイタリアがこの頃あたりからピッツェッティ(1880~1968)、マリピエロ(1882~1973)、カセルラ(1883~1947)などが近代イタリア復古主義を興し、イタリア音楽が全盛期を誇ったバロック以前の音楽を模範とする音楽復興を始めた。このイタリア音楽復古主義と呼ばれる運動の最大の成功者がボローニャに生まれたレスピーギであった。
 イタリア復興という意味ではレスピーギはムッソリーニと大いに意気投合することとなるわけで、幾つかあるレスピーギのそれらの作品の中で、演奏効果という意味ではオーケストレーションの大家、R・コルサコフ譲りのオーケストレーション技術を駆使し、オケを鳴らしにならすこの「ローマの噴水」、「ローマの祭り」、「ローマの松」の3作品が一番成功しているのではないのか。

 古代ローマ時代から治水に関しては先進的であったローマは生活用水供給や街の景観から多くの噴水があった。
「ローマの噴水」はローマに移り住んだレスピーギがローマにインスパイアされて書いた作品。ローマの栄光の時代の噴水の描写作品。ローマの1日をその時刻にあわせて彼の選んだ噴水の情景の描写。
 但し初演(1917年3月11日)は失敗。第1次世界大戦まっただ中での初演が影響していたかどうか、戦時中に相応しい雰囲気の曲だかどうかはわからない。この頃はもうニキッシュがと言う指揮者がベルリン・フィルでベートーヴェンの「運命」などを録音していて、その録音は今日私たちでも1000円以下で手に入る。
 失敗にふてくされて落ち込んだレスピーギは楽譜をしまい込んでしまったがたが、名指揮者のトスカニーニが初演のそう遠くない後に、演奏会用に「何か新しい曲はないか」とレスピーギにせっついたので急な問い合わせに手持ちのなかったレスピーギが渋々楽譜を渡すとそれが大成功(1918年2月11日)したという作品であるのはどこかで話が出るでしょう。足かけ5年にわたる大戦終結の9ヶ月前の話。
 その成功に気をよくして次作を書いたのが「ローマの松」。「噴水」から7年後のこと。初演はその直後の1924年12月14日。ムッソリーニはファシスタ党を率いてイタリア王国の首相になっていた。
 一方レスピーギも作曲技法、管弦楽法に更に磨きを掛けて、「噴水」よりもオーケストラは大編成になり、パイプオルガンや特殊な楽器も動員し、レコード録音された鳥の声(この頃はレコードと言っても電気録音はまだされておらず、実際の再生もかなり雑音混じりの苦しいものだったと思われる。電気録音が実用化されたのはこの翌年の1925年から)や演奏会場でのサラウンド効果も狙って客席後方からステージ上とは別動隊の管楽器軍を配置している。更に演奏効果の高い曲を作ったわけだ。
 そして最後に書いたのが「ローマの祭り」。初演は1929年2月21日でこの曲はアメリカで初演された。しかも徹底的にムッソリーニを批判していたトスカニーニの指揮で。
 この頃のイタリアはムッソリーニの独裁体制が確立されていて、「古代ローマ帝国の復活」への野望が着々と進もうとしていたところで、ここでレスピーギが発表したのは古代ローマの皇帝ネロのキリスト教迫害の時代の残虐な祭りから、グッと月日は経ち1300年、キリスト教の中心地となったローマ特赦を得るために巡礼した者たち、それを迎える鐘の音。そしてローマ教皇の別荘地での葡萄の収穫祭の様子。最後はレスピーギが生きた時代の主顕祭の乱痴気騒ぎの様子。古代からレスピーギの時代までのローマの祭りを年代順に辿り輝かしい誇るべきローマの歴史を聴くという仕掛け。
 編成は「松」よりも更に大きく、特殊楽器も交えての音の大乱舞が楽しめる。
 この三部作は、レスピーギのローマ賛歌と断固たる誇り、そして音楽面でのイタリアの復権を望むその現れでもあるのだけど、イタリアはその後に第2次世界大戦で敗戦国となりムッソリーニの野望はくじかれたのはご承知の通り。
 ムッソリーニを支持したレスピーギは第2次世界大戦勃発前の1936年にこの世を去る。
 レスピーギの望んだイタリア音楽の復権に関しては、もう時代は彼の進んでいた方向ではなく、混沌の時代へと進んでいったわけです。

# by yurikamome122 | 2015-05-19 17:26 | 今日の1曲

5年前に聴いたシベリウスのヴァイオリン協奏曲を思い出して

c0021859_23175098.jpg シベリウスのヴァイオリン協奏曲が、今日は無性に聴きたくなって、5年前に県立音楽堂で聴いたコンサートを思い出してみたかった。
 もう遠い記憶だけど、妖精のような女の子の演奏するこの曲はデリケートで北欧の童話のようなメルヘンのような演奏だったんじゃなかったか。
 この子があのとき何歳だったか忘れてしまったのは申し訳ないけど、でも高校生くらいだった気がする。
 柔らかな暖かいオーケストラに包まれて、勇ましくも果敢に曲に挑む彼女の姿は、それだけでとても感動的だったし、それを包むオーケストラもよかった。
 1楽章の長いカデンツァや2楽章の清らかだった響きが今でも印象に残っているし、3楽章の躍動も私がこの曲に持っている印象とは違う早春の嵐だった。カッコよかった。
 あの子が、素晴らしい結果を出したんだって!!。なんだか話を聞いただけでジンと来るな。
 残念ながらあの演奏とは全然違う、でもこれも名演だと思う潮田さんと征爾さんの演奏を聴きながら、もう一度あんな演奏聴きたい。
 いや、近いうちに聴けるのかな。

# by yurikamome122 | 2015-05-18 14:42 | 今日の1曲

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でシューマン作曲、交響曲第3番「ライン」

c0021859_714799.jpg  春爛漫、やはりシューマンは相応しく、ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団で第3交響曲「ライン」を聴いてみると、アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールの豊かな響きが、高原に吹く風のようでもあり、春の花曇りのような響きのオーケストラも結構豪快に鳴っていて、春の日差しの優しさを感じるように明るく、若葉が萌える深々とした森の中のように爽快すぎずロマン的で、自分のイメージしているこの曲そのものであるのです。

 シューマンのこの交響曲が、精神を患っていたがデユッセルドルフに赴任してかの地の明るい雰囲気の中、シューマンの気分も良く(そんなことはないはずだ、この時期の日記にも家計簿にも体調のかなり悪い記述がけっこうある)書かれたとか、3拍子の第1楽章がどうも「ずん・ちゃっ・ちゃ」にならずに2拍子にきこえ、リズム的にどうも居心地が悪い(これこそまさに様々に変化するライン川の水面の波のようではないか)とか、シューマンは管弦楽法がどうも苦手のようで、響きに色彩感がない(これは管弦楽法がヘタなのではなく、シューマンが意図的にそうした感じがなくもない、だんだん管弦楽法が熟達してきたはずの後年の作品の方が管楽器を塗りつぶす傾向があるように私にはきこえる。第4交響曲の改訂などはもう一聴瞭然、明らかに改定する前の方がスッキリしている。ガーディナーによれば、このシューマンの響きの重さは近代の大きすぎるオーケストラ編成のための響きのアンバランスが原因だそうだ。百歩譲って、もし響かないオーケストレーションだとしても、この演奏を聴けば感じるだろうゲルマンの魂である森の中の木霊そのものではないか。いずれにしても私にはシューマンがああいった響きをオーケストラからだそうとしていたのだと思う。)、そこでマーラーやワインガルトナーなどが楽譜に手を入れて、もっと聴き映えのする響きに変えて演奏していたなど、それらは恐らくは、そこいら中で語られていて、ゴールデンウィークまっただ中、春の心なしかハイな気分にはそんなよく聞かれる話に思いを馳せてもつまらないので、この作品が、この曲を作ったシューマンがのみ込まれていたロマン主義を時代背景とともにちょっと調べてみた。

 前期ロマン派と言っていいのかどうかわからないけど、結構メンデルスゾーンなどとひとくくりにされやすいシューマンはこの曲を書いたのが自由貿易の開放的な雰囲気に満ちていたかどうかは知らないけど、ハンザ同盟都市のデュッセルドルフの音楽監督に招かれた1850年、フランス革命から61年が過ぎている。
 7年来患っていた精神疾患が悪化し医者のすすめでドレスデンに移り住み、もう既に「タンホイザー」を発表済みだったドレスデンの宮廷楽長ワーグナーとも親交を結ぶも、ワーグナーが2月革命(バスティーユ襲撃からもう60年以上過ぎても、その余波はまだ収まっていないのでした)に参加しスイスへ亡命してしまい、シューマンの身辺が不安になったその後のことになる。
 シューマンをブラームスが訪ねる3年前で我が国ではペリー提督の黒船来航の3年前のこと。その頃のヨーロッパの文化はとロマン主義の恵みに溢れていたて、シューマンがこの曲を作ろうとしていたその頃は、後期ロマン派はもう彼の真後ろに並んでいたのでありました。
 ロマン主義は18世紀半ばに興った産業革命とフランス革命という変化に端を発すると言われている。
 産業革命による技術の発展でプロメテウスの火のように合理主義の追求で神をも恐れぬ大きな夢を見た人々は更に徹底的に合理性を追求し、さらなる夢を追いかけ鉄道や蒸気船などが生まれ人々の生活は激変の一途を辿る。しかしながら、その産業革命は農村の手工業に大打撃を与え、大都市に労働者として流入していき貧民街を構成するようになった。 科学の進歩や技術の発展は決して純粋に良いものとは考えられなくなっていった。
 政治的にも「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命の生んだ恐怖政治や、ナポレオンという独裁者の出現と言う矛盾(今のアラブ・中東情勢そのものではないか。彼らが平和と成熟をものにするには彼らの中で大きな戦いを経つつあと100年はかかるかも知れない。だけどその間にロマン主義のような稔りもあるかも知れない)がヨーロッパにロマン主義を起こす引き金となった。
 ロマン主義は冷徹な理性よりも、人間に本来自然に備わっている感情を重視し、それを空想的、夢幻的、牧歌的な世界への憧れという形で表現しようとする動きのこと。音楽においては、合理的仕組みを確立したのはバッハやハイドンで、古典派によって合理的、理性的、客観的音楽が確立された。その後にフランス革命などに触発されて、あるいは教会や王侯貴族から解放されて感情的、主観的、幻想的音楽、ロマン派の音楽の登場となり、音楽家が職人ではなく芸術家へと移行することにもなったというわけで。
 そしてそれが、ローマ帝国やその後以降の覇権争いも含んだヨーロッパ統一への動きから、民族・言語・領土の神話へのローカルな情熱へとベクトルが向かう。古典主義からロマン主義へ、即ちそれまでの古代ローマや古代ギリシャではなく、中世こそに彼ら独自のルーツがあるのだと言う思想への傾き、現代まで続くヨーロッパ分断の始まりになるのだけど、その結果音楽もローカライズされたものが徐々に増えてゆく。たとえば楽譜の楽想の表記も、シューマンは第2交響曲まで使っていたallegroやandanteにようなイタリア語表記をこの曲の前あたりからドイツ語表記に変えた。
 そして、その後は、「標題音楽」と「絶対音楽」という大変ロマン的な論争が起こり、シューマンと親交が深かった絶対音楽派のブラームスはシューマンの後押しで世に出る。そして、絶対音楽派の旗手となる。表題音楽派の旗手ワーグナーの「タンホイザー」をシューマンは盟友のメンデルスゾーンに酷評した。(ワーグナーもシューマンの音楽にはメロディーがないと酷評していた、メロディーがないって?、ブラームスを擁護していたウィーンの評論家ハンスリックがブラームスにちらりと言っていたおねだり「もう少し、もう少しだけメロディーを」と同じじゃないか)
 シューマンは、今回の曲のような交響曲を作りながら、どちらかというと彼自身絶対音楽派だと思っていたのかも知れない。
 ちなみに蛇足だけど、シューマンはワーグナーの「タンホイザー」の上演を後に接して評価に転じたとか。そしてワーグナーもシューマンに「あなたのピアノ五重奏曲はとても好きです」なんて書いて送っている。
 二人が会ったのはこの曲を書き上げる1年前、1849年シューマン39歳の時にワーグナーがドレスデンでベートーヴェンの「第九」を指揮した時に会ったのが最後だったそうだ。
 ブルックナー25歳、ブラームス16歳、マーラーの生まれる11年前の話。
その後に彼らがロマンを追い求めているうちに、植民地政策の失敗や民族紛争などにより国家間の格差はどんどん広がり第1次世界大戦の火薬の臭いがもうあたりにそこはかとなく立ちこめる頃になる。

# by yurikamome122 | 2015-04-30 16:18 | 今日の1曲

ハイドン作曲、交響曲第45番「告別」をヘルマン・シェルヘン指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団で

c0021859_16562096.jpg ハイドンの「ロンドン・セット」の初の全曲録音となったのはこのシェルヘンで、その後に全曲録音を目論んだかどうかはよく知らないけども、このように「シュトゥルム・ウント・ドランク期」の録音も残してくれた。オーソドックスな中、ウィーンの香りのするなかなかの演奏だと思うのです。
 ハイドンのこの交響曲に関しては、勝手にバカンスを延長した主人に対し、おつき楽団の連中が帰宅が遅れることに落胆したので、その気持ちを忖度してハイドンが作ったというのはよく知られた話で、多くのところで語られていて、コンサートのパフォーマンス的にも演奏効果と言うよりも、これは多くの場合聴き手側の問題かも知れないけど、たとえばバレンボイムあたりがニュー・イヤー・コンサートで取り上げたりしているように演奏者、主催者側が「ネタ」として重宝する曲目の1つのような取り上げられ方をしている曲ではある。
 シェルヘンはこの曲の演奏で、最後楽員がひとりずついなくなる場面で、彼らに「Auf Wiedersehen」と言わせている。
 気になって人数を数えたら全部で16人。最後の2人は指揮者とコンサートマスターのはずなので、楽員は14人と言うことになる。管楽器がオーボエとホルンが2名ずつ、そして後はファゴット1名なので合計5名、ということは弦楽器は9名という計算。現代のコンサートの編成のように第1ヴァイオリンだけで10名以上いるような編成だとすると、どこかのタイミングで弦楽器がゴッゾリ居なくなるという事態になるので、ハイドンほどの洒落た人がそんな無粋かつヘンテコな演出を容認するわけがないので、とするとコントラバス1名にチェロが2名。そしてヴィオラも2名でヴァイオリンが第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンとも2名で計9名と言ったあたりがこの曲の初演時の編成と言うことになるのかと思う。
 ハイドンがこの曲を作曲したのはハイドンが「シュトゥルム・ウント・ドランク期」まっただ中の曲と言うことになるわけで、1楽章の切羽詰まったテンポの速い短調はピリオド系演奏可能での見せ所と思っているかどうかは知らないけど、それこそ疾風怒濤の如くの演奏を皆しているのだけど、モダン楽器の方は、響きが豊かになるせいか、疾風怒濤と言うよりも運命の嵐的な雰囲気になっているあたり、モダン楽器にではちょっと分が悪いかも知れない。
 ところで、この「シュトゥルム・ウント・ドランク」、「疾風怒濤」なのだけど、エステルハージ家に就職して楽長になりその心境を表したものであるとか無いとか。
 でも、この頃の作曲家は皆職人で、そんなロマンティックなことはあり得たのかどうか。

 ハイドンは、ハンガリー王国領との国境にあるニーダーエスターライヒ州ローラウ村に誕生したのはフランス革命の約50年前、アメリカではイギリス帝国13植民地が成立した1732年の3月31日であった。日本では江戸幕府8代将軍徳川吉宗の時代。
 同業の同年代ではバッハの子供達もそうなる。そしてハイドンの初めの頃の作品はバロック的な印象が感じる気がするのも事実。ところが後期にさしかかり、「パリ・セット」の頃あたりからロマン派の香りがしてくるのは別のところで記した通り。
 はさておき、ハイドンの家庭はと言うと、ハープと歌が好きな車職人の父と宮廷料理人の母親。ヨーゼフ・ハイドンがまじめで職人気質で器用なのは両親譲りなのかも知れない。
 音楽好きの父親の影響を受け、幼い頃から音楽では才能が認められて、歌がうまかったのはヨーゼフとこの下の弟ミヒャエル。どちらも音楽史に名を残すわけど、このヨーゼフはと言うと6歳の時に父のハープの演奏に合わせて歌うハイドンの歌声に惚れ込んだ親戚のマティアス・フランクと言う人がヨーゼフの両親を説得し、ヨーゼフを自分の家に住ませ、音楽に対する英才教育を施し、いろいろな楽器と音楽に関する知識と教養を身につけさせた。

 美声の持ち主だったヨーゼフは、オーストリア継承戦争が勃発した1740年、8歳の時にウィーンの聖シュテファン大聖堂聖歌隊監督ゲオルク・フォン・ロイターが派遣した聖歌隊員発掘隊が偶然聴いた若きヨーゼフをスカウトし、ヨーゼフはウィーンでシュテファン大聖堂聖歌隊員として大聖堂はじめ他の教会のミサでの奉仕、皇帝や貴族の宮廷で催される音楽会や宮廷行事にも出演しつつ、カトリック教理、ラテン語、一般学校の教科が教えられた。これに加えて音楽教育が加わる。それは歌唱をはじめオルガン、チエンバロ、ヴァイオリンの演奏を学べ、ウィーンの他の学校で演じられたラテン語劇に歌手として出演など、声変わりになって解雇されるまで音楽的に大いに実りある9年間在籍することになる(1740-49年)。
 このとき、シェーブルン宮殿で歌った時、ハイドンが建築の足場に登って騒いだという逸話があって、オーストリア継承戦争でさぞ頭を悩ましていたであろうマリア・テレジアに直々に厳しく怒られたという話がある。
 つまり、権力者に物怖じすることなく、「告別」や「うかつ者」「驚愕」などで貴族達に謎かけや悪戯を仕掛けるやんちゃな悪戯好きは根っからの性分だったようだ。
 折しも華やかなウィーンの巷ではヘンデルやヴィヴァルディの音楽ももて囃されていた時期であった。
 1745年の秋、ヨーゼフよりもおそらく歌がうまかった弟のミヒャエル・ハイドンもこの聖歌隊に参入。そしてまもなく兄ヨ-ゼフは変声期を迎えたため、ヨーゼフが得ていた聖歌隊のソリストの地位をミヒャエルに奪われる。
 世間知らずのヨーゼフをカストラートにしようという陰謀にのせられて、その気になりつつあったところをすんでの所で父親の乱入で救われた彼は、変声期もあったけど、ヘンテコな濡れ衣を着せられて、聖歌隊を17歳の歳、1749年に混乱でまだ定職を見つけられないまま残念ながら11月の冷たい雨の降る夜に聖歌隊から追い出されて解雇される。
 捨てる神あれば拾う神あり、街でばったり会ったミヒャエル教会の聖歌隊員ヨハン・ミヒャエル・シュパングラーに泣きつき、幼い子供がいる賑やかな家庭に転がり込んだ。そして、音楽家の卵のアルバイトと言えば今も昔も同じ、ダンス音楽や劇の伴奏などをして生活費を稼ぎつつ、これもヨーゼフにとりよい経験だった。
 やがてそんなヨーゼフに目を付け出資するスポンサーが現れる。やっとシュパングラーの家から独立することになった。
 そして次はウィーンの様々な職人達が一つ屋根の下で暮らすミヒャエラーハウスの6階に居を構える。まるで戦後の漫画家の集まった「トキワ荘」のようなここでは、青春まっただ中の若者らしく同居の友人達と青臭い夢を見ながら、様々な作品を発表しつつ、そして上に下に、右に左に幅広く人脈も拡げていった。
 ヨーゼフ27歳の1759年頃、ボヘミアのカール・モルツィン伯の楽長の職に就いた。定職である。初めての宮仕えで戸惑いながらも精一杯勤める中、モルツィン伯は経済的な苦境にあった。そしてヨーゼフもここで「人生最大の失態」(ヨーゼフ談)を犯す。本命の彼女に振られて、傷心の彼は自暴自棄かどうかはわからないけど、彼女の父親から本命の姉アロイジアを体よく押しつけられてしまう。1760年、28歳の時にアロイジアと結婚をする事になってしまった。
 音楽家の「悪妻」として歴史に名を残す彼女との結婚、ヨーゼフが不幸なのかアロイジアが不幸だったのかはよくわからないけども、いずれにしても後世よく言われないのは不幸な事だと言うことで。
 いよいよ破産寸前のモルツィン伯は泣く泣くヨーゼフを解雇する。
 ここでまたまた拾う神が現れる。オーストリア継承戦争で大いに名をあげて大出世したエステルハージ侯爵その人。以前からある宮廷の聖歌隊に加え楽員を拡充し13名(たったこれだけ。今日のハイドン演奏は人数多すぎと言われればそうかも知れない)の宮廷楽団を組織した。
 フランスがイギリスの北米を奪われた(これが後のフランス革命の引き金になるわけだけど)翌年で、ヨーロッパでは7年戦争まっただ中で戦費にあえぎ、オスマン・トルコ脅威にも怯えていたオーストリアで、日本では徳川幕府が第8代将軍吉宗から9代の家重になった1761年、29歳でエステルハージの副楽長にヨーゼフは就任する。今まで聖歌隊を率いていた楽長ヴェルナーはもう高齢でいつをも知れない、実際の楽長はヨーゼフであった。
 貴族でありながら実は有能な軍人であり、音楽に造詣と理解が深いエステルハージ公爵の元、やりがいのある充実した条件での仕事に大いに奮ったヨーゼフなんだけど、1766年、楽長ヴェルナーが死去するとヨーゼフが楽長に昇格し、このエステルハージ宮廷楽団とともに名声を高めていく。
 このあたりからヨーゼフの曲は今までとは気分が変わり、ヨーゼフの物怖じしない性格もあってか、自己の感情を曲に影響させたという「シュトゥルム・ウント・ドランク期」と言われるまさに激しい「疾風怒濤」を想わせる曲をたくさん作っていくわけでした。

 となると、実はこの「疾風怒濤」は連戦連勝のオーストリアの「英雄」(であったかどうかは知らないけども、元帥にまでなった)軍人であるエステルハージ公爵の希望でもあった可能性が無くは無いか?。
 いくらハイドンとは言え、この頃はまだ作曲家が職人だった時代、自分の思いをそんなにも曲に反映していい時代では無かったように思うのだけど、それに時代が安定してくるとこの「疾風怒濤」も変化をして終わってしまう。
 7年戦争も終結し、楽長に昇格して6年後の1772年「疾風怒濤期」のまっただ中に作曲されたのがこの交響曲第45番「告別」というわけ。アメリカ独立の引き金になったボストン茶会事件の1年前、そしてフランスではまだ国王になっていないルイ16世がマリー・アントワネットと結婚した翌年、フランス革命の17年前のことでありました。
 

# by yurikamome122 | 2015-04-28 16:56 | 今日の1曲

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の82年の録音で、マーラー作曲、交響曲第7番

c0021859_6433237.jpg 全集を通して聴いて、やはり気になってコンセルトヘボウ管弦楽団での再録音を聴いてみた。
 69年の全集盤と比べると、曲の彫琢が進んで、より深々とした世界が拡がっているこの曲の演奏で、その神秘的な深みは、まるで漆黒の大宇宙に時には吸い込まれるような、時にはそこいら中に煌めく星屑を眺めるような、時には不気味な気分に憂鬱になるような、そんな風になりながら宇宙をさすらうようなロマンティックな気もしてくるのでした。
 各楽章様々のごった煮のようなこの曲で、ごった煮になった様々な表情の音楽に身を任せて流される心地よさと幸福感。
 コンセルトヘボウ管弦楽団も以前より芳醇で熟成された深い響きをしていると感じる。
 深くくらい響きの中で不思議な暖かさと拡がりを感じるのがこの頃のコンセルトヘボウ管弦楽団だった、まさにその響き。
 これをしてこの録音が出たときの評論家達や大方の評価も、私自身もつい少し前まで音楽的ハイティンクの成長と捉えていた。
 成長と言えば確かにそうなのかも知れない。でも全集を聴き通して改めてこの演奏を聴くと成長と言うより率直だった彼が恣意的になったと感じなくもない。曲に率直に情熱的に向き合っていたのはむしろ以前の録音だったと感じなくもない、私はそう思う。マーラー演奏の伝統のある、恐らくは世界で一番初めにマーラー・オケとなったコンセルトヘボウ管弦楽団でハイティンクの情熱で率直に(これが誤解を招いた、たぶん。彼は何もしていないと、そして何もできない能なしだと)マーラーを表現した全集盤はそれはそれで充分に聴き応えがあったと言うのが私の感想。
 でも、82年のこの演奏は以前の録音から13年を経て、コンセルトヘボウ管弦楽団に21年在任してオーケストラと完全な一体感(と聴き手の私は少なくともそう感じる)で壮年期の53歳のハイティンクが表現しようとしたこの曲の世界だったのだと思う。ハイティンク個人がより強くこの演奏には刻まれていると思うのです。これはもう世界観が違った演奏ではないのか?。これはハイティンクの臭いがする演奏だと思うのです。
 私はハイティンクを誤解していた。70年代後半から80年代、ハイティンクを数少ないハイティンクを評価する評論家の小石忠男さんも「多くの演奏家の場合、再録音しても旧録音の存在意義を失わない場合が多いが、ハイティンクの演奏は必ず再録音したものの方がよいと感じた」と書いていた。ひょっとして小石さんもハイティンクの演奏を正当に評価していたわけではないのかも知れない。
 そしてそれをもっと魅力的にしているのが当時のPHILIPSの録音陣。コンセルトヘボウ大ホールでの豊かな残響がこの曲にピッタリ。自然なパースペクティヴが部屋いっぱいに拡がる驚異的な名録音。たぶん録音もハイティンクの意図する表現に合致したものなのだろうと思う。なんでって、あまりに魅力的すぎる演奏の録音だから。

# by yurikamome122 | 2015-04-13 10:10 | 今日の1曲

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でマーラー交響曲全集

c0021859_1332641.jpg この全集は美人の薄化粧のような演奏、それもとびっきりの美人の。
 何が美人かは、もちろんマーラーだしアムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールで響くコンセルトヘボウ管弦楽団だし、ピチピチして活きの良さはもちろん30代から40代前半のハイティンク。
 豊満で爛熟した色気をまき散らす演奏も悪くはない(ハイティンクも後年の録音ではそうなっていた)し、ピリオドのアイディアを取り入れたすっぴんのロリータ趣味のマーラーもそれはそれでありかも知れないけど、若さと気高さを備えてナチュラルなこの演奏の魅力は取り憑かれると虜になりそう。
 古い録音で、一番古い録音は1番の62年、コンセルトヘボウ管弦楽団就任後2年目のハイティンク弱冠33歳。
 LP全集では第1番は恐らくはこの全集用に71年の8番の8ヶ月後に再録音された72年録音が納められていたので、CDで全集を出すにあたりなぜLP全集で一番録音が早かった3番の4年前の62年が収録されたのかは不明なのだけど、若さが前面に前に出たような62年のこの録音もなかなかの聴き応えで、なんと言ってもこの録音の魅力はオケの美しさ、響きの深さ、そして合奏の素晴らしさ。いろいろな音が全てジャスト・オン・タイムで響きが空間に音で構築物を作る、そして次々現れる建築物の偉容は聴く方の悦びがわき上がり、これがアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団だった。
 69年録音の7番は後に82年に再録音するものも魅力的なのだけど、こちらも輝かしい。
 70年録音の5番の冒頭のショッキングな響きはこの楽団のものだと思うし、5楽章の構築的な音の流れはホールの響きの中でドッシリと組み上げられてゆく。
 3番や4番など高い合奏力の美しさと響きの深さの中で、ハイティンクがごく自然に音楽を彫り刻んでゆく。
 2番や8番などの合唱が大規模なものは録音のプレゼンスが自然なのでホールに響く大合唱団のスケール感と繊細さに圧倒されるけど、表情は瑞々しくいかにも自然。

 ハイティンクのマーラー全集は国内でLPで発売されたのが76年以前のいつだったか忘れたけどそのあたりだったと思う。その頃の評判はもうハイティンクは最悪で、能なしの毒にも薬にもならない、コンセルトヘボウ管弦楽団の伝統を全てひとりでぶち壊した大罪人のような言われ方をしていて、その彼が66年から72年まで6年掛けて録音した全集。
 あの頃マーラー全集など、もう全員亡くなったけどバーンスタインの旧盤、クーベリック、ショルティ以外はこの今日唯一存命のハイティンクしかなかった。大体全曲聴こうなどと言う酔狂な人はそう多くなかったし、国内でたとえば7番など実演で聴いた人は生きてる人は3000人いなかったのではないか?。
 その頃にこの全集をこのクオリティーで作った心意気、それがそっくり演奏に現れている全集だと思う。

 ただ、たぶんこの全集を評価するかどうかは、背景とのコントラストと薄化粧の美人を肌のきめ細かさまで聴けるかどうかが大きなアドバンテージになっていると思う。

 さてさて、こんどはこれからレスピーギ聴かないと。

# by yurikamome122 | 2015-04-12 13:04 | 今日の1曲

シューマンのピアノ独奏曲の全曲をイエルク・デームスの全集で

c0021859_045157.jpg ちょっと前にシューマンの交響曲のことをいろいろ考えていたときに、シューマンのピアノ独奏曲全集などという酔狂なボックスがイエルク・デームスの録音であって、通して聴いてみた。
 私はシューマンは、たぶんシューマンらしさが聴けるのは歌曲とピアノ曲なのではないのかと思うのです。
 そして、その中でも神髄は「クライスレリアーナ」にあると信じて疑わないのですがそれはさておき、交響曲でのシューマンは幻想的で、2番、4番などは「楽想が切れ切れ」、「まとまりがなく」「幻想曲のよう」(以上黛敏郎談)ではあるのだけど、響きの厚みもゲルマン的シューマネスクの世界で大好きなのです。
 でも、やはりシューマンは交響曲ではシューマンの一面で、ベートーヴェンのように多くの作品が「交響曲」の方にベクトルが何らかの形で向いているというのではないと思うのです。
 ということで、シューマンの全容に少しでも触れるるため、このピアノ作品全集を作曲された順番にではなく、たぶんシューマンが最後に発表した「暁の歌」から逆に辿ってみることにする。
 するとシューマンが錯乱する直前に作ったこの曲の心境から、一般に病んだ精神が明るい土地柄で気分が良くなったと言われるデユッセルドルフでの曲もたぶんあの第3交響曲「ライン」を書いたすぐあとに作曲されたものではないかと思う「3つの幻想的小品」などさほど明るいものではない。やはり彼はけっこう病んでいたのではないだろうか。私には緊張感が途切れるようなところもあるように感じる。
 また、この頃の作品は「クライスレリアーナ」や「子供の情景」、「ダヴィッド同盟曲集」などの嵐のような感情のうねりや憧れが当然もう聴けるものではなくなっている。
 そして、でもしかし、「暁の歌」では終曲で私にはシューマンが辛いこの世から解放されて、ひとり安らかに「クライスレリアーナ」や「子供の情景」などで見せていた憧れをついに手に入れて、ついに楽園での平安を手に入れたように感じるのです。
 でも、聴き終えたあと、私の傍から音が、余韻が消えた後、さみしさが身にしみる曲でありました。

# by yurikamome122 | 2015-04-11 00:46 | 今日の1曲

ハイドン交響曲全集をアダム・フィッシャー指揮、オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団で

c0021859_6204870.gif 1番から104番まで一気に聴き進めてみる。
 こんな全集、作る方も偉業なら聴く方も偉業だと思う。
 でも、全曲一気に通して聴くのはこれはできるならやった方がいい、ハイドンが生きていた時代と「交響曲の父」としてのハイドンの偉業を改めてなぞることができる。
 フランス革命という大変にロマンティックな出来事が、実はフランスのアメリカ植民地経営の失敗とイギリスによるフランスの植民地の奪取から財政危機に陥り、国内の課税強化をした結果が引き金となったというのは単に引き金に過ぎず、やはり時代の流れ、運命のようなものだった気がするように感じるようになった。
 エステルハージに行けたのは運が良かった、全人類的に。でも、それまでに積み重ねた素養と才能は、そうできる下地があったことも奇跡的なことだった。
 ハイドンほどの才能が長い時間じっくりと音楽だけに集中し、熟成する環境ができた。
 バロック的な響きから(事実ハイドンの生まれたときヴィヴァルディもバッハも活躍していた)からモーツァルトの死を見届けベートーヴェンに弟子入りを懇願されたハイドンは時期的にバロックからロマン派への流れそのもの。古典派の作曲家ではあるけど、でも後期のパリ・セット以降はロマン派の香りがしてくる。
 長旅だったけど楽しかった。

 演奏はと言うと、割と早めに録音した「太古連打」などは響きの操作した跡がちょっと耳障りだけど、それ以外はモダン楽器の響きで昭和に時代に慣れ親しんだハイドンに響きに近く、かといって巨匠達の響きのように厚ぼったくもなくピリオド的に颯爽と演奏しているのは聴いていて違和感もなく心地よかった。
 中には激しい表現も聴けたり、熱い情熱を感じたりするのも曲相応なのかも知れないし、、でもこれだけのレベルを保ちつつ全曲をやり通したのはお見事だったと思うのは、聴き終わったあとの充実感がずっしりと心に残るからなのです。
 いい仕事をしてくれました。ハイドンと一緒だった2週間、楽しかったです。

# by yurikamome122 | 2015-04-07 06:21 | 今日の1曲

ビッキーで「恋はみずいろ」

c0021859_040637.jpg フランスもの方面で、けっこうハマったのが「恋はみずいろ」。これは
 といえばポール・モーリアがきっとすっごく有名で、でも、元はビッキーの歌でヒットしたのをポール・モーリアがムード音楽(あの当時、イージー・リスニングなどという言葉はなかった)にアレンジして世界的に大ヒットというわけだけど、あのお馴染みのアレンジ、レコード会社から「ラッパが強すぎる」とクレームがついたのだそう。のちにポールさん自身がそう語っていた。それを無理矢理ポールさんが押し通してあの大ヒットというわけ。
 ビッキーはフランス語で歌っていて「doux doux L'amour est doux」と冒頭からうたっていてフランス語がとってもオシャレで、テレビで初めて見たビッキーは本当にフランス人形のようで驚いた。



 そのレコードを私が住んでいた農村のど真ん中の浄水場に勤めていたギターを弾くお兄さんがよく聴かせてくれた。そのB面が「悲しき天使」なんていうなかなかのカップリングのシングル盤だった。
 幼かった自分には1ドル360円時代、埼玉の農村育ちが海外への憧れをかき立てるのには充分すぎたわけで、同年代の友人達が仮面ライダーやウルトラマンなどに憧れていた彼らからすればかなり私は変わった人のようであったはずだと思う。
 ところで、ポールおじさん方面のアレンジでは、レーモン・ルフェーヴルやカラベリなどはそれらしすぎてつまらないのだけど、ジェフ・ベックがロック風にアレンジしていて、これもいけてた。youtubeにあった、久々に聴いてみたら懐かしすぎて切なくなった。



 それからシルヴィ・バルタンはもちろんやっぱりフランスっぽくって良かったと思ったら、よく聴くと「Blue, blue, my world is blue」英語で歌っている。でもやっぱり多少フランスなまり、英語もフランス語もわからなかったくせにフランスなまりの英語だと思った。でもこれも良かった。



 そうそうシルヴィ・バルタンといえば、レナウンのコマーシャル「ワンサカ娘」を歌っていたよね。



 時々彼女が呟く「C'est bien」がなんというか、ここで言うとフランス人が言ってもどうもなんというか、以下略

# by yurikamome122 | 2015-04-02 00:40 | 今日の1曲

チェリビダッケ指揮でマーラー作曲、交響曲「大地の歌」

c0021859_1971064.jpg 深く仏教にも共感していたというチェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(実はこの曲は、ブルーノ・ワルターの指揮により、このオケで初演されたのでした)とメゾ・ソプラノがジェシー・ノーマン、テノールがチェリビダッケ在任時のシュトゥットガルト放送交響楽団のファゴット奏者だったがチェリビダッケの勧めでテノール歌手に転身したというジークフリート・イェルザレムというすごい顔ぶれ。
 今日からちょうど23年前の1992年4月1日のミュンヘンでのライヴ録音。もちろん裏青の海賊盤。
 どうもFM放送などからの盤起こしのようで、多少のホワイトノイズが乗っているが状態はなかなか良い。
 冒頭の絶叫するホルンは透明ながら、もうそこから多くのことが語られ始める絶妙な演奏。
 チェリビダッケはミュンヘン・フィルとの1986年のライヴを聴き怒り心頭になり今ひとつ好きになれない指揮者ではあるのだけど、これは素晴らしい。
 イェルザレムのちっと非力なところもなかなかにこの1曲音に合っている。
 チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルの重厚な透明感が運命の瓦解と言うか、諸行無常を現すよう。
 テンポは昨日のクレンペラーよりも遅いかも知れないと感じる彼の「大地の歌」は、寂寥感とともに吸い込まれそうな漆黒の神秘に満ちている。
 2楽章のノーマンの歌唱はさすがとしか言いようがない。黒人特有のヴィヴラートが気にはなるけども、全盛期を過ぎた頃とはいえその表現力は絶大。
 でも、この演奏の圧巻はやっぱり第6楽章の「告別」。
 もう既にこの世が宇宙から消えてしまった空虚な空間から響くような冒頭からしてもうこの世のものとは思えない。やはりマーラーは死なねばならなかった。
 途中の間奏曲の美しさがあまりに耽美的で懐古的。そしてそれがもう現実ではないことを実感させるような哀しみは、人間何十年もやっていると、どうしても捨てきれない過去があって、そのツボを直撃する。
 そして最後、「愛しき大地に春が来て」以降の信じられないような哀しみの世界は、ノーマンの独断場で、しかもオケも素晴らしすぎ。
 チェリビダッケはマーラーを「痛ましい」と言ってどちらかというと嫌っていたはず。でもこんな素晴らしい音源が残っていたなんて。

# by yurikamome122 | 2015-04-01 08:29 | 今日の1曲

バルバラで「黒いワシ」

c0021859_11211615.jpg バルバラといえばチケット即完売のシャンソンの女王。
 人格者というか、もう女神のような存在に近かったのかも、いやそういう事は彼女自身いやがるだろうけど、でも彼女のユニークさは、彼女の歌を、詩を聴くために人々はどこへでも行ったし、彼女自身そういう聴き手を大切にしたらしい。
 ディディエ・ドコワンの小説「眠れローレンス」にインスパイアされたと言うこの歌は、その小説の主人公「ローランス」に捧げられた。
 この曲との出会いは、たぶん中学生だったと思う。音楽室かどこかで、いや、中学校の音楽室だった。
 放課後、面白くて人気のあった音楽の先生がこれをかけていて、音楽室に遊びに行ったときに聴いた。
 先生にカセットに入れてもらって、それこそ何度も。
 フランス語の洒落た響きと曲のカッコよさ。っていうか、言葉がわからなくても引き込み吸い寄せられるバルバラの歌がカッコよすぎ。フランス方面に興味が出た始まりがこれだった。
 歌詞をちゃんと読んだのはちょっと後だったけど、バタ臭くってファンタジックでメルヘンな世界。
 ちゃんとCD買ったのはつい最近、中古CDに目が留まりつい。
 歌とともに70年代のやはり多少夢見がちな憧に満ちたあの頃が今聴くとこの歌詞と曲にダブったりするわけです。
 岸洋子なんかも日本語で歌ってたりするけど、バルバラの迫力は圧倒的、さすがに今聴いても引き込まれる。

youtubeがあった。もちろんバルバラの。


# by yurikamome122 | 2015-03-23 19:12 | 今日の1曲

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の81年録音で、ブルックナーの交響曲第9番

c0021859_2211391.jpg 先だっての全集の録音が65年の録音なので16年後の再録音。ハイティンクの成長とよく言われたのだけど、演奏を聴いてみると表現しようとする方向が違うように感じる。
 確かにきめ細やかさや響きの芳醇さなど、あの頃聴けなかったものはたくさんあるのだけど、それらを手にしたハイティンクがどんなものでも表現できそうな深みを感じる演奏をしていて、ここにきこえた世界観は漆黒の宇宙の彼方からきこえる神秘的で吸い込まれそうな澄み渡った世界。
 若かった頃、アグレッシヴにこの曲を攻めて、荒々しい岩山の頂で、雲間から稲妻が光り轟く雷鳴の中、雷に打たれるような世界とは全然違う。それはそれで圧倒的で、やはりブルックナーの世界だと思ったのだけど、81年のこの録音の深遠さ、静けさ。アダージョ楽章など自分一人乗り込んだ宇宙船がどんどん地球を離れて、家族や社会に囲まれた日常から乖離していき、美しい輝く星の彼方へと吸い込まれてゆくようで、そこで拡がる圧倒的な大パノラマに日常を去る名残惜しさや寂しさが入り交じったような切なさと。
 やはりこれは、ハイティンクの成長ももちろんあるけど、どちらの表現も可能だったこの曲へのハイティンクのアプローチの変化と感じるのです。
 そしてそれがコンセルトヘボウ大ホールの豊かな響きを捉えた録音が優秀で、そんな演奏を、まるで宇宙が鳴り響いているようにきこえる録音なわけなのです。
 今、改めて聴いて、この曲の違った面を同じ指揮者の同じオーケストラの演奏から聴くことができて、私にとりこの曲の魅力が拡がった気がするのです。
 そして、この頃のオランダのPHILIPSの録音スタッフが優秀だった。彼らの知り尽くしたこのホールで、これだけの臨場感の録音も凄い。
 演奏も録音も魅力ありすぎの朝から泣ける1枚でありました。

 あ、でもこれからハイドン一生懸命聴かなきゃ。

# by yurikamome122 | 2015-03-23 10:48 | 今日の1曲

ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でブルックナー交響曲全集

c0021859_1947939.jpg 昨日、今日はアトリエにこもりきりで明日、明後日、来週の水曜日の講義の勉強をかぶりつきで、その間、ハイティンクの1回目のブルックナー全集を0番から9番まで通して聴いてみた。
 ハイティンクは若かった。1番古い3番を録音したのがコンセルトヘボウ管弦楽団に就任して2年目の弱冠34歳。最後に録音された1番が43歳。
 後に80年代に再録音した7番から9番の演奏からきこえた世界観とは全然違う。
 豊かな響きのアムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールを鳴らしに鳴らし、気の温もりを感じる暖かい響きの木管がさえずるなか、情熱が煮えたぎる弦が熱く歌い、アグレッシヴに金管が吼え、スペクタキュラーに熱く情熱的に、強烈で威圧的で圧倒的な演奏を聴かせている。
 7番や9番のスケルツォ楽章などは、もう溢れんばかりの感情むき出しの地鳴りのような演奏。ハイティンクのうなり声も聴ける6番も滑らかなフレーズに込められたハイティンクの熱いパッションを感じたりもする。
 激しいこれらの演奏をしていた頃は、ハイティンクはまるでバカかチョンのように罵られて、能なしの木偶の坊扱いだった。みんななにを聴いていたんだろう、なかなかどうして、恐ろしい指揮者ではないか。
 この演奏から聴けるのは30代から40代にさしかかったハイティンクの野心と信念のような気がする。9番の1楽章のコーダに加えたティンパニの強打は、私にはその現れにきこえる。
 採用している版は後年の録音のものと一緒のようで、でも1965年に録音された9番でも80年代の録音で聴かれる1楽章のコーダのティンパニの強打はもう早くもお目見えしている。
 この強打は一体どんな根拠があるのだろう。
 それにしても、でもやはりこの9番も8番も7番も聴き応えがあるのはこのオーケストラの美しさとハイティンクの響き、うたいまわし。
 ハイティンクはこの頃、たぶんブルックナーにウムを言わさない圧倒的な絶対神を感じていたのかなとも思った。
 でも後年のこの作曲家から神々しいまでの深々とした拡がりを感じる演奏をする彼の源流はこの録音のもっとも早くに録音された第3交響曲、第4交響曲に感じる憧れのようなものに感じたりもするわけです。

# by yurikamome122 | 2015-03-20 19:47 | 今日の1曲

サヴァリッシュ指揮で、シューマンの交響曲第1番「春」

c0021859_22582515.jpg むちゃくちゃ好きなシューマンの、その交響曲第1番、その名も「春」。もっともシューマン自身のポリシーもあってか名前はあとから削除されたけど、でもこの曲は、私にはどう聴いたって「春」なのです。
 冒頭のファンファーレからして、そして瑞々しい息吹を感じる軽快で爽快な第1楽章は「春」じゃなくってなんなのだと。
 このサヴァリッシュの古い録音は、なんたって東ドイツ時代のドレスデンのオケが素晴らしく美しすぎて切ない。
 だんだんクレッシェンドいてゆく音楽が朝日のように爆発して、そこいら中が爽やかな朝の目覚め。歌心に満ちあふれたこの演奏は、しなやかなフレージングにビートに合わせたかのようなヴィヴラートに、溢れ落ちる朝露のような木管の瑞々しさは新鮮な生野菜のようでもあり、高原を渡るそよ風のようでもあり。そしてそれらを照らす木漏れ日のように眩しく変化する金管楽器の輝かしさ。
 そして若葉が眩しい草原のような魅惑的な弦楽器の響きのぶ厚さは、なんでも包み込む母なる大地のように盤石で、なんたってペーター・ゾンダーマンのティンパニのビシッと決まったハードスティックカッコよさもホレボレなのであります。
 それにしても、このアンサブルの凄さは聴いていて鳥肌が立つほど凄いけど、それにエメラルドグリーンの深みのある色彩感の響きに、今日の春うららにワクワクするように胸が躍り、それでいてあまりの美しさに泣けてくるほど心地よい演奏でありますよ。
 この演奏を聴いていると思うのです、「だれだ、シューマンのオーケストレーションがヘタだなどと言ったのは」。

# by yurikamome122 | 2015-03-17 12:34 | 今日の1曲

R・シュトラウス作曲、「変容」

c0021859_2342147.jpg 4年前の今日、午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード8・8の巨大地震があった。
 あの日のことはハッキリ覚えている。前職在職中だったあの頃、会社の自分の席に座っていると、急に揺れが来てだんだんと大きくなり結構長く続いた。
 鉄筋コンクリート造りの3階にいたのだけど、それが結構揺れにあわせてスポンジのようにしなっていたのは驚いた。中区では震度5強だった。
 テレビでは津波がどんどん押し寄せ、有無も言わさず、容赦なくなんでもかんでも押し流していった。テレビの画面の、中継の様子を見ていて涙が出たのは人生初めてだった。
 横浜市の中心部ではビルの外壁の剥落や、液状化や地盤の沈下で道路の地割れ、水道管の破裂など既存のビルまわりで様々なことが起こり、根岸の製油所でも火災があり、「ハマボウル」で天井が崩れ、10人が下敷きになった。緑区、都筑区、鶴見区では停電、市営バスも電車も全部止まった。
 被災地ではそれどころではない、仙台では海岸に200~300人もの遺体が見つかり、福島の相馬では津波で300人が亡くなったという。自分の人生の第二の故郷であると思っている福島県が東京電力福島第1原発は「原子力緊急事態宣言」を発令し放射能漏れの危険があるため付近住民には避難勧告が出された。
 自宅ではエレベーターが止まっているので11階まで階段で上がり、自宅にはいるとガスが止まっていて今夜はお風呂もおみそ汁もなし。自作のシステムや装置が被害に遭い、でもそれくらいで済んだのだからよかったかも知れない。
 想像もしなかった範囲で、想像もしなかった多くの命が、悔しさや、無念と寂しさを、哀しさを身体中で感じながらこの世から旅立つという残酷な過程を経てこの世を去り、残された人になすすべを与えないという苦しみを味合わせるという大自然の営みの非常さを見せつけ、私の近しかった友人の家族をものみこみ、彼自身を自殺に追いやり、今日、明日を見据えつつ穏やかに今日の日を終える自分自身、そして社会を傲慢とも感じる今日1日でありました。
 
 昨日に続き、サー・ジョンの指揮で、R・シュトラウス作曲、「変容」

# by yurikamome122 | 2015-03-11 22:54 | 今日の1曲

インターコネクトケーブル自作 その2

 前回作成したインターコネクトケーブルは、それなりにと言う以上に効果を発揮したのだけど、アースがむき出しというのはどうも不安で、やっぱり絶縁した方がいいだろうと思い、どうせなら防振対策も行う事にして、何のことはない、作成したケーブルにホームセンターで買ってきた住宅の外壁ルーフィング施工に使う防水テープをケーブルに巻き付ける。
 防振用に同様のブチルゴムのテープは売っているけども、幅40mm厚み3mmで1mで500円前後なのに対し、こっちは幅50mm、厚さ1mmで10mで1000円前後。重ね使いをして、3mm稼いだとしても防水テープの方がお買い得。
 先々月まで建築屋だったのでこう言う商品は見つけるのが得意、というか損をしない。
 たっぷりあるので、やはり3枚使いをして3mm厚で先に作成したケーブルを包んでゆく。どうせこうするなら、外側のシールドはブチルゴムの外側にすれば良かった。
 そして、その外側にはベトベトするのでラップで包み(他にもっといい方法あるのかしら)絶縁用のケーブル編みチューブを被せて完成。
 改造にかかる費用は網チューブが1mあたり350円弱、そしてブチルゴムテープが1000円前後で、1.5mのケーブルの改造費が2本で2500円でおつりが来た。
 時間的には1.5m2本で大体1時間弱の作業時間。
 結果はと言えばこれは大きな効果があった。
 防振対策をした人がよく言うように、付帯音が減ってスッキリした。ひびきの一つ一つが滑らかであたたかい。それでいて透明感も増したのでホールの奥行きがメガネを拭いたように視界がスッキリして何事もくっきり鮮やか。
 各段に音の分離が良くなったので、大編成のオーケストラで弦のアップボウ、ダウンボウも、各パートの対位法的に旋律が絡まる綾とその調和、そして弦楽器になぞられた木管のフレージングがこんなにも鮮やかにきこえるというのが凄い。
 Jazzでもドラマーのスティック裁きが見えるような鮮やかさと立ち上がりの良さは大いに満足感を与えてくれたし、シンバルのスカーンと抜ける感じや、シンバルそのものの厚みを感じる充実感。またピアノが改めて打楽器だったんだと感じた。
 
 音の輪郭が鮮やかになった分、低音のもやもやも締まり、スケール感が大変素晴らしい。
 このケーブルはなんだかんだと結局2本で5000円以上かけてしまったのだけど、でも市販の3,4万円クラスを凌駕した改造前がそれを遙かに上回るものとなったわけです。
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 もともとこんなオカルト的な事には懐疑的ではあるのだけど、やはり防振対策は大事と言うことで。
 LINN SI 12/UBは我が家ではお払い箱になり、貸し主には丁重にお返し致すことと相成りました。

# by yurikamome122 | 2015-03-10 11:14 | オーディオ

インター・コネクトケーブル自作

 インターコネクトケーブルを自作してみた。
 通常のシールド線構造のもいいのだけど、とある先達から「シールド線はシールドしないもん」という指摘があり、つまりノーマルモードノイズはシールドされるけども、それはわりとアンプ内でも処理できる。
 問題はコモンモードノイズとのこと。そのコモンモードノイズは通常の同軸の構造ではシャットアウトできないとのこと。
 と言うことになればスターカッドが有効との教えをいただき早速試してみたわけです。

c0021859_17203760.jpg オヤイデでお買い得と書いてあった縒り線を買い、先達の教え通りに縒り線の縒り方向と逆方向に二本の縒り線を更に縒ってゆく。
 そしてプラグを付けて完成。
 結果、DACとプリの間で試してみる。
 確かに定位感と響きの滑らかさは改善されたけど、何かが失われつつある気がしたので、やはりシールドしてみた。
 平編み線を被せ、その平編み線を片方のプラグのアースに接続。なんだかメタリックな蛇のようになってしまった。本当はこれも被覆絶縁した方がよいのだろうけど、とりあえずこれで試してみる。
 シールドの結果は音に芯が出て、拡がり感が更に増した。
 平編み線によるシールドの効果なのか、平編み線による防振の効果なのかはよくわからないけど、とにかくある方のご厚意でお借りしているLINN SI 12/UBといい線いってる、というか凌駕するところもあるくらい効果絶大。(当社比)
 気をよくしてプリとパワーの間にも使ってみる。こちらは更に効果が大きかった。
 一組あたりの費用は、ケーブルを作ってなお大量に余っているオヤイデのお徳用縒り線が3000円、だけど、これはたぶん数百円かな。プラグも安物で4個で1000円。あと平編み線が1500円くらい。全部で3000円前後と言ったところ。これで3,4万クラスのケーブルが作れた。(当社比)
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# by yurikamome122 | 2015-03-05 17:20 | オーディオ

カラヤン/ウィーン・フィルでR・シュトラウス「ばらの騎士」

c0021859_1636895.jpg 歌と響きの目眩く饗宴。夜空いっぱいに拡がった眩い星空の下、高台から宝石箱をひっくり返したような色とりどりの街明かりが輝く夜景が拡がる。
 街の中で繰り広げられる妖しい物語の展開にあわせて、香水に咽せて、芳醇なワインが薫ったり、ろうそくの灯りが反射して輝くウイスキーグラスの氷。
 色気たっぷりの熟女の歌声、清純な少女の輝きに、女たらしのだらしなさ。
 そんな世界にほのぼの立ちのぼるウィーン・フィルの美感。
 こんなあり得ない景色がカラヤンだとできてしまう。
 それが延々続く目眩く3時間半。
 ボディラインにピッタリフィットするように羽毛で身体をなでるようなしなやかで縦横に変化する弦の響きに、それを見つめる鋭い眼差しのような弦をなぞる木管の響き。いやらしいけど、でも病みつきになる。
 大見得かますハッタリも、ドンピシャとハマる、かと思えばスピーカーからこぼれ落ちるクラクラするような甘い音楽が聴き手を酔わせ、非現実へといつの間にか身を置いている自分に音楽が終わらないで欲しいと思わせる。
 さすがのウィーン・フィルだってカラヤン以外では、他の指揮者ではあり得ないこの響き。やはりカラヤンはカラヤンであった。
 熟しすぎた果実のように不健康だけど、奇跡のようなこの1枚。

# by yurikamome122 | 2015-03-05 16:41 | 今日の1曲

スタイリスティックスの「愛がすべて」

c0021859_0315768.jpg ブラックコンテンポラリーというと、コーヒーに砂糖を20杯くらい入れたような音楽というイメージがあって、ソウルの力強くもいやらしい(いや、セクシー)な雰囲気が少し洗練されて、バリー・ホワイトのラブ・アンリミテッド・オーケストラなんてどっかの航空会社のCMでバッチリハマっていて、あとジャクソン5やマービン・ゲイ、あとスティービー・ワンダーやダイアナ・ロスとかホイットニー・ヒューストンとかロバータ・フラックなんかに憧れて、でもスタイリスティックスの「愛がすべて」にはやられたというかナンというか。
 わりと幼かったあの頃、首都圏とはいえ、埼玉の田園地帯から神奈川県の緑園地帯にちょうど都心を中心にぐるっと回ったような地域で生活を送っていた田舎育ちの私に都会への憧れをかき立てるのには思いっきり充分で、黒人独特のこぶしの回った(いや、ビブラートのかかった)甘い歌声にため息をもらしていたわけであります。

 「俺は大金には縁のない普通の男、
  だからおまえにお姫様のようにはできないけど、
  でも、おまえを愛する気持ちはホンモノさ、
  おまえを命がけで守るから、
  絶対よそ見なんてしない、死ぬまで愛し続けるから、
  他には何もできないけど、この気持ちだけは絶対だ。」


 今聴くと、いかにもいかにもなんだけど、この甘さがロマンチックで豊かに感じるワケです。いろんな事に憧れていた心のひだがいっぱい刻まれている、「坂の上の雲」に向かって世界中が進んでいたあの頃、まだまだたかだか30年くらい前の話なんだけど。

 途中で左の方からヴァン・マッコイの「ハッスル」がストリングスで聞こえてきたりする。おまえ(彼女)のために「ハッスル」するってか?。

# by yurikamome122 | 2015-03-05 00:32 | 今日の1曲

J・S・バッハ/カンタータ第174番「われ心より至高なるものを愛する」をアーノンクールで

c0021859_17202228.gif 年齢を重ねるとバッハやモーツァルトに共感するという御仁が我が隠れ家にお見えになった。
 バッハかぁ、なんとなく悟りの境地に近い音楽なのかも知れない気がするのだけど、キリスト教徒では残念ながらない私には、個人的なバッハのイメージは、敬虔なクリスチャンだろうけど、ロックンローラーなんだと思う。
 暗号のようなヘンテコな文字や数のパズルを「シメシメ」と思っていたかどうかは知らないけど曲に埋め込んでいたとか、昨今のビートを強調したピリオド系の演奏を聴くにつけ、あの快調なテンポ感はやっぱロックだろう。

 2曲目のアリア

 「神が最高よ、私の心の一番高いところは一緒に神様がいるし、
 神様もいつも暖かく注意深く見守って下さる。

 その事は私の最高の宝物、それは私の毎日の親切や幸せの源なの」


                                      訳:Shou Satow

って感じでどうですか?。

 冒頭のシンフォニアは弦楽合奏だけの「ブランデンブルグ協奏曲第3番」に管楽器を加えた豪華版。
 それをアーノンクールが手兵の「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」たちとともに見事にシャウトしておるのです。
 ガーディナーはオリビア・ニュートンジョンのように軽やかに過ぎて、イマイチ。
 われらが鈴木雅明もなかなかいけてるのだけど、サザンオールスターズ的洗練と緩さがイマイチというかナンというか。
 やはりブリティッシュロックののような辛口のパンチとシャウト感ではアーノンクールの方が一枚も二枚も破天荒であります。
 ただ、アーノンクールはハプスブルクの末裔、オーストリア人だけどね。

 パワーアンプの最終段の考察、解析をしているのだけど、なかなか面白いというか、実は私は大いなる勘違いをしていたようで、コレクタ接地とかエミッタ接地とか、対称動作とか、私の認識は全然違っていたような気がしてきた。

# by yurikamome122 | 2015-03-02 17:23 | 今日の1曲

ビリー・ジョエル 「マイ・ライフ」

c0021859_17252159.jpg 学生時代、東北の地方都市で過ごして、そこでの生活はとっても楽しかったんだけど、でもやはり都会生活に、それもアメリカ東海岸には憧れて、その時に小林克也が「BEST HIT USA」って言うのを何曜日だったか深夜と言ってもまだ宵の口くらいだったんじゃないかと思う時間にやっていて、そんな憧れの気分を随分刺激されたんだけど、その元はと言えば、高校時代、FMエアチェックと言う言葉があった頃だけど、FM放送を録音したビリージョエルの「ニューヨーク52番街」のあたりが始まり。
 他にも「オネスティー」とか入っていて、今聴くと結構やっぱいいじゃん、これ。
 で、続けてボズとかELOとか懐かしいアルバムを聴きあさってみると、あの頃憧れていたもの、今どれほど手に入れたか、それからあの頃思いもよらないような収穫もあったりとか、ちょっと切なくなったりもした。
 学生時代、この歌聞いて歌詞に出てくる都会生活脱出の彼、地方都市生活の時にそんな彼と自分を重ね合わせたりしてたっけ。

# by yurikamome122 | 2015-02-27 17:26 | 今日の1曲

中島みゆき 「捨てるほどの愛でいいから」

c0021859_174974.jpg 今の中島みゆきは怖い。幾多の苦難を乗り越えた彼女の人生そのもののその音楽には、有無を言わせない絶大な説得力があるのは確かなんだけど、かつての彼女の泣き節にはその苦難を乗り越える強さがあった。
 それは人生の負け組のエレジーのようで、弱虫のように聞こえて、それらを全てのみ込んで実は人生肯定の賛歌だった。
 でも、最近の彼女の歌は「薹が立つ」たというか、苦難を乗り越える術を身につけた彼女のお説教のようになった気がする。
 それはそれで説得力があるのだけど、でも、この頃の苦難を乗り越えた彼女を同情したり愚痴を聞いたりする、そして彼女と一緒に悲しんだりするいじらしい彼女はいなくなってしまった。
 でも、自分も自分の歳や自分のまわりを見れば自分自身そうだった。
 1982年のアルバム「寒水魚」より
 青木望のアレンジで。

# by yurikamome122 | 2015-02-26 01:12 | 今日の1曲

コルンゴルド作曲、組曲「シュトラウシアーナ」

c0021859_1225315.jpg 甘酸っぱいトロピカル・フルーツをあしらったホイップクリームのたっぷり載ったケーキの側面は、真っ白な変形パールやスワロフスキー、丸特小ビーズで覆われ、可愛いバラが飾られて、部屋を暗くして何本も添えられたかわいいろうそくに灯がともると真珠やビーズが美しく輝く。
 コルンゴルドのチャーミングなこの曲は、ワルツ王、J・シュトラウスⅡの新ピチカート・ポルカに始まり、オペレッタや歌劇からのパラフレーズ。
 甘いコクのある生クリームのような洒落た旋律に、妖しく暖かく灯るろうそくの輝きを反射して眩く久煌めく宝石のように散りばめられた打楽器たち。
 先ずは、言葉はいいから下のリンクをクリックして各自お試しあれ。
 山田一樹指揮、スイス・ロマンド管弦楽団で。
 冴えたキラキラが魅力的な演奏をしております。

# by yurikamome122 | 2015-02-25 12:37 | 今日の1曲

シューベルト作曲、交響曲第8番「未完成」 ブロムシュテット指揮、シュターツカペレ・ドレスデンで

c0021859_17225392.jpg シューベルトって初めて耳にしたときに「ハッ」と思うような優しい旋律もいっぱい書くんだけど、それのどれもが凍えそうな寒い冬の夜に自宅に戻り、ストーブの前で飲むあったかいミルクのようで、つまり、いやんなっちゃう絶望のさなかに差しのべられる暖かいぬくもりのようで、で、この「未完成」はそんなシューベルト像がいかにもツボにはまったような曲だと思うのは、ウィーン・フィルの演奏するこの曲よりも、若き(と言っても50代の前半だけど)ブロムシュテットがドレスデン時代に録音したこの演奏を聴くと歌よりもそんなドラマ性を強く感じたりするのです。
 低い声で呟くようなベースのあと、荒涼とした木枯らしの吹く荒れ地をさまようようなあの旋律。
 ヒタヒタと迫り来る悪魔の影のような弱音からクレッシェンドするヴァイオリンの高音。
 そして、運命の定めにより降りかかる苦難のようなティンパニの一撃は聴き耳を立てている私を怯えさせて、そしてやがて優しい旋律でつかの間、小さい頃に母親に抱かれたあのぬくもりを思い起こさせる。
 でもそれはホンのつかの間なのでした。
 2楽章は既にもう死んでいる。
 でもマーラーのように達観して解脱して浄化されていくのではなく、死後の闇を彷徨いながら感情も無く繰り広げられるドラマの中で、そんな自分を見て慟哭する自分自身がいるような。
 救いが無い中に、それでも一縷の救いを夢見ているような残酷さ。ひどすぎるだろう、こんな曲。
 恐ろしい曲なのは知っていたけど、この演奏を聴いてもっと恐ろしい、イヤな曲なんだと。
 でも、辛いときはこういう音楽がいごこちが良かったりするんだよね。

# by yurikamome122 | 2015-02-23 17:23 | 今日の1曲

オーディオ自作記事雑感

 オーディオアンプは真空管はあまり好まないのでトランジスタで組もうと思う。
 そんなわけでパワー・アンプを自作しようといろいろと記事を読みあさっていると、「ラジオ技術」がいつの間にか本屋さんから姿を消したので、今参考になるのは「MJ無線と実験」のみとなってしまった。
 いにしえの執筆陣が今でも活躍していらっしゃるのは嬉しいし。。。。。はともかく、トランジスタでアンプを組もうとすると金田式、安井式、落合式あたりが参考になるかなと。 巷の評判はともかく、回路図を素人なりに眺めてみる。
 安井式が上下対称の2段増幅NON-NFB、ノイズ対策として様々な工夫を凝らしておいでで、その中身は誰でも自分の装置に応用、または搭載できそうな簡単なもので効果が大きいと言っておられる。
 また電源回路は、なんと定電圧回路が誤差増幅なしのただのリップルフィルターで、しかも電源出力後のコンデンサが電圧増幅部がたったの0.022㎌
 落合さんは昔ながらの(失礼)初段にFETを使った差動2段かと思ったらやはりトーテムポール型を採用していたのは、同じチャンネルのFETを使うための工夫と言うことらしい。電源はわりとありがちな誤差増幅回路付き。
 金田さんは初段に真空管を使ったりいろいろやっているけど、つまりは初段を差動回路で受けてトーテムポール型の終段。目的は違うような言い方をしておいでなのだけど、たぶんノイズ対策と言うことで電流伝送をして、また電源回路は誤差増幅回路付きの普通のものと言うことでしょうか。
 正直、金田さんの回路、プリなどはシェル内にカートリッジに直接FETハンダ付けをして組み込み電流に変換してアンプにというのは、もうかれこれ35年くらい前にどこかのメーカーがやっていたりして、金田さんのアイデアってその他のところでも見たことあるような気がする。もちろんそれが悪いというわけではないのだけど。

# by yurikamome122 | 2015-02-23 03:50 | オーディオ

マーラー作曲、交響曲第3番をバーンスタイン/NYPの87年の録音で

c0021859_19371514.jpg バーンスタインは長らく敬遠している指揮者でありました。特にいきなり抱きつかれて、タバコ臭いキスをブチュ~とやられそうなマーラーなんてもう正直やめてもらいたい。
 そう思っておりました。
 ボーイソプラにを起用したマーラーの4番やデッカに入れたバリトンにフィッシャー=ディスカウを起用した「大地の歌」なんてバーンスタインの男性への偏重を感じたのは彼の性的嗜好がどうのだけではないのです。
 私にはあの舌で身体中を舐めまわすような粘るフレーズ、彼の熱い息を心臓で感じるような感情の発露と言い、もう既にパブリックドメインになってしまったNYPとの61年の録音はまだ聴けたのだけど、80年代に入って2度目に始まった全集などは、もう私には恐ろしくて聴けたモノではない、そう思っておりました。
 でも、改めてこのバーンスタインの死の3年前の録音を聴いて、それはそうなんだけど、でも、ここで出会ったバーンスタインは年老いて達観して、過去を追憶する彼の姿でありました。
 「愛が私に語る」第6楽章の語り口は、もうマーラーの9番の第4楽章のように浄化されて澄み渡った彼岸の世界でありました。
 なぜか聴き終わったあとに悲しみでいっぱいになりました。

# by yurikamome122 | 2015-02-22 19:37 | 今日の1曲

ブルックナー作曲、交響曲第8番をハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の81年の録音で

c0021859_2201036.jpg ハイティンクがこの曲を公式に録音したのは何種類あるのかはよく知らないけど、このコンセルトヘボウ管弦楽団で3種類、あとはウィーン・フィル。ドレスデンのシュターツカペレ、あとシカゴ交響楽団やロンドン交響楽団ともなかったかどうか。
 でも81年録音のこの演奏が一番好きなのです。
 オケと指揮者の一体感と言いますか、オケのニュアンスの細やかさというかデリカシーというか、そのあたりここまでくるともうエクスタシーの領域ではないのかと。
 落日の夕日を見るような充実感とやるせなさと、そして懐かしさと。
 響きが途切れるときの込められた想いとか、フレーズの呼吸の生き物のようなぬくもりとか、様々な表情の旋律の綾がいろいろな光を帯びて紡がれてゆく、その立ちのぼるような神秘とか、そんなのは巨匠ハイティンクでも天下のウィーン・フィルを手兵としても、あのドレスデンのシュターツカペレを持ってして、そしてその後にこの楽団に客演したときの録音でもここまでの完成度は結局再現できていないのでした。
 豊かな響きのホールと一体になった、全部がツボにハマった美しいオーケストラの響きは、暗く、重く、そして深い。
 この地上に確かにあった、指揮者とオーケストラの理想的な一体感が音楽を聴いてブルックナーの重厚な神秘の響きに包まれる幸せを味わえる録音を残してくれたことに感謝と、追憶の彼方の記憶を呼び戻すような切なさに包まれる演奏でありました。

# by yurikamome122 | 2015-02-21 22:00 | 今日の1曲

メータ/LAPでJ・ウイリアムス作曲、スター・ウォーズ組曲

c0021859_1614120.jpg このレコード、学生時代のクラシックマニアとおぼしき人たちの下宿やアパートにはなぜか一家に1枚はあった。
 若きズービン・メータが好調なマーラー・シリーズを連発し、シェーンベルクやクラフト、ヴァレーズなんかを録音して、それがまたなぜかヒットして評価がうなぎ登りの時に、おんなじノリで(かどうかは知らないけど)このスター・ウォーズを録音して、一部のうるさ方の批判を浴びたという代物で、でも私の記憶が間違っていなければカラヤンも確か録音していたはずで、でもカラヤンのは何で日の目を見なかったんだろう。
 ショルティだって「がんばれベアーズ」なんて録音してるし、オーマンディーだってムード楽団のような曲目の録音をしていたはず。アメリカってそういうところなんだよ、きっと。
 演奏はというと、派手にあの頃のメータらしくやっていて、深みよりも官能を、端正よりもダイナミズムを、煌びやかさをといった感じの演奏は、オーディオ的にも大音量でオケを聴く楽しさを大変に味わわせてくれた演奏でありまして、荒削りだけどグラマラスでちょっと神秘を感じさせるスペクタキュラーな演奏から、街で会った実際のズービン・メータが私よりチビの意外な小男(失礼)だったのにはちょっと驚いた。(ただ、オーラだけは異常に凄く、やけに横からなんか来ると思ったら、隣にいたのがメータだった。第三種接近だった。あまりの威圧感にサインをねだるのを忘れた)
 ともあれ、今聴いても若武者メータの快刀乱麻でありました。

# by yurikamome122 | 2015-02-18 16:14 | 今日の1曲

小澤征爾指揮ボストン交響楽団でマーラー作曲、交響曲第1番「巨人」

c0021859_16574316.jpg 学生時代、マーラーにハマりにハマって寝ても覚めてもマーラばかり聴いていた頃、クラシック音楽ってこんなにも心地よくってドラマチックで熱くて、そして宇宙的だったんだって思った。
 そう思うとベートーヴェンはおろか、ハイドン、モーツァルトなんて幼稚園の遠足のようで面白くも何ともない。
 音楽のそんな聴き方をしていたあの頃、マーラーのスペクタキュラーで広大で目眩く世界を目の当たりにしながら身悶えるような官能に酔いしれながら聴いていたこの演奏。
 ボストンシンフォニーホールの芳醇で豊かな残響に征爾さんの指揮する高原の朝のような爽快な演奏は瑞々しくも颯爽として、そしてドラマティックで、あの頃の征爾さんのうねるような指揮ぶりに憧れて、そう、まさに嵐を呼ぶ指揮者だった。
 そんな征爾さんが目一杯詰まったこの1枚は今聴くと演奏もとっても素敵なんだけど、それに加えてあの頃を思いしだしてグッとくるものがある。
 あの頃の友人に30年ぶりに明日会える。
 そして、私たちが暮らした福島県は、まだまだ苦労が多いのでした。

# by yurikamome122 | 2015-02-13 16:58 | 今日の1曲