ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」をストコフスキー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団で

c0021859_64837100.jpg どうも軽く見られるフシがある「新世界」、人に言わせると8番の方がいい曲だとか、俗っぽいとか、でもそんなこと言うならマーラーの方がもっと俗っぽいような気もする。
 そんなことよりもドヴォルザークのメロディアスな旋律に様々に絡み合った旋律の綾がきこえてくると、その精緻さに興味が沸いてきて、征爾さん(発売当時、わざわざウィーンの音楽監督になって「新世界」でもなかろうと思った征爾さんの新世界なんだけど、本番での成功は立ち読みした「レコ芸」にも載っていて、ついつい手に取りレジへ)、メータ、カラヤンにジョージ・セル、ブルーノ・ワルター、スイトナー、そしてストコフスキー(90才過ぎてから録音したヤツ、さすがストコフスキーだった)まで一気に聴いてしまった。
 伸び縮みするテンポはストコフスキーが若かった頃は誰でもやってたことなんだろうし、響きを煌びやかに演出する改変なんて、聴き応えありますゼ。第1楽章のコーダの金管はビックリしたり、第4楽章での展開部の思いっきり落ちるテンポに追加されたシンバルはコーダで大活躍、最後、銅鑼の響きが夕暮れのお寺の鐘のように響き、そしてラストの余韻は様々な楽器を重ねてある。
 ショウマンシップややりすぎって言うのは簡単だけど、この曲のツボを押さえてとっても解説的に聴き所を解りやすく、聴き手がポイントを逃さないようにくっふしてあるように思うのだけどな。
 実は個人的に私には「遠きビルに日が落ちて」にきこえる「遠き山に日は落ちて」で有名なこの曲の2楽章は、実は猛烈な鉄道ヲタクであったドヴォルザーク(ドヴォルザークのアレグロはどうも爆走する蒸気機関車を連想するのです)の活躍したニューヨークの息吹を感じ取ったりするのですが、それが合っているかどうかはさておき、誰でも音楽の時間に聴かされたこの曲に関しての解説は大体において以下のようなもの。
 「新世界から」の「から」は当時「新世界」と言われていたアメリカ「から」なんであって、ドヴォルザークがアメリカの学校で教鞭を執る傍ら、故郷に思いを馳せつつ、ドヴォルザークにとっては新しかったアメリカの音楽にインスパイアされて作った、「ドヴォルザークの故郷ボヘミアへの音楽の手紙」。だから、初演当初からアメリカの音楽からの引用があるのではないかという疑惑は持たれていた。が、ドヴォルザーク自身は「アメリカの旋律の精神に従って書いたのは事実だが、そのまま引用はしていない」と言っている。
 というのは、いろいろなところで読んだこともあるだろうし聞いたことがあるよく書かれるこの曲のプロフィールなのです。でもそんなことを言うなら、弦楽四重奏曲「アメリカ」やチェロ協奏曲だって同じ事、この曲がよく聴かれるあまりに総花的な理由として、なんだかよく解ったようで解らない。
 
 で、もっと曲をよく聴き、眺めてみると、それはウケるべくしてウケるワケがだんだんと、ちょっとだけ私にもきこえてきた。
 ドヴォルザークが「新世界から」では、先ず曲の冒頭、第1楽章の序奏はヴィオラとコントラバスの憧れに満ちたチェロのメロディーで聴く人にノスタルジーをかき立て、そしてそれにフルートとオーボエが静かにそれに応え、そして突然のドラマティックな盛り上がりから第1主題を予告しながら序奏のクライマックスを迎え、冒頭に強烈なスフォルツァンドのアクセントの付いた弦のピアニシモのまるで草原を思わせるような静かなトレモロで主部に入り、遠吠えのようなホルンの奏でる第1主題から主部に突入。つまりノスタルジックな導入で思いを馳せながら、突然拡がる草原の大パノラマってワケ。この第1主題がアメリカ的とかチェコの民族的とかいろいろと言われているところ。
 第1楽章が激しく力強く終わったのを受けての第2楽章もここの管楽器群で奏でられる厳かで神秘的な序奏は、激しい第1楽章から第2楽章への橋渡し。これは、この楽章のあの有名なノスタルジーをかき立てる憧れに満ちた主題よりも更に大事な部分。この後続く第3楽章、第4楽章への序奏の意味もある。
 第3楽章での見事にメリハリと歯切れのよく本題へ突入する序奏の後、主題はフルートとオーボエによって奏でられた後、1小節遅れてのクラリネットのエコー、カノンの手法、ノスタルジーをかき立てる。
 そして第4楽章の激しい本題への熱狂を期待させる序奏の後のフルオーケストラの叩き付ける和音の後の力強いトランペットの第1主題、そして全曲でたった一回だけ響くシンバルの後の第2主題の息の長いクラリネットの望郷のメロディー。その後の盛り上がりの行き着く先はふるさとへ帰った喜びに満ちあふれたような盛り上がり。
 そしてその後に展開部ではまるで様々な出来事を回想するかのように前の3つの楽章の主題が回想され、再現部からスケールの大きい集結部のここでも登場する全3楽章の主題を回想しつつ傲然と情熱的に曲を閉じるが、そこに余韻までちゃんと残している。
 ドヴォルザーク自身、前作では採用しなかった前奏をここでは効果的に使っているのは、ウケ狙いなのかどうなのか、そういえば、この曲は8番で採用しなかったハイドン以来の規範的なソナタ形式を採用している。
 そればかりではない、実は各楽章の主題はおよそその登場の前に予告がされていたり、変形があったりして、各楽章それらが有機的に結びつき統一感を出している。
 つまり、もちろんブラームスが羨んだほどのドヴォルザークメロディーが素晴らしいのはに加え、音楽の常套手段を模範的に使いこなした王道の作曲技法による音楽と言うことで、そこに込められたドヴォルザークのインスピレーションが何の障害もなく聴き手にスルリスルリと流れ込むという仕掛けになっているのでありました。

by yurikamome122 | 2015-07-14 06:50 | 今日の1曲