ちょっと崩れた美について、ラヴェルとドビュッシーの違いなど。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら

c0021859_1345187.jpg ラヴェルという作曲家は、とても古典的だと思ってた、フォルムがカチッとしていて。
 聴いてみてそう感じていたのだけど、確かにそういうところもあるのだとやっぱり思うのだけど、それでいてなんでラヴェルの音楽がこんなに美しいのか、なんでこんなに緊張を強いるのか、ここのところ故あってラヴェルとドビュッシーとサン=サーンスとフォーレばっかり聴いていたんだけど、シューマンやワーグナー、リストなんかをちょっと聴いてみたらなんだかわかるような気がしてきた。
 ラヴェルって禁欲的なんだよね、きっと。そしてその禁欲に宿る人間的、動物的感性と本能とのせめぎ合いの緊張感。
 リストの「巡礼の年」3年の中の「エステ荘の噴水」にインスパイアされてラヴェルが「水の戯れ」を書き、ドビュッシーは「映像」第1集の「水に映る影」を書いた。この2曲の違い、水面の動き、その揺らめきに映る影のドビュッシー、ラヴェルは水面が見えないくらい透明な「水の戯れ」。この整ったような透明感。
 繰り返し延々と同じメロディーを執拗に繰り返すリズムとともに徐々にクレッシェンドで聴き手を陶酔の坩堝からエクスタシーの境地で解放するあの「ボレロ」なんて、セックスそのものじゃないか?。だいたいあの変態的なピッコロとホルンの二重奏はナンなんだと。だけど響きはあくまで透明で美しい。
 それをたとえばワーグナーのようにムワッとした臭いのする場末の映画館で外国製のポルノ映画を見たような曇った下品な、またドビュッシーのようにそのものズバリではなく、ラヴェルはこういう動物的な逞しい情熱的なものは美しいとは感じなかった、きっと。
 なので、ラヴェルは古典的と言うよりも、人間くさい性愛、愛欲をむき出しにしたようなロマン派の音楽のようなものよりも形式を持った古典的なものに美しさを感じた。そしてそこに性愛、愛欲をこういう形で抽象化し昇華する、それがこの人の音楽の世界なんではないのか?。
 ワーグナーはその下品さを壮大な、ヒロイックなイメージで湧き起こる聴き手のイマジネーションにより聴き手が形而上的に受け取る事を要求しているのかもしれないけど、ラヴェルは違う、もう既に昇華し洗練された結晶がそこにあって、即ち透明に「崩れた」美をそこに現している。そう私は感じる。でもだから、聴いていて疲れる。それに引き替えドビュッシーのあの官能的な安らぎ。
 そういえば、私が個人的に西洋の庭園よりも日本の庭園に親近感とより深い美しさを感じたりするのは、西洋式の庭園の明らかに一点から見ることを意識して調和を求めたものではない、枯れ葉1枚もゴミではなく、その崩れたものさえも美しく見せる、そういうところなのかもしれない。でも、日本庭園、枯山水は見ていて疲れる。
 ラヴェルの自宅の部屋には浮世絵が飾ってあって、和風の部屋もあったそうな。
 やっぱり和風の趣味があったチェリビダッケのとってもエッチなボレロを聴きながら。

by yurikamome122 | 2015-05-22 14:25 | 今日の1曲

チェリビダッケ指揮でマーラー作曲、交響曲「大地の歌」

c0021859_1971064.jpg 深く仏教にも共感していたというチェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(実はこの曲は、ブルーノ・ワルターの指揮により、このオケで初演されたのでした)とメゾ・ソプラノがジェシー・ノーマン、テノールがチェリビダッケ在任時のシュトゥットガルト放送交響楽団のファゴット奏者だったがチェリビダッケの勧めでテノール歌手に転身したというジークフリート・イェルザレムというすごい顔ぶれ。
 今日からちょうど23年前の1992年4月1日のミュンヘンでのライヴ録音。もちろん裏青の海賊盤。
 どうもFM放送などからの盤起こしのようで、多少のホワイトノイズが乗っているが状態はなかなか良い。
 冒頭の絶叫するホルンは透明ながら、もうそこから多くのことが語られ始める絶妙な演奏。
 チェリビダッケはミュンヘン・フィルとの1986年のライヴを聴き怒り心頭になり今ひとつ好きになれない指揮者ではあるのだけど、これは素晴らしい。
 イェルザレムのちっと非力なところもなかなかにこの1曲音に合っている。
 チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルの重厚な透明感が運命の瓦解と言うか、諸行無常を現すよう。
 テンポは昨日のクレンペラーよりも遅いかも知れないと感じる彼の「大地の歌」は、寂寥感とともに吸い込まれそうな漆黒の神秘に満ちている。
 2楽章のノーマンの歌唱はさすがとしか言いようがない。黒人特有のヴィヴラートが気にはなるけども、全盛期を過ぎた頃とはいえその表現力は絶大。
 でも、この演奏の圧巻はやっぱり第6楽章の「告別」。
 もう既にこの世が宇宙から消えてしまった空虚な空間から響くような冒頭からしてもうこの世のものとは思えない。やはりマーラーは死なねばならなかった。
 途中の間奏曲の美しさがあまりに耽美的で懐古的。そしてそれがもう現実ではないことを実感させるような哀しみは、人間何十年もやっていると、どうしても捨てきれない過去があって、そのツボを直撃する。
 そして最後、「愛しき大地に春が来て」以降の信じられないような哀しみの世界は、ノーマンの独断場で、しかもオケも素晴らしすぎ。
 チェリビダッケはマーラーを「痛ましい」と言ってどちらかというと嫌っていたはず。でもこんな素晴らしい音源が残っていたなんて。

by yurikamome122 | 2015-04-01 08:29 | 今日の1曲