「第9」の後の祭り① 後世への影響、たとえばシューベルト、交響曲第8番「グレート」の例

c0021859_6494429.gif 「第9」はベートーヴェンが亡くなったあともその騒動は終わらない。先ずはシューベルト。
 シューベルトは1797年、ベートーヴェンが25歳の時にウィーンで生まれている。どこかですれ違っていたかも知れないこの二人は、恐らくは言葉を交わしたことがない。
 シューベルトが「未完成」交響曲を書いた1822年、25歳のシューベルトは作品10のピアノ連弾曲を、ベートーヴェンへの献辞を添えて出版した。そしてその作品を持ってベートーヴェンを訪ねたが留守で会えなかった。恐らくはこれがたった一度の会話の機会だったが、運命はそれを許さなかった。ベートーヴェンが「第9」を初演する2年前のこと。
 その後の「第9」の初演に立ち会っていたかどうかはわからないけれども、恐らくは可能性がある。というのも1824年の「第9」の初演の翌年完成の交響曲第8番「グレート」(この曲は私にはシューベルトの「第9」であった。シューベルト作曲、交響曲第9番と書いてあった。その後に「第7番」(ブロムシュテット盤)などがあり、今では「第8番」と言うことになっている)の第4楽章にベートーヴェンの「第9」のオマージュが散りばめてあるといわれている。(貼り付けたyoutubeの音源の49分26秒くらいから)

 そんなことを思いながらノリントンの演奏を聴いてみると少し田舎の木の匂いの薫る演奏でありました。
ベームとウィーン・フィル、ブロムシュテットとドレスデンのシュターツカペレの味わいも捨てがたいけど、やっぱりベートーヴェンの後はこういう方がしっくり来るのかも知れない。

 後に病床のベートーヴェンはシューベルトの作品に触れることとなりベートーヴェンはシューベルトに賛辞を送る。
 シューベルトは死の数日前のベートーヴェンを見舞っている。そしてベートーヴェンの葬儀で柩を取り囲んで進む36 人の炬火を持つうちの一人だった。
 そしてその翌年、シューベルトもこの世を去る。

 この後、様々な作曲家が自作の中にオマージュとして、また手法を取り入れてゆくのは、たとえば音楽では有名どころではブラームスの交響曲第1番など、手法としてはメンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」やマーラーの交響曲第2番「復活」なんてそうかも知れないし、ブルックナーの交響曲の初めの「ブルックナー開始」と言われる「原始霧」とか、あとはマーラーの1番も、その他前楽章の引用とかその否定とかはベルリオーズなんて結構やってる。映画ではスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」などもう後世への影響は多大なものがあるというわけ。そして、とうとう国歌にまでなったり、挙げたらたくさんでそろそろこの辺で。
 

by yurikamome122 | 2015-12-20 08:00 | 今日の1曲