ベートーヴェン「第9」その後① 6つのパガテルOp.126をブレンデルで

c0021859_18421797.jpg 「第9」に続き完成したのがこれ、ベートーヴェン最後のピアノ曲。
 6つの小品集とはいえ通して演奏することを作曲者は希望している。まるでピアノ・ソナタのように。
 晩年のベートーヴェンの奥深い静かな洞窟の中の泉に手ですくった水のようにまるでカミソリのように手を切りそうに冷たいその水の、すくった手が鮮やかに見える透明感とサラリと零れてゆく無常感、枯淡の境地が聴ける。
 演奏はブレンデルのが一番しっくり来る気がする。
 この作品の第4番ロ短調Prestoはかの「第9」と旋律的輪郭の近似があると言われている。
 1824年5月7日の「第9」の初演の大成功は様々なところで語られているので詳細は記さない。
 その大成功のあと、約2週間後の5月23日に会場をもっと大きくして行われた「第9」再演は聴衆が集まらず失敗をしてベートーヴェンを慌てさせる。初演に集まった聴衆はベートーヴェンを久々に見ようと集まったのであって、あの音楽は結局当時の聴衆には受け入れられるものではなかったようだ。
 その後に保養地へ出掛け弦楽四重奏曲第12番と第15番を完成させている。
 「第9」はというと、その後の経過は、第4楽章を器楽のみのものに書き換えてみようかとか考え始め、でも体調不良のため行けなかったロンドンへほぼこのままの形で送付、1825年3月21日ロンドン初演も理解されなかった。同年4月1日3楽章を省略してフランクフルト初演。5月23日には2楽章を省略し3楽章もカット、4楽章の「おお友よ」の箇所を一部変更してアーヘンの初演。
 弦楽四重奏曲の最後の3曲(第13番、第14番、第16番)を書きながら、大フーガをいじり、「第9」の献呈先をフェルディナント・リースからロシア皇帝アレクサンドル1世にしようとするが既に亡くなり、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に贈ろうとする。
 死の前年の1826年3月2日に1から3楽章のみでライプツィヒ初演。
 完全な形で演奏されなかったこの曲は、聴衆にも演奏者にも理解されなかった。
 同年9月末にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈。11月13日にベルリンで弱冠17才のメンデルスゾーンが音楽家たちの予習のためにピアノ演奏。27日にベルリン初演は完全な形で行われた。
 その後に12月20日にブレーメンで27日にマルデブルクで、翌年ベートーヴェンの死の年の1827年2月20日にはシュテッティン初演、この時にメンデルスゾーンが第1ヴァイオリン奏者として加わっていた。
 そして死の月、3月の9日プラハ初演、15日ウィーン再演となり、26日にベートーヴェンはこの世を去った。

by yurikamome122 | 2015-12-16 09:00 | 今日の1曲 | Comments(0)