ムッシュ・ジョルジュのサン=サーンスの交響曲第3番と、この曲の周辺

c0021859_544713.gif サン=サーンスのオルガン交響曲と言えば、しゃれたセンスの響きに満ちて、大編成の快感を感じることができる曲として人気曲。
 でも結構録音というと厳しいものがあると思う。演奏のショウピースとしては、最晩年のオーマンディーやバレンボイムあたりが個人的には好きだし、フランス風のしゃれた洗練ではムッシュ・ジョルジュのパリ・コンセルバトワールの演奏はやはり捨てがたい。
 響きが交錯して、それが陰影をもち、そのコントラストと色彩の多彩さ。それでいてどこか洒落たセンスが香水のように漂う。当時のコンセルバトワールのオーケストラの味わいと、ムラの激しいムッシュ・ジョルジュが絶好調バトンを裁いているのは、たまたまこの時オケと馬が合っただけなのかどうなのか。
 とにかく素晴らしくセンスを感じる、ドラマ性も、祈りの気高さも、勝利の輝かしさも、これぞサン=サーンスと思わせる演奏を聴かせてくれる。
 
「リンゴの実が実り、自然に落ちるように」作曲したサン=サーンスは、後期ロマン派の時代に差しかかるまで生きたにもかかわらず、大袈裟に何かを語る音楽は作らなかったと私は思っていた。「朝机に坐って、アイディアが脳裡に浮かんできたとき、私は確かに救済を必要としていない。」とクレンペラーに語ったリヒャルト・シュトラウスのように、悩みや救済から一線を画して曲を作ったであろう事を、彼の作品から感じていた。
 サン=サーンス自身の必然性をもって小川が流れるがごとく作曲された彼の音楽は、そこに「悩み」や「苦しみ」を克服する、「救済」による「祝福」も無い、音楽の「形式」で作られた音楽という印象も、時折そう語られることも多い彼の音楽なのだけれども、そこには作曲者の知性が「自然」に、ごく「自然」にそこに存在するような奥行きを感じることがあるのもまた本当のことだと思う。
 この曲はまさにそんな曲だと思うのです。
 
 生まれた年はベートーヴェンの第9の初演から約10年後、極東の辺境の、ラッパと言えばホラ貝だった日本では老中水野忠邦が天保の改革の真っ最中の1835年、フランス革命の混乱さめやらぬ7月革命から5年後のパリに生まれ、マーラーの死の10年後、第1次世界大戦終結の2年後の1921年(サン=サーンスが生まれたとき、江戸時代のチョンマゲでホラ貝を吹いていた我が国が、大日本帝国海軍の東郷平八郎大将が日本海でバルチック艦隊を破り、また戦勝国にもなり世界の列強8カ国入りした大正10年)まで生きた、長く生きすぎた。
 そのおかげで、若い頃は将来を嘱望されつつも、晩年は「時代遅れ」「過去の人」などとうるさい頑固親父のように敬遠されて、しかも頑固に古典的な枠組みを尊重する作風の作曲家と思われたフシもある。(そんなことはない、酷評したドビュッシーの手法を自作に取り入れたりと、晩年でもわりと先進的であった)
 彼の晩年の時代になると、アイヴズはもうあの指揮者を3人も動員し、音楽と言うよりも雑音と見まがうばかりの第2楽章を持つ交響曲第4番は初演されていたし、ダリウス・ミヨーのような違う拍子がいっぺんに進んでゆくような音楽も聴かされる羽目になった。

 近代フランス音楽の「父」として賞賛される彼は神に祝福され誕生した申し子だった。
生後2か月で、国の役人を勤める父を亡くし、母と叔母に育てられた(モーツァルトのファザコン、メンデルスゾーンのシスコンのように、この2人の女性が彼らにも劣らぬ才能のサン=サーンスをマザコンにし、またマザコンの彼の人生で大きな存在となる。)彼は、ピアニストの叔母の手ほどきでわずか2歳でピアノを弾き、3歳ですでに読み書きができ、曲作りを始め、驚いたことに代数の問題を解いた。そしてラテン語・ギリシア語を読みこなしていた7歳の頃にはそのピアノは演奏会を開くほどの腕前となる。
 当然彼を世間は「モーツァルトに匹敵する神童」と呼んだ。広い世界で人類の長い歴史の中、たまにはこういう人もいる。
 サン=サーンスの神に祝福された才能は音楽に限らず、詩人としても大活躍し、小説を書き、天文学、自然科学、考古学、哲学、民俗学など幅広い分野の著書をいくつも発表して才能のすし詰め状態。

 そして長寿故に長く創作も続けて、息を引き取る直前まで練習に余念がなかった演奏への情熱も燃やしていた。長寿で生涯現役、これに匹敵するのはおそらくハイドンくらいだろうと思う。ハイドンはその創作をたどることで、ハイドンの生涯が音楽の発展とヨーロッパの歴史を反映していた。
 でもハイドンのように宮仕えではなく、「評価の対象になる」「売れる」音楽を書かねばならなかったサン=サーンスは自ずとその反映のされ方が違ってくる。フランス2月革命の後2年後の1850年に15歳で「交響曲イ長調」を書いた彼は、その作品の作風は初期は、ベートーヴェンやシューベルトの影響を随分感じる、独墺の古典派の音楽をフランス的輝きを加えた音楽のようにきこえる。
 メチャクチャピアノは巧かったらしく、ベルリオーズやリストなどから絶賛されて、16歳でオルガニストとしてコンクールに優勝する頃にはもうバリバリ演奏旅行をこなしていた。ピアノストとしても評価を受け、作曲家としても様々な作品を飛ばしていた彼は1852年にローマ賞を狙うも失敗。
 作曲の技法もより熟達し、より彼自身が刻印されたピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲をガンガン連打していた頃の1864年にローマ賞に再度挑戦するがこれも失敗。今日評価され残る作品で、彼が2度もローマ賞を逃した、これだけでも彼が言われるほど保守的な作風でもなく、逆に当時のパリの楽壇には新しすぎた証拠ではないだろうか。 
 少年期はピアノの「神童」と称されたものの、頭のよすぎた彼は、アカデミズムどっぷりで、青年期から中年期はそう売れる作曲家でもなく、フランス作曲家の中でも「反動的な」存在として賛否両論的な評判に晒され、しかも、「動物の謝肉祭」などで同業を皮肉ってみたり、アルフレッド・コルトーに向かって「へぇ、君程度でピアニストになれるの?」などと人を見下す、頭のよい人にありがちな性格や言動も災いした。(それはどうだろうか、そういう側面はあったかもしれないけど、国葬が行われたあたり、煙たがれルどころか、大変愛されていたようだ)

 時は流れて1871年、我が国ではとっくに横浜が開港して、廃藩置県が行われていた年、フランスが普仏戦争敗北後、セザール・フランク、ガブリエル・フォーレなどとともに「国民音楽協会」を発足させて、その創立者メンバーとして存在感を示し活躍した。
 1875年に40歳のマザコンの彼は、突如21歳の年の差婚で弟子の妹で19歳のマリ=ロール・トリュフォと結婚した。(この頃の曲に「ロマンス」なんていう、いかにもの曲も作っている)いくらマザコンでももう母親の重すぎる愛に耐えられなかった。
 しかし、その結婚生活も1878年、彼が43歳の年に、相次いで2ヶ月の間に溺愛した2人の息子を事故と病気で亡くすという不幸が襲い、その悲しみを押し隠し、普段と変わらぬ生活を続け、それがまた世間の批判を買う。悪い評判が彼につけば作品は売れない。
 すると彼は若い奥さんを突然放り投げて母親の元に戻ってしまう。彼もまた弱虫だった。その後正式な離婚手続きはとられることはなかったと言うがどうなのだろう。
 サン=サーンスが「レクイエム」を作曲したのもこの頃で、経緯は全くビジネスなのだけど、その頃に「レクイエム」というのはタイムリーすぎる。
 その翌年カンタータ「竪琴とハープ」を作曲、両曲とも例のあの有名な「怒りの日」の旋律が印象的に使われている。なにがしかの感情が込められていたかもしれない。
 そしてそれからしばらくして、母親とともにいた1886年、この曲が書かれたのは、ロンドンのフィルハーモニー協会で演奏するためで、「渾身の1曲」(本人談)である交響曲第3番が書かれた。
 サン=サーンス自身はどちらかというと無宗教のようだったと言うけど、この曲の中に宗教的な響きを感じてしまうのは私が日本人だからか。例の「怒りの日」のテーマも循環形式で手を変え品を変え幾度も幾度も出てくる。
 この曲のように交響曲でハ短調で始まる曲は、有名どころでもベートーヴェンの「運命」やブラームスの1番とか、ブルックナーの8番、マーラーの2番なんて結構あるんだけど、やはりこれらのように運命に打ち勝つシナリオがこの曲に込められているのではないか。

例えばこんな筋書き、

 第1楽章の第1部、初めから凄い緊張感を感じる響き、幾度も現れる「怒りの日」が惨い運命を思わせて、大胆な転調でそれと戦う。この厳しさに打ち勝とうとする強烈な意志を感じる。
 第1楽章の第2部に入り、オルガンの鳴り響く中、豊かな弦のユニゾンは教会を連想する。トロンボーン、クラリネット、ホルンの響きは戦う戦士の祈り。
 やがて聞こえる低弦のピチカートによる「怒りの日」が聞こえ、2楽章からの戦いの予感をさせながら清澄な祈りが続く。

 第2楽章の第1部は運命の「怒りの日」の断片が怒濤のように攻め込み降り注ぐ。途中で響くコラールは雲間から降り注ぐ光とともに天使が舞い降り祝福をする。
 そして、第2部に入り神の意志を感じるようなオルガンの響き、荘厳な神殿の階段を一歩づつ踏みしめて上るような上昇音階の先にきこえる「怒りの日」が長調に転調して天使が舞うようなピアノ連弾のあそこ。
 そして壮大なオルガンを伴った華麗な響きのあと「怒りの日」を変形した旋律のフーガは喜びに満ちて、展開されて盛り上がり、カッコイイテーマが朗々と鳴り響き華やかな頂点が築かれたあと、再び「怒りの日」が登場するも崩れ落ち、そして輝かしく壮大に、華々しく勝利の上昇音型を轟かせ、運命に果敢に立ち向かいそして克服し、最後、華々しく重厚なハ長調の和音がオルガンとともに響くのでした。

by yurikamome122 | 2015-06-15 05:44 | 今日の1曲