スヴェトラーノフ指揮でショスタコーヴィチの7番

スヴェトラーノフ指揮でショスタコーヴィチの7番_c0021859_925175.jpg 暑い夏には、素麺などを涼やかに食べてはいけない。ましてや冷やし中華などもってのほか!!。夏には横浜中華街が誇る本格四川の景徳鎮の麻婆豆腐、いや、京華楼の麻辣刀削麺を辛さに汗とともに流れる涙をハンカチで拭いながら食べなければならない。熱々の激辛を口に運び、やけどでヒリヒリするのか辛さでヒリヒリなのか、そんな些細なことに拘ってはいけない。ひたすら堪えるのみ!!。やがて真夏の熱気などものの数ではなくなり、真夏の日差しや照り返しに加え、クーラーの屋外機からの熱風等による40度近い気温など全く気にならなくなるという仕掛け。そして、それ以前に泣くほどのこの辛さにもかかわらず、毎度毎度お代わりをしたくなるほど病みつきになるワケなのです。
 従って、音楽も涼やかなディーリアスなどを聴いてはならない。ショスタコーヴィチの7番をスベトラーノフがソビエト国立交響楽団と入れたやつ。何かヤケクソを感じるこの演奏ほどハマるものはないと思うのです。

# by yurikamome122 | 2020-08-14 09:25 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

アラウのドビュッシー

アラウのドビュッシー_c0021859_119815.jpg暑い暑いというのは大人げないし、ただそう言うだけでは全く前向きではないわけで、だいいち見苦しいのは重々承知で、それでもクーラー・扇風機の類いは排除して、開け放った窓からダラリと流れる熊のため息のような息苦しいそよ風に吹かれてグッタリとダラダラ流している音楽はジャケ買いの1枚、アラウのドビュッシー。うっすら緑色に濁った池の中を泳ぐ金魚のこのジャケット、1曲目の「映像」第1番の1曲目、「水に映る影」の私の思うイメージにぴったりで買ったのだけど、あまり誰も褒めない。おおかたミケランジェリあたりは定番なのだと思うけど、盛夏の日中、軽く気温が36度を超える気温の中の熱中症寸前の気怠いまどろみにはこちらの方がぴったりかと。っていうか、アラウのドビュッシーはいいと思う。
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# by yurikamome122 | 2020-08-13 11:10 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

メータ指揮、イスラエル・フィル(2016年)のマーラー作曲、交響曲第3番

メータ指揮、イスラエル・フィル(2016年)のマーラー作曲、交響曲第3番_c0021859_12013886.jpg 先日引退してしまったメータのこの曲最後の録音(だと思う)2016年のイスラエル・フィルとの演奏。
 70年代末期の40代のメータが体当たりの感情むき出しで挑んだ迫真の演奏は、曲が、マーラーが私にリアルに迫ってくるものだった。
 そして30年以上、いや、40年近くたってからのメータのこのマーラー、別の意味で泣けてきた。「愛の映画に照れて笑った貴方が寂しかったわ」(谷村新司)って感じですか

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# by yurikamome122 | 2020-06-23 12:04 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ブロムシュテット/バンベルグ交響楽団でのマーラーの9番

ブロムシュテット/バンベルグ交響楽団でのマーラーの9番_c0021859_16272216.jpg Facebookでブロムシュテットの演奏を取り上げたとき、コメントで紹介してくださった演奏。
 今まで、私の個人的なこの曲へのイメージは、マーラー自身の美と憧れの象徴である妻アルマへの想いと、自分自身の現実との狭間で苦悩し、そしてそれを受け入れざるおえない諦観と、静かにむかえようとする命の結末などへのこれまた憧れに怯えなどが入り交じった、そんな曲だと思っていた。なのでバーンスタイン、マゼールなどの、あのカラヤンでさえ赤裸々な感情むき出しにした演奏に心動かされ、ハイティンクの語りかけるような演奏でも、やはり第4楽章の引き千切られそうなあの想いの軋みが切実に訴えてくる場面は、いつもその軋みを自分でも感じるとることが、そしてその後の浄化の過程がこの曲を聴く意味だと思っていた。とても人間的なものがこの曲の根本にあるのだと思っていた。
 でもこのブロムシュテットの演奏は、そのマーラーの想いは、変わらないもの、探求するもの、通り過ぎゆくものなど、それらが織りなす魅力的な、人間的なドラマというのは、時間と共に運行するそれら必然のほんの1場面だという、今まで私が感じてきたこの曲のイメージを昇華しさらに普遍化した世界だった。この曲を聴いて今まで受けてきた感動は何だったのか、感じてきた感情のうねりのの意味は何なのかを教えてくれ、地上に住む人間の(感動的で魅力的な)私小説を起こしうるさらに大きな世界が広がっている演奏だった。それはまるで銀河の中心に巨大なブラックホールがあり、銀河系のあまたの星は全てこのブラックホールを中心に回っているというその全貌を明らかにしたようなもので、この曲の奥底はここなんだと言うことを感じさせる演奏は、知的好奇心を刺激し、今までの経験の上にさらに別の角度からこの心の動きを捉え、世界を俯瞰させてくれる。
 4楽章の始まり、全てを吸い込んでしまいそうなあの冒頭の厚みが有ながらもモダンで透明な響きの後には、悠久の営みを感じさせ流れてゆく音楽が様々なことを教えてくれる。そして、最後は浄化されるのではなく、元々澄み渡っていたわけだ。

# by yurikamome122 | 2020-04-19 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(2)

令和2年4月19日(日) 新型コロナウイルス 全国の状況と考察

以前のエントリ(https://yurikamome.exblog.jp/30999271/)であった4月10日現在での感染者数は5,246人。別途エントリの欧州疾病対策センターの表(https://yurikamome.exblog.jp/31012015/)によると、他国に比べ感染速度が明らかに遅い我が国は、他国が3日で倍になる中、およそ1週間で倍になるというデータ(これは、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学でも同じような内容のグラフを示している)があるので、4月17日にはおよそ1万人になっているはずと言うことだが、1週間以上過ぎた19日現在では、感染者数10,219人で、これはほぼ予想通りの展開といえる。
しかし、テレビでの報道は感染者数が1万人の大台に乗ったとか、先週から1週間で2倍に「急速に」感染が拡がっているなどと言っている。「急速」ではない、「感染が始まってから同じペースで」が正しい。そして、こういうときは、連日報道されている凄惨な他国との感染速度の違いにも言及しないことには、この数字の意味がわからない。
また1週間で2倍の感染速度は、感染が見つかった当初から、自粛をしてからもずっと変わっていないので、自粛のやり方も改善が必要ではないかと。三密よりも大事な事があるのではないか?。
この感染曲線によれば、このまま日本だけ他国に比べ異様に遅い感染速度で拡がるなら、来週は累計二万人と言うことになる。

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# by yurikamome122 | 2020-04-19 23:59 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

令和2年4月12日(日) 新型コロナウイルス 全国の状況

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東洋経済オンラインからの引用。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

# by yurikamome122 | 2020-04-12 23:59 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

令和2年4月10日(金) 新型コロナウイルス 全国の状況

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東洋経済オンラインからの引用。
いいのかな、でも厚生労働省発表だから転載可だよね。
一応リンクも張っておきます。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

これによれば、4月10日現在での感染者数は5,246人。別途の表(https://yurikamome.exblog.jp/31012015/)によると我が国はおよそ1週間で倍になるというデータがあるので、4月17日にはおよそ1万人になっていると言うことだね。

# by yurikamome122 | 2020-04-10 23:59 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ブロムシュテット指揮LGOのブルックナー、ベートーヴェン全集

ブロムシュテット指揮LGOのブルックナー、ベートーヴェン全集_c0021859_15363592.jpgブロムシュテット指揮LGOのブルックナー、ベートーヴェン全集_c0021859_15375714.jpg ブロムシュテットというと、私個人的には旧東ドイツ、ドレスデンでの録音が刷り込みになっていて、オーケストラの響きを十二分に生かした、さも演奏が、響きもフレージングも、と言うか呼吸そのものまで指揮者とオケが一つの生き物になったかのような、合奏力なんてものを超越したような、こんな響きをする一つの楽器のようなオケとの一体感が素晴らしい、そんな印象を持っていた。そしてドレスデンからサンフランシスコへ行って、例えばニールセンのような曲を、R・シュトラウスを、スペクタキュラーに聴かせ上手な指揮者に変貌した。ドレスデンとサンフランシスコでほぼ同じ頃に録音された「ドン・ファン」など、オケの違い以上に聴かせようとする世界がまるで違うのには、ドレスデン時代の延長を期待した私には戸惑った。でも、サンフランシスコとちょうど昭和が終わり、平成が始まったその時にチクルスをやっていたニールセンは爽やかさと雄弁なスケールに聴き惚れて、とうとう全集をそろえてしまった。
 そしてそれから20年近くたってのブルックナーに30年くらいたってのこのベートーヴェン、旧東ドイツのトップオーケストラだったゲヴァントハウス管弦楽団との演奏は、あの頃の香りや懐かしいクセなどは健在ながら、もはやドレスデン時代のブロムシュテットとは全く一線を画している、と思う。
 瑞々しい響きの中に優美で伝統と気品を感じる優雅な、響きに包まれるだけで幸せに浸れるドレスデンの演奏に比べて、このゲヴァントハウスの演奏は、シンプルかつ直線的で骨太で明るく開放的なドイツ的なモダニズムを、響きよりも構成を、装飾より堅牢さを求めているような気がする。そしてそれは、もちろんこのオーケストラの伝統を信頼していることは、ゲヴァントハウス管弦楽団で再録音されたブルックナーの9番の演奏の世界の違いから聴き取れる気がする。
 そしてこの演奏の次に、私がブロムシュテットに期待したいのは、この路線の演奏で是非、メンデルスゾーン全集をメンデルスゾーンゆかりのゲヴァントハウス管弦楽団と共に残してほしい。
 そして、本当はドレスデン時代のあの頃のブロムシュテットには、ゼンパーオパーではなく、ルカ教会の録音でドレスデンのシュターツカペレとシューマン全集を残してほしかった。
 ここのところの自粛「要請」は、我が民族の民度の高さを示し、「要請」したのにまるで自粛「命令」があったかのような街の景色でありまして、と言う失言をあえてさせていただき、本当はミヨーの「屋根の上の牝牛」でも取り上げようかと思ったけど、このままでは件の感染症よりもその他での死者が多くなりそうな様々あまりの深刻さに、そんなおふざけとも誤解されそうなものはやめにしました。写真は、そう感じる金曜の午後の真っ昼間の横浜の目抜き通りである本町通り。
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# by yurikamome122 | 2020-04-10 15:31 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

R・シュトラウス 「変容」 カラヤン指揮、ベルリン・フィルで

R・シュトラウス 「変容」 カラヤン指揮、ベルリン・フィルで_c0021859_82958.jpgこの現状の中、一昨日、昨日と春爛漫に感謝する音楽を聴きながら、気分を盛り上げたけど、この写真は2020年04月05日(日)、午後7時半の東横線・みなとみらい線横浜駅の風景。これはいけないと思った。普段は賑わっているこの時間、講義終了後、食事をしようと店を探しても多くの店はシャッターが閉まっており、普段賑わうはずの日曜日の宵の口のホームで電車を待つのは私と駅員だけ。これは一体何なのかと、311の翌日を思い出してしまった。あの日、我がオーケストラの神奈川フィルの定期演奏会決行の発表に、普段は賑わうはずの土曜日のお昼頃、誰も歩いていない、シャッターの閉まったクィーンズスクエアをみなとみらいホールに向かって歩く中、あのときの忘れもしない絶望感に近いものがある。でも、あの時はまだ身をもって体験した揺れと大津波の映像のような具体性があった。でも今回はどうなのだろう。
そんなことを思うと、あの日の定期演奏会で演奏されたマーラーの6番ではなく、作曲者が敗戦の絶望にインスパイアされたこの「変容」が聴きたくなった。悲しみと絶望がうねるようなこの曲のこの演奏、花粉での涙目がちょっと出てくるものが多いきがする。
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# by yurikamome122 | 2020-04-05 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

レハール作曲、「舞踏会のシレーヌたち」をガーディナー指揮のウィーン・フィルで

レハール作曲、「舞踏会のシレーヌたち」をガーディナー指揮のウィーン・フィルで_c0021859_7495916.jpg
今朝も春爛漫ののどかな土曜日の朝。山口百恵の「しなやかに歌って」的な曲ではレハールの「メリーウィドウのワルツ」なのだけど、若干手を入れて(誰が入れたのかは知らないけど)「舞踏会のシレーヌたち」と言うタイトルになっている。ウィーン・フィルがこの曲を演奏するのは期待するけど、指揮がガーディナーというの、よく読まず買ったのだけど、よく読んで、ガーディナー指揮というのをわかっていたら買わなかったと思う、買ってから聴くまでは後悔したから。でも予想に反してこれはよかった。妖艶な色気は控えめで若々しい、はち切れるようなピチピチした王女様のようなシレーヌたちでありました。
今日は久々に講義、施工3回目。模試も迫る中この新型コロナ禍は痛いなぁ。大丈夫かなぁ。
写真は今朝の山下公園。
レハール作曲、「舞踏会のシレーヌたち」をガーディナー指揮のウィーン・フィルで_c0021859_7462758.jpg

# by yurikamome122 | 2020-04-04 07:50 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

サン=サーンス作曲、ピアノ三重奏曲第1番をシーシリアン三重奏団で

サン=サーンス作曲、ピアノ三重奏曲第1番をシーシリアン三重奏団で_c0021859_18441032.gifサン=サーンスというと、個人的印象は燦々と地中海の日差しが、時折雲により遮られながら降り注ぐ大理石の宮殿のような、つまり、時代遅れな正しさのようなものをなぜか感じたりする、ぶっちゃけ正しすぎてつまらないのだけど、でもこの曲は、時折(失礼‼)感銘深い曲を作るサン=サーンスのその時折の曲。
この曲、オシャレでありながら、桜の花びらが散り、若葉が芽吹く春の日差しの中に感じる活力の中に、置いてきた過去の思い出がちょっと切なくなるような、キャンディーズの「微笑みがえし」のような曲でありました。

新型コロナウイルス禍により本日予定されていた某企業の社員研修は中止となり、今日もお金が入らない日になってしまったのは残念。
そんなわけで、本業で依頼を受けたスピーカーのネットワークのパーツレイアウトをして、パーツの発注。20000Hzの18dB/octと言うもの。スーパーツィーター用のHPFなワケだけど、この場合、コイルは小さすぎて市販品がないので自作。オススメは空芯ではなく鉄心入りなのだが、どうやって作るか。もう見積もりはしているので、予算内でいい結果を探すのも楽しみだったりする。
サン=サーンス作曲、ピアノ三重奏曲第1番をシーシリアン三重奏団で_c0021859_18453496.jpg


# by yurikamome122 | 2020-04-03 18:47 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ザンデルリンクのチャイコフスキー作曲、交響曲第4番

ザンデルリンクのチャイコフスキー作曲、交響曲第4番_c0021859_18075639.jpg
旧東ドイツのベルリン交響楽団との70年代後半の録音。スタジオはイエス・キリスト教会だったはず。DENONレーベルのPCM録音だった。
冒頭の暗い響きのファンファーレ、そして重心の低い響きには愛憎が蠢くいかにもロシアの音楽だと感じる。地味に感じる演奏だけど、後味はなぜか心に響く演奏でありました。
ちなみに、今日デジタル・レコーディングと言われている言葉が一般的になったのは、デジタルでレコーディングと言えばPCMしか実用化されていない時代、DENONがPCMを商標登録してしまったため、他者が使えなくなったと言う経緯だったと。まぁ、今日ではDSD等もあったりするわけだが、それはともかく、音が固いのは機器のノイズ対策が万全ではなかった証左かと。

久々のブログアップは、初めてアップするのかと思うくらい使い方を忘れている。10年以上1日も欠かさず毎日アップしていたのに、その使い方をほとんど忘れているというのは、「エビングハウスの云々」という長期記憶の話は、絶対忘れないと言うことではないというわけだな。
この「ちゃい4」も、高3の大学推薦が決まった12月の末頃からほぼ毎日聞いていた演奏なのだが、今聴くと初めて聴くように新鮮だし、また感銘深い名演であった。こんな演奏を捨てていたように忘れていた私は一体何をやっていたのだろう。

# by yurikamome122 | 2020-04-02 18:14 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

明後日が参議院選挙で、今日「カルミナ・ブラーナ」を聴く意味

明後日が参議院選挙で、今日「カルミナ・ブラーナ」を聴く意味_c0021859_1833189.jpg  11世紀から13世紀頃に成立したと考えられている「カルミナ・ブラーナ」が発見されたのは19世紀初めの1803年、と言うことはモーツァルトの死後10年以上が過ぎて、ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた翌年、交響曲第2番の年。
 がしかし、出版されたのはそれから50年近く経った1847年。中国がアヘン戦争や香港割譲、そしてイギリスがアヘンを中国に売りつけたお金のマネーロンダリングのためにHSBCが設立されたのもこの頃。オルフの生まれる50年くらい前と言う時代。
 ところで、この「カルミナ・ブラーナ」が成立したと言われる11世紀から13世紀という時代は、実はワーグナーの「ニーベルングの指環」の元ネタである「ニーベルンゲンの詩」や「サガ」などの成立とほぼ時を同じくする。
 で、イスラム世界ではセルジューク・トルコが全盛、キリスト教世界のヨーロッパでは東西ローマ帝国、神聖ローマ帝国の時代。十字軍の遠征が始まり、戦争や交易で国境を越えた交流で異文化との交わりと進化が進みつつあった。そして、我が国では平安時代から鎌倉時代頃となる。この時代、洋の東西を問わず黎明期だった。

 カール=オルフは1895年、ドイツ帝国のミュンヘンで生まれた。フランスはと言えばフランス革命のあとの幾度かの王政復古のあとの第三共和政、イギリス、イタリアは王国成立という古い枠組みの中での世界は自国利益追求、覇権主義まっただ中、イスラム世界ではオスマン・トルコの衰退から滅亡への道を進んでいて、つまり、現在の中東の混沌の根っこが張り始めてまさに芽吹こうとしていた時代。
 アジアを見ればと言うと、中国で清朝が国内混乱で衰退し、ヨーロッパ列強によりアヘン漬けで蝕まれつつあり、オルフが生まれたその年は日清戦争が終結し、朝鮮独立、世界は各々勝手に覇権を繰り広げていた。
 そんな世界情勢の中で、オルフがこの曲を作曲した。案外実は、現在の不安定な世界情勢の「そもそも」がこの時代だったから。

 そんなオルフは、19世紀末に誕生したとは言え、作曲家としては20世紀の人。ヨーロッパの音楽界では、その頃の世界情勢のように行き詰まりと混沌の時代に入ってしまった。
 たとえば、交響曲の父ハイドンなどがエステルハージ家で(当時は大編成と言われていた)20人前後の交響曲を作っていたのが、19世紀末になるとマーラーはその500倍の人数の「1000人の交響曲」を書いてしまい、また、ワーグナーが4日もかかるオペラを作り、調性は崩壊寸前にいたり、音楽の枠組みに関して「すべては18,9世紀に使い果たされてしまった」(オルフ談)わけで、それが11世紀から13世紀頃に成立したと考えられている「カルミナ・ブラーナ」を採用してこの曲を作った、つまりその状況への批判から発したものであったようだ。

 一般的なこの曲のプロフィールは、土俗的なリズムが繰り返される粗野だけど力強く、シンプルで誰にとっても親しみやすい音楽に乗せて、春を主題とする歌、酒場での歌(テノールが、焼かれる白鳥の哀れさを語ったかと思うと、バリトンが大修道院の院長に扮して賭け事を賛美、と思ったら今度は合唱が、老いも若きも皆が飲めと大騒ぎ)、そして徐々に盛り上がる(性)愛の悦びの歌の3部を構成した24 曲で、形而上性などみじんもない、ただ感性と本能に訴える音楽となっている。
 そんな曲の始めと終わりには、「おお、フォルトゥーナ」と破壊的な絶叫から始まり、それらの3つが我々人類にとって不変の運命であり、「運命の女神フォルトゥーナ」が回す車輪に操られているに過ぎない、という叫びが置かれていて曲全体を挟み込む。
 そして、曲の歌詞はその多くが中世ラテン語なのだけど、古い時代のフランス語やドイツ語なども用いられ、その粗野で素朴なリズムの繰り返しで呪術的な感興が呼び起こされ、そして徐々に増幅されるという仕掛け。
 なんてことはたぶん他でも書いてると思う。

 ところで、この曲が初演された1937年はと言えば、第1次世界大戦はもう既に終わっていて、その戦後処理でさんざんな目に遭っているドイツでは世界恐慌がそれに追い打ちをかけ、猛烈な飢えと失業でたまりかねたドイツに、彗星のように現れて、たった4年で瞬く間に、まさに神のように当時世界第2位の経済大国にまで押し上げ、ドイツの暮らしと経済を立て直したヒトラーが、圧倒的な国民の信頼と支持で、全く民主的に全国家的な熱狂の中で独裁体制を敷いて3年前。その2年後、初演の前年に「前畑ガンバレ」連呼のベルリン・オリンピック。そしてショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」の初演。
 そして我が国では、やはり猛烈なデフレ不況の中、まさに今のアベノミクス下の黒田日銀がやっているお札をガンガン刷お金をばらまく大規模な金融緩和で、デフレ経済を立て直した高橋是清が2・26事件で命を落とし、この曲が初演された翌1937年、近衛内閣成立、盧溝橋事件、そして中国に侵攻、首都南京を占領。日本はイタリア、ドイツと三国同盟を結んだ。(この時の中国は、間違えてはいけませんが、今の台湾の「中華民国」で、決して「中華人民共和国」ではありません)
 そして翌年の1938年に日本は第1次世界大戦の手痛い失敗を繰り返さないようにその教訓からの人類の知恵であった、(日本自らも参画して)組織された国際連盟を、満州事変の件で、その後の満州国との関わり合いに関しての意見の違いから脱退してしまう。その後はご承知の通り、軍部の独走が進み戦争へと突き進んでいったのでした。

 我々人類は「運命の女神フォルトゥーナ」が回す車輪に操られているに過ぎないのかも知れない。
 いや、あの頃の日本と、世界と、何が同じで何が違うのかよく考えて、まさに今、この曲を聴くのは必要なのかも知れない。


 やはり、ヨッフムの鉄板の演奏で。
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# by yurikamome122 | 2016-07-08 18:34 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

メリー・クリスマス モーツァルト「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」K.158a」

メリー・クリスマス モーツァルト「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」K.158a」_c0021859_15384614.jpg キリスト生誕と聖母マリアをよろこぶこの曲は、モーツァルトが17歳の時にミラノで初演されて、きっとスケートの羽生弓弦のようなアッサリと凄いことをやっておきながら純粋で、屈託のなさを残すような年齢で作曲された曲なんだと思う。
 その後に演奏旅行で母を亡くし、あのヴァイオリンソナタ28番を書き、ピアノソナタ第8番を書き、やはり純粋な悲しみをまるで幼児の顔が泣き顔に崩れるようにアッサリと,それも誰もが最高に胸を締め付けるように書いて、そしてその翌年再びこの曲を改作してザルツブルグで発表している。神への感謝と最高の賛美を現して。
 人生の様々な困難や苦痛や悲しみ全てがモーツァルト自身へのかけがえのないプレゼントで、まるでモーツァルト自身そう自覚していたかのようにも感じる。
 そんな目に遭わずにすんでいるここ日本で、メリー・クリスマス。


(歌)
踊れ、喜べ、幸いな魂よ、
祝福された魂よ。
美しい歌を、繰り返し
みんなで天を讃えよう

(語り)
雲や嵐はまぶしい日の光で消え去り
ふいに穏やかな平和で正義の日々がやって来た。

(歌)
みたされていた闇夜から
喜びに満ちた夜明けがやってきた
立ち上がれ、今まで恐れていた人々よ
たくさんの百合に花を抱えて
幸せに満ちた夜明けに進もう

穢れなき乙女たちの栄光の魂(であるマリア様)
悩める心に慰めと平和を与えてください。
気持をなぐさめてください。

アレルヤ


(Aria)
Exsultate,jubilate
o vos animae beatae.
dulcia cantica canendo
cantui vestro respondendo
respondendo psallant aethera cum me.

(Recitativo)
Fulget amica dies, iam fugere
et nubila et procellae;
exortus est iustis
inexspectata quies.
Undique obscura regnabat nox,
surgite tandem laeti,
qui timuistis adhuc,
et iucundi aurorae fortunatae
frondes dextera plena
et lilia date.

(Aria)
Tu virginum corona,
tu nobis pacem dona.
Tu consolare affectus,
unde suspirat cor.

Alleluia.

ユリア・レジネヴァの歌で


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# by yurikamome122 | 2015-12-24 14:57 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(1)

「第9」の後の祭り② 演奏の伝統に関して、ベートーヴェン、交響曲第9番(ワーグナーによるピアノ版)など

「第9」の後の祭り② 演奏の伝統に関して、ベートーヴェン、交響曲第9番(ワーグナーによるピアノ版)など_c0021859_6125917.gif 実は「第9」の初演はベートーヴェン自身耳が聞こえていないので、あの演奏が正しかったのか初演時の伝統などアテにならない。実は初演から約2週間後の再演の失敗はこの辺にもあるのではないかと勘ぐりたくなるわけで、今日の「第9」の演奏の伝統をひもとく。

 パリの音楽院管弦楽団の創設者で初代指揮者、フランソワ=アントア-ヌ・アブネックはかなりのベートーヴェン・ヲタクであったらしく、私の知っているあのクリュイタンスのパリ音楽院管弦楽団で(と言うかパリで)ベートーヴェンばかり演奏しまくり、彼がいないと今日のベートーヴェン像のでき方が違ったものになったかも知れない。
 彼は「第9」を徹底研究した、3年間も。そして何度も何度も何年にもわたりそれをひたすら披露し続けた。
 そのアブネックの「第9」を聴いて感銘したのがワーグナーで、ワーグナーはその「第9」のスコアが高くて買えなかったので図書館に通い詰め1831年、ピアノ編曲版を完成させる。そしてこの曲に関する論文も発表し、今日「第9」の演奏の基本になるのはこの論文によるところが大きいのだそうだ。
 先の理由でアテにならない初演時の伝統をなんとか考証し検証し、できうる限り意図をあの殴り書きスコアからすくい上げ。それをアブネックが長年丹念に研究し、また他の人もいくつかの試みをして、そしてワーグナーによりやっと作品本来に相応しいかたちが日の目を見たと言うことらしい、そう言う専門家もいる。
 ワーグナーは後にバイロイトの歌劇場で演奏する自身のオペラ以外はこのベートーヴェンの「第9」以外は許さなかった。ワーグナーはアブネックのおかげで「第9」ヲタクになった。
 そして今日の「第9」演奏の伝統がここに確立されたといって過言ではないワケです。

 ところで、ワーグナーも作ったというピアノ編曲版。最初のものは誰なのかはよく知らないけども、ベートーヴェンが没する1年前の1826年に17才のメンデルスゾーンが演奏した記録がある。その後に1829年にベートーヴェンの高弟で教則本で高名なツェルニーが出版しているし、翌30年にはシューマンも試みている。
 そしてこのワーグナー、先に書いたとおり翌年31年にやはりメンデルスゾーンと同じ17才で「第9」のアレンジをするけど彼はピアノがそう上手ではなかった。時々無理な音があった。またそしてベートーヴェンの雰囲気によく似た交響曲を作るけどもイマイチパッとしなかった、若いし。
 ワーグナーの岳父でありながら2最年長の伝説のピアノの名手、フランツ・リストはやはりアブネックの演奏に感銘し、この曲を2台のピアノ版にアレンジするのはワーグナーのアレンジから20年後の1851年のことであったのでした。
 ワーグナー版は小川典子さんのピアノと鈴木雅明とバッハ・コレギウム合唱団ほかの演奏がCDで聴ける。3楽章なんてやはりベートーヴェンのピアノ・ソナタのような澄んだ心が聴けるし、4楽章、スッキリと澄み渡った真っ新のこの曲のイメージが胸にしみてきたし、私にはこの演奏を聴くにつけ、ピリオド奏法の演奏よりも培った伝統の上の演奏の方がこの世界に近いような気がする。

# by yurikamome122 | 2015-12-21 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

「第9」の後の祭り① 後世への影響、たとえばシューベルト、交響曲第8番「グレート」の例

「第9」の後の祭り① 後世への影響、たとえばシューベルト、交響曲第8番「グレート」の例_c0021859_6494429.gif 「第9」はベートーヴェンが亡くなったあともその騒動は終わらない。先ずはシューベルト。
 シューベルトは1797年、ベートーヴェンが25歳の時にウィーンで生まれている。どこかですれ違っていたかも知れないこの二人は、恐らくは言葉を交わしたことがない。
 シューベルトが「未完成」交響曲を書いた1822年、25歳のシューベルトは作品10のピアノ連弾曲を、ベートーヴェンへの献辞を添えて出版した。そしてその作品を持ってベートーヴェンを訪ねたが留守で会えなかった。恐らくはこれがたった一度の会話の機会だったが、運命はそれを許さなかった。ベートーヴェンが「第9」を初演する2年前のこと。
 その後の「第9」の初演に立ち会っていたかどうかはわからないけれども、恐らくは可能性がある。というのも1824年の「第9」の初演の翌年完成の交響曲第8番「グレート」(この曲は私にはシューベルトの「第9」であった。シューベルト作曲、交響曲第9番と書いてあった。その後に「第7番」(ブロムシュテット盤)などがあり、今では「第8番」と言うことになっている)の第4楽章にベートーヴェンの「第9」のオマージュが散りばめてあるといわれている。(貼り付けたyoutubeの音源の49分26秒くらいから)

 そんなことを思いながらノリントンの演奏を聴いてみると少し田舎の木の匂いの薫る演奏でありました。
ベームとウィーン・フィル、ブロムシュテットとドレスデンのシュターツカペレの味わいも捨てがたいけど、やっぱりベートーヴェンの後はこういう方がしっくり来るのかも知れない。

 後に病床のベートーヴェンはシューベルトの作品に触れることとなりベートーヴェンはシューベルトに賛辞を送る。
 シューベルトは死の数日前のベートーヴェンを見舞っている。そしてベートーヴェンの葬儀で柩を取り囲んで進む36 人の炬火を持つうちの一人だった。
 そしてその翌年、シューベルトもこの世を去る。

 この後、様々な作曲家が自作の中にオマージュとして、また手法を取り入れてゆくのは、たとえば音楽では有名どころではブラームスの交響曲第1番など、手法としてはメンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」やマーラーの交響曲第2番「復活」なんてそうかも知れないし、ブルックナーの交響曲の初めの「ブルックナー開始」と言われる「原始霧」とか、あとはマーラーの1番も、その他前楽章の引用とかその否定とかはベルリオーズなんて結構やってる。映画ではスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」などもう後世への影響は多大なものがあるというわけ。そして、とうとう国歌にまでなったり、挙げたらたくさんでそろそろこの辺で。
 

# by yurikamome122 | 2015-12-20 08:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後④ ベートーヴェン作曲、カノン:神父様、私は病気ですWoO.178

ベートーヴェン「第9」その後④ ベートーヴェン作曲、カノン:神父様、私は病気ですWoO.178_c0021859_01413100.gif 死の前年、1826年の作品。
 病床のベートーヴェンはもう自信をなくして気弱になってこんな曲を作ったわけではないように見える日々を過ごしていたけど、実際はどうなのか。
 この曲はひたすらと言うよりたった45秒くらいの時間にア・カペラでタイトルの歌詞を歌うというもの。
 同じ時期に「そうあらねばならぬ」WoO.196や「これがその作品だ」WoO.197、アンダンテ・マエストーソ(「さらばピアノよ」)ハ長調 WoO 62などを作っている。
 あの第16弦楽四重奏曲を作った作曲者がなんだかサラリと作った曲のように感じるけどもやはりそれなりの苦痛や明鏡止水の心境を感じたりもする。
 どうぞ一度お聴きあれ。
 ベルリン・ソロイスツの演奏で。

# by yurikamome122 | 2015-12-19 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後③ ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調op.135

ベートーヴェン「第9」その後③ ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調op.135_c0021859_1910571.jpg 死の前年、彼の作った最期のまとまった作品。
最終楽章に「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉が書き込まれている。
 ベートーヴェンは後期の弦楽四重奏では多くの楽章があるものが多きのだけどこれは4楽章に戻っている。
 まるでエレジーのような第3楽章は全く不思議な諦観にあふれているわけです。
 ベートーヴェンは案外後世に自分をどう聴かせるかというコーディネートには長けていたのかも知れない。
 ともかくなにをも語ることが不謹慎であろうと思われるので、そう言う曲だという事のみで、やはりベルリン弦楽四重奏団の演奏で。

# by yurikamome122 | 2015-12-18 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後② ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132

ベートーヴェン「第9」その後② ベートーヴェン作曲、弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132_c0021859_3583498.jpg  ベートーヴェンは作曲者自身の人生が音楽に深く関わるようになった最初の偉大な作曲家だと言うことになっているらしい。
 そんなわけで、彼の歩んできた人生の苦難やら恋愛やらなにやらが彼の作風に大きな影響をしているわけで、1813年あたりからのスランプ以降の作品は特に後期に入り、室内楽指向が強まり、その作品群はそれこそ彼でなくてはあり得ないようなと言うところからも超越して諦観と浄化を経た幻想的で透明な響きと透明な心とどことなく宗教的な様相まで呈してくると言うことだと言う指摘もある。
 そんな中でも「ミサ・ソレムニス」と「第9」はその中でも少し様相が違う。それを指摘する専門家もいるし、聴けば私もそう思う。
 がしかし、この2作品のあと、他はやはり最後のピアノ・ソナタの世界がまだ戻ってきて、特にこの1825年作の弦楽四重奏曲第15番は重篤な状況から癒えたと言う(あとから付けたらしい)長大な第3楽章、静かな静かな神への讃美、感謝と喜びは「運命」などとはちょっと違う後期のベートーヴェンの、決して大声で語らなくても深く言葉を心に刻み込ませる老人の語り口の深みだと思う。
 この曲は、最終楽章には合体によりボツになった第9交響曲の器楽版で使う予定だった主題が転用されているらしい。
 演奏は、やっり私にはカール・ズスケがいた時代のベルリン弦楽四重奏団の毅然としたダンディズムと優しさを感じる演奏が一番しっくり来るわけです。

# by yurikamome122 | 2015-12-17 11:08 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9」その後① 6つのパガテルOp.126をブレンデルで

ベートーヴェン「第9」その後① 6つのパガテルOp.126をブレンデルで_c0021859_18421797.jpg 「第9」に続き完成したのがこれ、ベートーヴェン最後のピアノ曲。
 6つの小品集とはいえ通して演奏することを作曲者は希望している。まるでピアノ・ソナタのように。
 晩年のベートーヴェンの奥深い静かな洞窟の中の泉に手ですくった水のようにまるでカミソリのように手を切りそうに冷たいその水の、すくった手が鮮やかに見える透明感とサラリと零れてゆく無常感、枯淡の境地が聴ける。
 演奏はブレンデルのが一番しっくり来る気がする。
 この作品の第4番ロ短調Prestoはかの「第9」と旋律的輪郭の近似があると言われている。
 1824年5月7日の「第9」の初演の大成功は様々なところで語られているので詳細は記さない。
 その大成功のあと、約2週間後の5月23日に会場をもっと大きくして行われた「第9」再演は聴衆が集まらず失敗をしてベートーヴェンを慌てさせる。初演に集まった聴衆はベートーヴェンを久々に見ようと集まったのであって、あの音楽は結局当時の聴衆には受け入れられるものではなかったようだ。
 その後に保養地へ出掛け弦楽四重奏曲第12番と第15番を完成させている。
 「第9」はというと、その後の経過は、第4楽章を器楽のみのものに書き換えてみようかとか考え始め、でも体調不良のため行けなかったロンドンへほぼこのままの形で送付、1825年3月21日ロンドン初演も理解されなかった。同年4月1日3楽章を省略してフランクフルト初演。5月23日には2楽章を省略し3楽章もカット、4楽章の「おお友よ」の箇所を一部変更してアーヘンの初演。
 弦楽四重奏曲の最後の3曲(第13番、第14番、第16番)を書きながら、大フーガをいじり、「第9」の献呈先をフェルディナント・リースからロシア皇帝アレクサンドル1世にしようとするが既に亡くなり、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に贈ろうとする。
 死の前年の1826年3月2日に1から3楽章のみでライプツィヒ初演。
 完全な形で演奏されなかったこの曲は、聴衆にも演奏者にも理解されなかった。
 同年9月末にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈。11月13日にベルリンで弱冠17才のメンデルスゾーンが音楽家たちの予習のためにピアノ演奏。27日にベルリン初演は完全な形で行われた。
 その後に12月20日にブレーメンで27日にマルデブルクで、翌年ベートーヴェンの死の年の1827年2月20日にはシュテッティン初演、この時にメンデルスゾーンが第1ヴァイオリン奏者として加わっていた。
 そして死の月、3月の9日プラハ初演、15日ウィーン再演となり、26日にベートーヴェンはこの世を去った。

# by yurikamome122 | 2015-12-16 09:00 | 今日の1曲 | Trackback(1) | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」番外編、「第9」と双子の幻の「交響曲第10番」

ベートーヴェン「第9への道」番外編、「第9」と双子の幻の「交響曲第10番」_c0021859_13453131.jpg そもそも「第9」はロンドン行きのためのみならず、ベートーベン自身の作曲の特性として並行して2つの交響曲を書き進めるというのもあって、第10番のスケッチらしきものは1822年あたりから見えてきているけども、1822年の暮れにロンドンのフィルハーモニー協会から新しい交響曲の作曲を委嘱される。ニ短調の交響曲とシラーの頌歌「歓喜に寄せて」に基づく「ドイツ交響曲」として並行して作曲された。
 そして作曲を進めながら締め切りに間に合わなくなってこの2曲を合体させて現在の「第9」の形になったというのは金子建志さんがある本で書いている。、
 で、合体する前の構想はというのは井戸端会議のおばちゃん的には大変興味があり、そして他人の寝室をのぞくような下品なことであるというのも承知の上で、ガーディナーの言うところのドキュメントとしての研究成果でもよいからぜひ触れてみたくなるのが人情であって、かくしてイギリスの作曲家でオルガニスト、音楽学者であり、ベートーヴェンの研究者であるところのバリー・クーパー博士が1990年に補筆完成させた。
 いつの間にか手元には3種類の録音があるけれども、これまた不思議なことに全曲完成されているはずなのに揃って第1楽章しか録音していない。
 駅のKIOSKでなぜか文庫本と一緒に1000円で投げ売りされていたウイン・モリス指揮のものを再び聴いてみたが、ほかのウエラー盤や時々芸大フィルに登場するボストック盤よりも立派な響きがするのだけどその演奏は、というか曲もユルい。
 メンデルスゾーンの出来損ないのようなこの音楽からはとても晩年のベートーヴェンの境地からはほど遠いと思うし、話の種に一度は聴いてもいいけれどと言うたぐいのもの

# by yurikamome122 | 2015-12-15 07:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」最終回 ベートーヴェン作曲、交響曲第9番Op.125を「バイロイトの第9」で

ベートーヴェン「第9への道」最終回 ベートーヴェン作曲、交響曲第9番Op.125を「バイロイトの第9」で_c0021859_23244047.jpg 今まで約半月にわたって10代のベートーヴェンがずっと温め続けてきたこのテーマと、この曲のためにあったような彼の人生をかいつまんでみた。
 そして、この意志の強さというか、若い頃から揺るがなかった彼の理想を晩年やっと具現した、その強靱さとスケールは、個人的にはやはりクレンペラーの晩年の演奏を第一にこのシリーズの終わりに聴いてみたくなるのだけれども、戦後に復帰したフルトヴェングラーの演奏は、やはり同様に大いに興味をかき立てる存在であった。
 改めて聴いてみて、この演奏の前半の3楽章、特に第3楽章は感銘深かった。第4楽章はドラマだと思う。バイロイト祝祭歌劇場の熱気と恐らくは大編成なのだろう合唱団のスケール感とオーケストラの響きと歌手たちの熱演と。
 聴いているとこのドラマティックで祝典的な高揚感は、この姿こそこの曲にはふさわしいのかも知れない。

# by yurikamome122 | 2015-12-14 23:25 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第13回 ミサ・ソレムニスOp.123

ベートーヴェン「第9への道」第13回 ミサ・ソレムニスOp.123_c0021859_6495228.jpg 「第9」への道の最後は「第9」初演時に一緒に初演された「ミサ・ソレムニス」。
 ベートーヴェンのあまり多くない宗教曲の一つで、しかも「実際にミサの式典中に演奏すると儀式とこのミサ曲との調和が殆ど見られない」ため実際のミサで演奏されることはほとんどないのはWikiにも書いてある。「クレド」以降が「歌詞の取り扱い方が伝統的なそれとかなり異なっている」ということらしい。
 クレドのその部分、「ミサ曲のテキストと『ミサ・ソレムニス』」という礒山雅さんの文章にもあるとおり、多くの作曲家が精霊への信仰告白をするところを印象深く作っているのに対し、ベートーヴェンはアッサリ早口で通り過ぎてしまう。
 そしてクレドの動機の力強い再現、その後「Et vitam venturi saecli. Amen.」(来るべき世の命を信ず)から静かに変ロ長調のフーガが開始されるあたりはベートーヴェンの真骨頂で、圧倒的な盛り上がりのあとあ「アーメン」と続く。
 そしてもう一つ、アニュス・デイの 「Dona nobis pacem」(私たちに平和(平安)を与えて下さい)で、再びWikiによれば「トランペットとティンパニによる、戦争を暗示するといわれる不穏な部分が激しく奏される。その後またアレグレット・ヴィヴァーチェに戻り、平和への祈り『ドナ』の部分となり『pacem』が繰り返される」ということで、ここもこの曲の中で強調されている。
 あのころヨーロッパは戦争ばかりやっていた、そんな事への批判と抗議もこの曲に込められていたようにも感じる。
 「心より出て、再び心に帰らんことを」と書かれたこの曲、「第9」の習作という人は少なからずいて、たとえば「グローリア」と「クレド」はソナタ形式になっていると言うことらしく、そのあたりも「第9」と符合するということらしい。
 そして初演、「Et vitam venturi saecli. Amen.」(来るべき世の命を信ず)から「Dona nobis pacem」(私たちに平和(平安)を与えて下さい)で混乱を乗り越え、そして「第9」あのシラーの詩の第4楽章へ続くという大きなプログラムであったわけでした。
 演奏は、ジンマン指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団他のものを。こう書いてきたことが一番音になっている演奏に思うので。
 そしてその後やはりクレンペラーを聴いた。圧倒的。

# by yurikamome122 | 2015-12-14 07:30 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第12回 盟友の歌「すべてのよき時に」 Op. 122

ベートーヴェン「第9への道」第12回 盟友の歌「すべてのよき時に」 Op. 122_c0021859_17543847.gif 「第9」の前には「ミサ・ソレムニス」があるわけで、この2曲の関係はいろいろと興味深いけど(変ホ長調和音の「神性」象徴など)、素人の私には興味深いだけでその一歩先にはなかなか進めないのが残念。
 で、単純に第4楽章のメロディーだけよく似た曲には、直近では1823年の「盟友の歌」がある。
 内容は残念ながら自分の持っているコッホ指揮、ベルリン放送交響楽団他のCDが輸入盤で持っているためよくわからない。
 これはもう実際にお聴きになり試されたし。


# by yurikamome122 | 2015-12-13 06:00 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第11回 ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110

ベートーヴェン「第9への道」第11回 ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110_c0021859_6191845.gif 「第9」の2年前、1822年の作品。ここまでくるともう後期の深遠さが段違いになってくる。
 第3楽章の宇宙観はもう吸い込まれてゆくしかないのだけど、この楽章こそ「第9」へのゴールが近い事を予感させるわけです。
 PTNAの解説をすっかり引用すると以下の通り。

 第3楽章 序奏 4分の4拍子/フーガ 変イ長調 8分の6拍子、前楽章の終結和音がドミナントの役割を果たし、変ロ短調で開始されるAdagioの序奏は、レティタティーヴォにつづいて変イ短調の「嘆きの歌Klagender Gesang」となる。
 極めて声楽的な序奏に対し、主部のフーガは古い声楽様式ではなく、きわめて器楽的な様式による自由な3声フーガである。
 中間部(第114小節~)で「嘆きの歌」がト短調で回帰し、これを挟んだ後半はト長調となって主題の反行形によってフーガが築かれる。間もなくト短調へ転じ、そこから徐々に対位法的な様式から離れ、主調の変イ長調へ戻ってフーガ主題の動機展開へと発展して楽曲を閉じる。


 この手の解説には私は明るくないのだけれども、つまり、器楽レチタティーヴォ、フーガ、緩徐楽章とフィナーレの融合、器楽的要素と声楽的要素の融合と言う3つの特徴が聴かれるわけで、これこそ。。。。。以下略。
 これももう本当に確固としたものを感じながら、それでいて澄んだ世界観が真冬の星空のようなオピッツのピアノで。

# by yurikamome122 | 2015-12-12 12:33 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第10回 歌曲「婚礼の歌」WoO.105

ベートーヴェン「第9への道」第10回 歌曲「婚礼の歌」WoO.105_c0021859_6103985.gif ベートーヴェンはいよいよロンドン行きに向けて動き始める。弟子で秘書だったフェルディナント・リースに宛て、次に冬のロンドン行きとその際に新しい交響曲を持参する旨の連絡をしている。
 そして最後のピアノ協奏曲と「ミサソレムニス」にも筆を進めていた。
そんな時に作曲されたのがこの「婚礼の歌」。テノールで導入されて後に合唱が輝かしく華々しく。
 「第9」4楽章の原型がここに現れたというわけ。
 youtubeを探したけどなかった。多くの場合結婚式にはベートーヴェンだと「第9」をやるようだ。
 ウォルフガング・マトコヴィッツ指揮でヘルマン・プライのバリトンとベルリン・ハインリヒ・シュッツ合唱団。

# by yurikamome122 | 2015-12-11 23:59 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 必ず覚えなければならない数値① 

 一級建築士を受験するに当たり、学科Ⅴ「施工」では「用語」と「数値」を押さえることは大変重要です。
 「申請届出、現場管理、地盤調査、土工事、設備工事」の範囲で、比較的出題頻度が高いもの、要注意しなければならないものを抜き出しました。

 表をクリックすれば、欠けた部分が顕れて拡大されるはずです。

1級建築士受験参考資料 学科Ⅴ「施工」 必ず覚えなければならない数値① _c0021859_9551150.jpg

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# by yurikamome122 | 2015-12-10 12:00 | おぼえがき | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第9回 オピッツでベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第 29 番 変ロ長調 Op.106

ベートーヴェン「第9への道」第9回 オピッツでベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第 29 番 変ロ長調  Op.106_c0021859_6191845.gif 「第9」は第4楽章で前3楽章の回想が置かれていて、それらを否定して新たな「平等、博愛」という価値観を分かち合おうと言っているわけで、その手法が見られる作品がこれ。
 ベートーヴェンは昨日のピアノソナタ第28番を発表した翌年の1817年頃からあまり体調が思わしくなくなってきた。保養地に行って様々な治療を試みるけどあまり効果はなかった。
 そんな時にロンドンのフィルハーモニー協会からの招待には気をよくして、夢だったロンドン進出がかなうことに期待をしたけど、その条件としてもちろん多額の報酬はあってのことだけど、2曲の大交響曲を作らなければならなかったが、なかなか手を付けなかった。それだけ体調が悪かったのかも知れない。結果、ロンドン行きは今回は見合わせることになった。
 そんな時にロンドンのブロードウッド社から新型のピアノを贈られ、創作意欲をかき立てた。作りかけだったこの第29ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」を完成させる。
 この曲は前半3楽章はそれまで彼が使っていたドイツのシュトライヒャー社製のピアノで作曲を進めたが、残りの4楽章はこのロンドンのブロードウッド社のもので作曲された。この2つのピアノは出る音域が違っていた。と言うわけで当時この曲を全4楽章通して演奏できるピアノがこの当時はなかったし、そしてなによりこの曲を演奏できるピアニストも作曲者ベートーヴェン以外はこの地上にいなかったあたりはWikiに書いてある。
 ところでこのピアノソナタはもう明らかにベートーヴェン後期の世界に入っているわけで、深みも世界も違う。特にながーい第3楽章の美しさは聴いていて困ったものだと思うくらい素晴らしいと思う。澄んだ夜空の星の輝きのようなオピッツのピアノ!!。
 そして第4楽章、このフーガの深遠な世界の前に前楽章の暗示的回想が置かれている。
 この楽章でもオピッツは澄んだ美しい響きを冷たい澄んだ夜空に輝く鋭さで演奏していて、やがてその美しさと拡がりにすっかり飲み込まれてしまうと言う演奏。
 ところで、この頃に諦めてはいないロンドンへの手みやげの(と言うか約束の)2曲の交響曲に着手。一つはニ短調の交響曲、もう一つは声楽入りの交響曲、後に「第9」となる2曲のスケッチが現れる。

# by yurikamome122 | 2015-12-10 09:31 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)

ベートーヴェン「第9への道」第8回 オピッツでピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101

ベートーヴェン「第9への道」第8回 オピッツでピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101_c0021859_6191845.gif ベートーヴェンは1813年頃からスランプだったと言われている。そう言われるくらい作品が少なかったわけだ。中期から後期への橋渡しの時期にあたっていて、彼自身の人生にも失恋、弟カールの問題、そしてウィーンのインフレによるベートーヴェンの経済状態の悪化に、更にパトロンであった人たちが彼から手を引いたり亡くなったりしてそれに追い打ちをかけると言う事態になった。彼は金策にかけずり回った。
 また前年にゲーテに会見し、お互いに才能を認め合い、内心その創作に敬意を表しながらもそこは妥協をしない一流の芸術家同士、様々なことが言われているけども、実は結構この二人はその後も交流したりしていたようだ。
 そして、スペインのヴィットリアでイギリスのウエリントン将軍がフランス軍を破ったというニュースが飛び込んで、このあたりから親交のあったメトロノームの発明者のメルツェルからこの出来事をテーマにした作品を依頼される。戦争交響曲「ヴィットリアの戦い」がこれ。これをひっさげてイギリスに進出しようという目論見だった。スランプではあったけど頼まれ仕事はそれなりにこなし続けたわけですな。
 初演はご存じの通り第7交響曲と第8交響曲とともに1813年12月8日に行われてこれは彼としては予想をしない大成功だった。
 翌月に再演をして彼は結構な収入を得て経済的にも一息つき、そうなると廻りも放っておかず、うまくいかなかったオペラ「レオノーレ」を今なら成功するといろいろな劇場から吹き込まれ、実際に大成功だった。
 ナポレオンの台頭とともに幕を開けた充実した彼の中期はナポレオンの敗北という出来事のそのあたりからベートーヴェンの新たな心境へと進んでいくわけでした。
 彼は、この後にしばらくは大作から遠ざかることになる。スランプはまだまだ続いていた。
 1816年、4月にはヤイッテレスの詩による連作歌曲集『はるかな恋人に』作品98を発表する。この曲では第1曲の旋律が終曲である第6曲の後半に回想的に再現され、そして夏に保養の出掛けたバーデンバーデンから帰ったあと、ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101を発表、ベートーヴェンの中期とは明らかに一線を画した深遠な後期への入り口に立ったこの作品、この曲も終楽章主部に入る前に第1楽章冒頭主題が再現的に回想されている。第9への道がここに新たな芽を出したわけですな。
 そしてこのソナタの終楽章展開部に見られるフーガ技法こそ晩年様式の明確なあらわれといわれ、彼はスランプを脱してゆくわけでした。
 このピアノソナタ、弟子のシンドラーに「第1楽章は理性と感情の争い、第2楽章は恋人の会話」と語ったらしいけど、この手の話はあまり信用できない。
貴族の令嬢で大変なピアノの名手、ツェルニーなどと並んでベートーベンの代理演奏をするほどの腕前だったベートーヴェンの愛弟子の一人ドロテアに贈くられた。
 彼女はエルトマン男爵と結婚。しかし夫婦仲が悪く、そのうえ愛児にも死なれ心身ともに疲れ果て実家に戻ってしまったらしい。
 ピアノソナタ28番は後期の精神性の表れと共に、傷ついた彼女を慰めるための曲でもあったのかもしれない。
 演奏はケンプで長らく聴いてきたけど、やはりオピッツで聴いてみたい。

# by yurikamome122 | 2015-12-09 15:40 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(0)