アイヴズは楽しくないと。アイヴズ作曲、交響曲第2番をMTT指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団で

アイヴズは楽しくないと。アイヴズ作曲、交響曲第2番をMTT指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団で_c0021859_10385894.jpg 数年前、ヒラリー・ハーンのリサイタルを聴いた。そこで演奏された曲の中にアイヴズのヴァイオリン・ソナタがあった。彼女の演奏するアイヴズは、彼女自身の美貌と知的な佇まいで、超絶技巧を駆使して、パッと聴くと難解に感じるアイヴズは、アイヴズの感じた時代や大自然の風景を大自然そのもののように唐突だったり冗長だったり不可解だったりしながら、でもヒラリー・ハーンの演奏はそれをスカッと鮮やかに私たちの前に拡げて見せてくれた。ヒラリー・ハーンは、知的な演奏とその所作で、まるで私たちに「アイヴズは楽しくないといけないのよ!」と言っているようだった。私も、アイヴズは楽しくないといけないと思う。

 交響曲第2番はアイヴズの入門編で取り上げられる機会も多い曲だと思うのだけど、たとえばリュドヴィク・モルロー指揮、シアトル交響楽団の演奏はライヴ録音のようで、終演後に盛大に拍手とともにブラボーと笑い声が入っている。どう?、本場アメリカ人だって楽しんでるじゃないか。
 アイヴズ自身こう言っている、「この作品は、1890年代のコネチカット州のこの近辺(ダンバリー、レッディング)の民衆の気持ちを音楽的に表現したものである。つまり田舎の民衆の音楽という訳だ。これには当時彼らが歌ったり演奏した曲がいっぱいつまっていて、そのうちの数曲をバッハの旋律と対位法的にからませるのは、粋なジョークみたいなものじゃないか、と考えた」、やっぱりジョークだって。
 この曲を初演したのがバーンスタインというのは有名な話で、アイヴズはというと、なぜか初演には立ち会わず、その放送を聴いていたそうだけど、そのときのバーンスタインの苦労は素人の私でもちょっとは感じる。というのは、あの当時のバーンスタインがマーラーにしたのと同じようなスタンスでアイヴズを演奏している。様々なところを強調して解説的に、「ここはこんなに面白いところがありますよ」、「ほら、ここ、ここ、よく聴いて」、「ここが聴き所、いいかい」みたいに。だから実際に初演に使われた楽譜がバーンスタイン自身の手の入ったものではないにしろ、その演奏解釈というものがあるのなら、「バーンスタインの解釈も、第2楽章や終楽章に致命的なカットを加えたり、アイヴズの速度記号を無視したり、最後の野次るような不協和音を引き伸ばしている」(wikipedia)わけで、それはその後にスタンダードになってしまったフシがあるのは、その時代に録音されたオーマンディーやメータも同様に引き延ばしている。
 テンポ設定も全然違う、バーンスタインもオーマンディーも結構ゆっくり、第5楽章はカットありで9分17秒のバーンスタイン、オーマンディーは10分35秒。でもヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団はなんと8分9秒。アイヴズ協会の会長のマイケル・ティルソン・トーマスはアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団との演奏ではカットなしで9分48秒。もっともMTTは途中の「藁の中の七面鳥」のメロディーが伴奏でなるノスタルジックな部分で思いっきりテンポを落としてしみじみやっているので、主部はタイミングで予想するよりも快速で進む。
 そして、「最後の野次るような不協和音」はヤルヴィもMTT もスカッと短く切り上げている。たぶんこっちが本当なんだろうと思う。
アイヴズは(ヒラリー・ハーンと征爾さんのおかげで)個人的に大好きな作曲家なんで、2番も集中的にいっぱい聴いてしまった。バーンスタインはやはり初演者の責任を十分に果たすべく、この曲のポイントを思いっきりロマンティックに誇張して教えてくれた。
 でも今この曲を聴くなら、私が「楽しかった」のはやはりヤルヴィとMTT。ヤルヴィはあの乱痴気騒ぎの第5楽章がお見事に整理されて、そのわかりやすさはまるでディズニー映画のよう。でもロマンティックで心にしみる、そしていっくら楽しいとは言え、やはりアメリカ的知性を感じるのはMTTはアメリカ人だった。

 アイヴズが音楽家の道を選ばず、保険会社の経営者として辣腕を振るいつつも、趣味で作曲を続けていたということ、作品はイェール大学在学中から40代中頃までに集中していること、またそんな経緯から、実はあまり実際に演奏することなど考えて作曲をしていなかった。だからその楽譜にはいろいろと支離滅裂なところや意味不明なところ、演奏不可能な点がある。さらには改訂癖で後世が版の問題で悩んで迷惑しているブルックナー以上に自作に手を入れて、彼自身どのヴァージョンが最終なのか、何番目のバージョンなのか解らないこともあった(実際、出版社から出版されるに当たり、そんないい加減なことはないと思うのだけど)なんて言うことはアイヴズのプロフィールとしてはよく聞かれる話。
 今回演奏されるこの交響曲第2番から4年後に作曲された第3番は、グスタフ・マーラーの目にとまり、マーラーはこの曲をヨーロッパで演奏しようとしたが、マーラーの死去によりそれはかなわなかったなんて話もある。
 また、アイヴズという人は、かなり奇異な曲を書いた人のような印象があるのかもしれない。指揮者が3人も必要な曲を作ってみたり、街角からきこえてくる様々な音楽をいっぺんに曲の中にブチ込んで、それらをいっぺんに聴かせるもんだから、聴いてるこっちは何を聴かされているのかよくわからない。
 もっとも、街角の音楽や様々な民族的素材を音楽に組み入れるのは、バルトークなんかもやっていて、もっと古くはベートーヴェンだってやってるし、それほど実はビックリするような手法ではないのだけど、ごった煮を作るような無造作に感じるあたりがこの人らしいところ。アメリカの風景がいっぱい詰まっている、そしてアメリカ的な自由をその音楽から感じてしまう。

 この曲が作られたアイヴズがまだ23歳のイェール大学に在学していた頃のアメリカはというと、南北戦争が終わって、保護主義工業先進側の北軍の勝利、リンカーンの奴隷解放がアイヴズの生まれる約11年前という時代、ヨーロッパの様々ないざこざもあって、アメリカは独立時の13州から急速に領土を拡げた。
 大陸横断鉄道も開通して先住民のインディアンを迫害しながら西部開拓時代が始まり、そのまっただ中の1874年にアイヴズはアメリカの独立時の13州のうちの一つのコネチカット州のダンベリーと言う町で生まれた。
 アイヴズ16歳の時にインディアンの制圧を完了し、西部開拓時代が終わりを迎え、その頃はトーマス・エジソンなども活躍していた第2次産業革命のアメリカは経済的にもめざましく発展し、景観としては随所に田舎の風情や情緒を残しながらも、近代化、工業化も進み、未だに国王や貴族たちがいざこざを起こしているヨーロッパを横目に、自由、平等の精神に法り、様々な問題を抱えながらも発展を続け、いよいよ海外へ目を向ける。アメリカの帝国主義時代の幕開けとなる。
 この曲が作曲された頃は、アメリカはスペイン領だったキューバ独立の動きに便乗して、スペインと戦争を起こし、これに勝利してキューバの独立をスペインに認めさせ、またスペイン領だったプエルトリコ、グアム、フィリピンはアメリカが買収をする。そしてこの時期にハワイも併合してしまうという覇権の始まりの頃。
 で、この曲が作られた頃アイヴズが住んでいたコネチカット州はというと、紡績の町で、とても自然に恵まれた四季の美しいところのようだ。
 そんな風景がこの「何でもござれ」の交響曲第2番には詰まっている。そして最後、素っ頓狂な不協和音が最後の最後に聴き手は足をすくわれる。

 問題はその(不協和音での終わり方)あたりだと思うのですよ。いろいろなところでもそうなのだけど、アイヴズの問題提起はここではないのかと。
 「アメリカ・ルネッサンス」というのがあって、それはアメリカに移り住んだイギリス人の、そのバックボーンである文化の呪縛から離れようとした、アメリカの開拓時代から南北戦争へと続く、そのあたりで発生したアメリカならではの文化の曙であった。イヴズはその影響を多分に受けたのは、マサチューセッツ州に近いコネチカット州の出身でることも関連しているのかもしれない。
 アイヴズがこの交響曲を作曲してから5年後の28歳の時にピアノ・ソナタ第2番を作曲していて、そのタイトルが「マサチューセッツ州コンコード 1840-60年」、通称「コンコード・ソナタ」というもの。この「コンコード・ソナタ」にはやはり様々な実験がよく知られた大作曲家の引用などを散りばめて作られている。
 ところで、このタイトルになっているマサチューセッツ州コンコードの1840-60年は何があったかと言えば、もともとアメリカ・ルネサンスの作家たちゆかりの場所で、このコンコードで超越主義運動が興り、アイヴズはそれに着想を得てこの曲の作曲を行ったとのこと。
 そのアメリカ・ルネサンスの代表的な思想家で、「コンコード賛歌」というものを書いたラルフ・ウォルドー・エマソンの岩波文庫にある講演会の記録の中から一部を引用。

「私たちはあまりにも長くヨーロッパの優雅な詩神に耳をあずけすぎました。アメリカの自由人の精神は、臆病で、模倣好きで、覇気に欠けるのではないかと、すでに疑われ始めています」
「兄弟たち、そして友人の皆さん――願わくは、わたしたちの意見はそうあってほしくありません。自分自身の足で歩きましょう。自分自身の手で仕事をしましょう。自分自身の心を語りましょう」
「人間に対する畏れ、人間に寄せる愛こそ、いっさいをとりまく防壁、喜びの花輪でなければなりません。人間寄りつどうひとつの国が初めて出現することになるでしょう。人間ひとりびとりが、万民にいのちを吹き込む『神聖な愛』によって、自分もいのちを吹き込まれていると信じるからです」

そしてアイヴズは言っている。

 「なぜ調性そのものを永久に放棄しなくてはならないのか、私には分からない。なぜいつも調性がなくてはいけないのか、私には分からない」と。

by yurikamome122 | 2015-07-10 10:39 | 今日の1曲 | Trackback | Comments(2)

Commented by pfaelzerwein at 2015-07-11 18:19
二番はメータ指揮のLPしか持っていないのですが、その後の「マーラーによる発見」を思うと、更にそれ以前の作曲を振り返っても、とても興味深いです。

どんな気持ちだったのでしょう。同じようなアイデアを持った無名作曲家がそれもアメリカにいたことを発見した気持ちは。
Commented by yurikamome122 at 2015-07-12 06:28
pfaelzerweinさん、いつもありがとうございます。
どうだったでしょうね、体調を崩しながらも追われるようにウィーンを辞去し、ニューヨークへ、そこで出会った、おそらくはどこかでかつて彼自身が言った言葉そのまま「これこそポリフォニーだ」、と思ったのではないでしょうか。
マーラーって本来ポリフォニーの作曲家ではなかったのではとも思います。マーラーのスコアを見ると大編成のオーケストラでブルックナーのように音符で塗りつぶすような書き方をしていない4番までの音楽で、その更に先の段階としてポリフォニーの作曲家になろうとした、だから5番以降のバッハ回帰とか、チャイコフスキーをモノフォニーと批判してみたりしたのは、おそらくは自分はもうそこから抜け出た、チャイコフスキーは遅れていると思った、いや思いたかったのでは。
そのポリフォニーへの憧れを持っていたマーラーに、それをいとも簡単に実現していたアイヴズの存在は面白かったでしょうね。そう思ったのではと感じたりもしますし、嫉妬もあったかな。
マーラーは、噂によれば8番の千人と一緒に初演しようとしたとか、いろいろな話を聞きましたが、とても興味を持って評価していたのはどうも本当のようですね。
マーラーが、ワーグナーの調性崩壊からマーラー自身を通して間違えなく自分の音楽のその延長線上であるシェーンベルクは解らないと言っていたのに、引用の旋律そのものには明らかに調性があって、しかもそれらに調性を関連性を持たせることなく単にそこに放り込んだ(ように感じるのですが)アイヴズには興味を持ったと言うところ、マーラーの音楽上で頭を悩ませていたところはこのあたりなのかなって、そんなことも想像してみたくなります。
興味は尽きませんね。
そしてなにより、不可能な夢として、マーラーの演奏するアイヴズ、聴いてみたいです。
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